さほりさんの自虐史観からの脱却

sahorimatu.exblog.jp
ブログトップ
2014年 08月 07日

日本を窮地に追い込み、真珠湾攻撃へ駆り立て、アメリカを太平洋戦争に参加させた男-スティムソン

f0350840_14181223.jpg

ヘンリー・ルイス・スティムソン(Henry Lewis Stimson)1967年9月21日~1950年 10月20日は、陸軍長官、フィリピン総督および国務長官を務めたアメリカの政治家。セオドア・ルーズベルト大統領の時代に政権に入り、以後、7人のアメリカ大統領に仕えた。第二次世界大戦中は、「マンハッタン計画」の最高責任者であり、日系人の強制収容所の推進、広島と長崎への原爆をした。原爆投下に対する批判を抑えるための「原爆神話」(原爆投下によって終戦戦が早まり犠牲が減った)を生み出した。日米の戦争を巡る歴史の鍵となる人物の一人。

スティムソンの経歴と人物像

スティムソンは第1次世界大戦時(一九一一年)に、タフト大統領によって陸軍長官に任命された。
また、一九一七年から一九二二年まで軍隊に入り准将。一九二七年、フィリピン総督になった。一九二九年、ハーバード・フーヴァー大統領は彼を国務長官にした。

スティムソン国務長官は1931年1月に「スティムソン・ドクトリン」を発表した。その内容は、中国の主権をうたうもので、日本の中国侵略(侵略ではなく進出)を非難するものであった。 

フーヴァーに替わってルーズヴェルトが大統領になる就任式まであとニヵ月とせまった1933年1月9日、ルーズヴェルトはスティムソンをハイドパークの自宅に迎え、2人だけで5時間に及ぶ会談を持った。この会談から一週間後、ルーズヴェルト大統領は「スティムソン・ドクトリン」への支持を表明した。これは日本を敗北へ導く基本となったものである。スティムソン・ドクトリンをルーズヴェルトは実行し続けるように運命づけられていたのである。

次いで石油と屑鉄の対日禁輸となっていくのである。(日本でいうABCD包囲網)

ルーズヴェルド大統領は自分の名が歴史のなかで汚れていくのを自覚するようになった。そこで、日本と妥協しようと試みるのである。日本の真珠湾攻撃の半月前の1941年11月下旬、日本側の最終提案を一部修正のうえで受け入れようとした。陸軍参謀総長のマーシャルも海軍作戦部長のストークも、戦争の準備ができていないとしてルーズヴェルトの政策に賛成した。

スティムソンはこのことを知ると、マーシャルとストークを威嚇した。
 
「ノーだ!なんといってもノーだ」

ロシアのスパイでもあったホワイト[ハリー・デクスター~、1892-1948]が"最後通牒"を作成し、ハル国務長官に一方的に押しつけた。(日本では、ハル・ノート)

「ジャップスに真珠湾をやらせろ!」

その日、大統領から「われわれは、おそらく次の月曜日に攻撃を受けるであろう」という警告があった。 ・・・問題は、こちらの危険をできるだけ少なくして相手から先に攻撃の矢を射かけさせるように、どうやって仕向けるかだ。 (これは、有名な話)

11月28日、スティムソンはルーズヴェルトと会った。スティムソンはルーズヴェルトに言った。

「われわれには三つの選択があると思う。第一は何もしないこと。第二はどうなればこちらが戦うかという線を明記した最後通告のようなものをもう一度出すこと。第三は、直ちに開戦する」

スティムソンは「私は第三の方法を取りたい」と言った。ルーズヴェルトは黙っていた。スティムソンに逆らう力の全くない大統領であった。この会談の以降、真珠湾が攻撃されるまでルーズヴェルトは沈黙を守った。もし口を開けば、ジョン・F・ケネディと同じ運命が待っていたであろう。

その日の正午、スティムソン、ノックス、ハル、スターク、マーシャルの五首脳が会談を開いた。スティムソンは即時開戦論をぶった。残りの四人は「ある地点ないしは特定の線を越えたら(真珠湾のある地点まできたら)開戦をするという警告を日本政府に伝えよう」と言った。ステイムソンは「黙れ!」と怒嚇した。日本の艦隊はすでに真珠湾めざして発進していた。

かくして日本は艦隊を真珠湾に進め、ハワイを急襲するのであった。
チャーチルとルーズヴェルトの秘密会談で原爆製造のスケジュールはすべて決定していたのである。

それは、真珠湾攻撃の直前に、スティムソンを中心とするメンバー(スティムソン以外はほとんどはすべて小物)が原爆製造のための準備に入ったということである。

「スティムソン・ドクトリン」の最終目標が明確にされたときでもある。その主眼とすることは一つの言葉に収敏される。

「ジャップスをたたきのめせ!」 

真珠湾攻撃と原爆投下は一つの悲しきセットとなっている。

スティムソン陸軍長官のもとにブッシュらの科学行政官が集められたのは真珠湾攻撃の前日であった。 「原爆を全力で開発せよ」との命令を科学者を前にしてスティムソンが語った。それは原爆を全力で開発するという目標を、アメリカ国家が正式に掲げた日となった。第一部門、すなわち科学者に政府が資金を提供した初会合の日であった。

アメリカは日本の無線を全て傍受し、ハワイ攻撃の時間と分まで計算しつくしていた。

スティムソンがマーシャルに「ハワイの司令部に日本の攻撃を知らせるな」と念を押した日でもあった。

初会合を開いた翌月+二月七日(日本時間では八日)の午前七時、日本海軍の航空隊は真珠湾のアメリカ軍に奇襲をかけた。ここに太平洋戦争が始まった。それは同時に、「ジャップスをたたきのめせ!」の大号令を叫ぶスティムソンの勝利の瞬間でもあった。真珠湾攻撃と原爆投下は一本の線上にあることを理解すべきである。

■鬼塚英昭 原爆の秘密[国外篇] 第四章 地獄の魔王が姿を見せたアラモゴード より抜粋
 http://satehate.exblog.jp/9443843/

駐:スティムドクトリンとは
  詳しくうと眠くなるので簡単に要約。日本の中国大陸の進出に脅威を感じ、中国への残虐行為は許せないという立場から、日本人は鬼畜な猿!ジャップ!という風潮を強めていった考え。アメリカでは、日本人だけが強制収容所に入れられた点は、ここにあります。

このスティムソンという方は、頑なに日本が憎いに偏執していき、大勢の科学者の反対にも、反対意見も振り切り、日本に原爆を落としました。

[PR]

by sahorikita | 2014-08-07 14:40 | Comments(0)


<< 靖国神社の大祭に出会い、それを...      今国民は自己を治めえない。過去... >>