さほりさんの自虐史観からの脱却

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2014年 06月 29日

日本の行動は、侵略ではない。日本は中国(支那)を守ろうとしているのである。1937年ローマ法王ピウス11世

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ピウス11世(アッキレ・ラッティ) 1857~1939年。オーストリアの定刻のロンバル
ド=ヴェネスト王国デージオ生まれ。父は工場経営者。ミラノ大司教を経て教皇に選出。
長く外交分野で働いていたが、本来は学者で、諸言語に通じ、古代以来のさまざまな神
学的著作に精通していた。外交分野でも経験があったゆえか、社会主義者が様々な工
作を企てていること、支那事変(1937年)の際に、それが社会主義者の陰謀であること
を的確に見抜き、勇気を持っていちはやく世界中のカトリックに発信した。バチカンの絵
画館、ラジオ局、ローマ教皇庁立科学アカデミー等はすべて11世のもとで作られたと
いう。


日中戦争(支那事変)が始まった年1937年10月に、当時のローマ法王で平和主義者として知られるピウス11世(在位1922~39年)は、この日本の行動に理解を示し、全世界のカトリック教徒に対して日本軍への協力を呼びかける声明をだした。

英文
“The action of Japanese troops was not to invade, but to protect China. They are fighting to get rid of communism there. As long as communism is in the world,all Catholic believers should cooperate with Japan without hesitation.”
日本語訳
「日本の行動は、侵略ではない。日本は中国(支那)を守ろうとしているのである。日本は共産主義を排除するために戦っている。共産主義が存在する限り、全世界のカトリック教会、信徒は、遠慮なく日本軍に協力せよ」

 戦後マッカサーが靖国神社を解体しようとしたときに、カトリックのビッター神父、バーン神父が反対してくれたのはこのお陰だという。
 その声明を『東京朝日新聞』(夕刊、昭和12年10月16日および17日)は、「これこそ、我が国の対支那制作の根本を諒解するものであり、知己の言葉として、百万の援兵にも比すできである。英米諸国における認識不足の反日論を相殺して、なお余りあるというべきである」と歓迎の意を持って紹介した。
 日中戦争は8年続いたといわれるが、実際には戦闘は1年半余で終結、1940年には、中国の華北と華中の一部を支配下におき、その統治を親日の汪兆銘政権(南京政府)に委ねた。日本軍は、占領地域でのインフラ建設や、経済建設を行い、経済、財政、物価、治安の安定などに大きく貢献した。
 この法王ピウス11世が1939年に亡くなってしまったのが、残念でしかたがない。

当時、ローマ法王は日本の行動を支持していました。

中国での日本の行動をみていきましょう。

 もともと、中国の内戦に巻き込まれたかたちで、中国内部に足を踏み入れた日本軍でした。しかし踏み入れた以上、日本は、そこが共産主義国家になってしまうのを防ぐため、多大な尽力をなしました。またそこに、欧米の侵略や搾取の餌食とならない自立した民主的国家が誕生するよう、手を差し伸べたのです。
 日本は中国を「自分の領土」とするために戦っていたのではありません。日本は中国の「領土保全」をかかげ、誰からも侵略されない、中国人による中国人のための安定した国家がそこに誕生することを目指したのです。そして日本と手をたずさえて、アジアを共産主義から守る防波堤になること、そこに一大経済圏が生まれることを目指しました。
 


この声明は当時の日本でも報道されました(「東京朝日新聞」夕刊、昭和一二年一〇月一六日および一七日)。
新聞は、「これこそは、わが国の対支那政策の根本を諒解(りょうかい)するものであり、知己(ちき。事情をよく理解している人)の言葉として、百万の援兵にも比すべきである。英米諸国における認識不足の反日論を相殺して、なお余りあるというべきである」
 と歓迎の意を表しています。ローマ法王がこのように日本の行動に賛意を表してくれたことは、欧米の誤解や反日主義に悩まされてきた日本にとって、非常にうれしいことでした。
 けれども、そのピオス11世も、やがて一九三九年には世を去ってしまいます。そのため欧米の反日主義や、日米戦争勃発を防ぐまでには至らなかったのです。

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              中国人の子供や大人と共に正月の
              万歳をする日本兵たち(1938年)
             すでに日中戦争が始まっていた時である。
このように、自分達を守ってくれる日本に親近感をもつ中国人

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             中国人の子供を可愛がる日本兵(1938年)

一方、蒋介石や毛沢東が支配していた地域は、悲惨でした。ただでさえ彼らの軍隊が入ってきたので食糧が不足したばかりか、略奪、搾取が横行したため、たちまち住民は地獄の生活へと転落したのです。
日本の支配地域以外の中国大陸には、匪賊が約二〇〇〇万人もいたといいます。それは中国軍の約一〇倍に相当します。彼らもまた、略奪で生計をたてていたのです。
中国人は、中国人からの謀略にふりまわされていました。

日本は中国の住民の救済、治安維持、戦災復興などに取り組んだので、それまで軍隊とは匪賊にすぎないと思っていた中国民衆は驚き、日本軍を熱烈に歓迎しました。統率がとれ、略奪や悪事を働かず、民衆を救う軍隊というものを、彼らは生まれて初めて見たからです。
 本当の「人民解放軍」は中国軍ではなく、日本軍だったのです。
 日本が占領地域でとくに力を入れたのは、農民の救済でした。日本政府はすでに一九三八年に中国での農業復興の計画を発表し、実行に移しています。それは日本・満州・支那(中国)の三国が相携えて、互助関係を築くことを目的としたものでした。
 それにより、日本の占領地域での農業は飛躍的に増大しました。日本人技術者が中国農民に、日本の農業技術を提供していったからです。もちろん戦時下のため、悪戦苦闘はありましたが、それでも日本の努力は多くのところで実を結んでいました。

中国人民の敵は、中国軍なのです。
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by sahorikita | 2014-06-29 16:16 | Comments(0)


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