さほりさんの自虐史観からの脱却

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2015年 07月 03日

慰安婦問題の真実―ビルマ・ミッチーナにおける米国戦時情報局心理作戦班「朝鮮人慰安婦」尋問報告書①

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  水間政憲著 PHPより

1944年10月1日、ビルマ・ミッチーナにおける
 米国戦時情報局心理作戦班「朝鮮人慰安婦」尋問報告書

f0350840_13504198.pngアメリカ戦時情報局心理作戦班/アメリカ陸軍インド・ビルマ戦域所属/アメリカ陸軍郵便局689番

日本人戦争捕虜尋問報告書 49号
尋問場所:レド収容所
尋問期間:1944年8月20日~9月10日
報告年月日:1944年10月1日
報告者:T/3アレックス・ヨリチ
捕虜:朝鮮人慰安婦20名
拘束年月日:1944年8月10日







■序
 この報告書は1944年8月10日ごろ、ビルマのミッチーナ陥落後に行なわれた掃討作戦において捕らえられた朝鮮人「慰安婦」
20名および日本人民間人2名の尋問に基づくものである。
 この報告書では、これら朝鮮人「慰安婦」が日本人によってどのように微集されたか、どのような環境で生活および労働を
したか、日本兵との関係や日本兵の対応がどのようなものであったか、さらには軍の動向をどの程度把握していたかを示す。
「慰安婦」とは福利厚生の一環として日本軍に所属する売春婦にほかならない。「慰安婦」という単語は日本軍独特の言い回し
であり、他の報告書では、日本軍が戦闘を行なう地域には必ず「慰安婦」が存在したと言及されている。この報告書は、
日本人により微集され、駐ビルマ日本軍に所属していた朝鮮人の「慰安婦」のみを対象としたものである。

f0350840_13255769.jpg ■微集
 
  1942年5月上旬、新たに日本の領土となった東南アジア
 地域にて「慰安」業務に携わる朝鮮人女性を微集するため、
 日本の斡旋業者が朝鮮を訪れた。この「業者」の内容は
 具体的に示されなかったが病院の負傷兵を見舞い、介助を
 したり包帯をまいたり、将兵を喜ばせる仕事であると考え
 られていた。
 斡旋業者は多額の金銭や家族の負債を返済する機会、楽な
 仕事、シンガポールという新天地での生活といった誘い文句
 を用いていた。こうした偽りのある説明を信じて多くの女性
 が海外での労働に志願し、200円~300円の前渡し金を受け
 取った。

  女性の多くは無学、無教養なだけであったが、なかには
  すでに「この世で最も古い職業」に携わっていた者もいた。
  彼女達は契約により、家族の借金返済のために受け取った
  前渡し金の額に応じて6ヶ月ないし1年の間、陸軍の規則に
  縛られ、戦時下の「慰安所の楼主」のための業務に就くこと
  となった。

  

約800名の女性がこのようにして微集され、日本人「楼主」とともに1942年8月20日ごろラングーンに到着した。女性は8名ないし
 22名の集団に分けられ、ラングーンからビルマの各地へと派遣された。派遣先は通常、日本軍の駐屯地近くの比較的大きな都市で
 あった。
ミッチーナへは最終的に四つのグループが派遣された。慰安所はそれぞれキョウエイ、キンスイ、バクシンロ、モモヤといい、
キョウエイ慰安所は「マルヤマクラブ」と呼ばれていたが、ミッチーナ駐屯部隊隊長の丸山大佐は名前がまぎらわしいと不快感を示
したため女性の到着にともない改称された。
f0350840_14390944.jpg ■人格
  尋問の結果得られた平均的な朝鮮人「慰安婦」像は次のとおりで
  ある。年齢は25歳前後で、教育を受けておらず、幼稚でわがまま
  である。日本の基準からいって白人の基準からいっても美しくは
  ない。利己的で自分の話ばかりをする傾向にあり、見知らぬ人の
  前では物静かで慎み深いように振舞うが「女の武器を心得ている」
  自分の「仕事」は嫌いだと言い、仕事や家族の話をしたがらない。
  ミッチーナやレドで捕虜になった際にアメリカ兵から親切にして
  もらったことから、アメリカ兵のほうが日本兵よりも優しいと感じ  ている。中国軍とインド軍を恐れている。

 ■生活と労働環境
  ミッチーナでは女性は個室のある二階建ての大型建造物(通常は
  学校の校舎)に宿泊していた。そこが女性の寝起きし生活する場で
  あり、また労働を営む場であった。ミッチーナでは「楼主」が食事
  を用意し、女性がそれを購入するかたちをとっており、日本軍から
の定期的な配給はなかった。ビルマでの慰安婦の生活は、他の地域と比べると贅沢とすら呼べるものであった。ビルマ駐在2年目はとくにそうで、食料や物資の配給は豊かでなかったものの、欲しいものを買うための金銭は潤沢に持ち合わせていた。彼女たちは服、靴、タバコ、化粧品などを購入できただけでなく、故郷からの「慰問袋」を受け取った兵士から多くの贈り物をされていた。
ビルマ駐屯中の慰安婦は将兵とともに運動行事に参加したり、ピクニックや演芸会、食事会などに参加して楽しく過ごした。
また蓄音機も所有しており、町では買い物に行くのが許されていた。



日本人戦争捕虜尋問報告書 49号を
そのまま書き写しています。
ビルマでの慰安婦の生活は、他の地域と比べると贅沢とすら呼べるものであった。ビルマ駐在2年目はとくにそうで、食料や物資の配給は豊かでなかったものの、欲しいものを買うための金銭は潤沢に持ち合わせていた。彼女たちは服、靴、タバコ、化粧品などを購入できただけでなく、故郷からの「慰問袋」を受け取った兵士から多くの贈り物をされていた。
ビルマ駐屯中の慰安婦は将兵とともに運動行事に参加したり、ピクニックや演芸会、食事会などに参加して楽しく過ごした。
また蓄音機も所有しており、町では買い物に行くのが許されていた。


性奴隷だとか、強制的に連れ去られたとか、もうやめて欲しいですね。
それと、この頃は売春は合法であり、彼女たちは仕事としてしていたのです。
韓国が「慰安婦問題」ばかり、嘘くその証言や時代考証がおかしい理論は、
その当時の人達をも辱める行為だと思うのですが、恥の感覚が日本人とは違うようです。







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by sahorikita | 2015-07-03 13:10 | Comments(0)


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