人気ブログランキング | 話題のタグを見る

さほりさんの自虐史観からの脱却

sahorimatu.exblog.jp
ブログトップ
2016年 06月 19日

13.フーバー大統領が明かすルーズベルトの罪状 ★1943年12月、7つの国家にソ連の傀儡政権の押し付けを認めてしまった事

13.フーバー大統領が明かすルーズベルトの罪状 ★1943年12月、7つの国家にソ連の傀儡政権の押し付けを認めてしまった事_f0350840_16023738.jpg
第三代アメリカ合衆国大統領 任期(1929年~1933年)
ハーバード・フーバー(Herbert Hoover:1874~1964年)

13.フーバー大統領が明かすルーズベルトの罪状 ★1943年12月、7つの国家にソ連の傀儡政権の押し付けを認めてしまった事_f0350840_16032595.jpg
2011年にフーバー研究所から刊行された
フーバー大統領の膨大な回想録
『フリーダム・ビトレイド』(裏切れれた自由)
この著書は全900ページを超える大著。日本では、訳本はまだ出ていない。
フーバーはこの大著で、東京裁判史観を真っ向から全否定している。

13.フーバー大統領が明かすルーズベルトの罪状 ★1943年12月、7つの国家にソ連の傀儡政権の押し付けを認めてしまった事_f0350840_16033879.jpg
フーバー大統領の著書を部分的にエッセンスをまとめた本がこちらである。
こちらの本の中の一部、フーバー大統領が指摘した19の過ちを紹介したいと思います。

■第13の過ち 1943年12月、7つの国家にソ連の傀儡政権の押し付けを認めてしまった事 
  「第13番目の間違いであり、ルーズベルトとチャーチルがふらついて一番混乱した例のひとつであるが、1943年12月の
  テヘランでの会議である。ここで、第12番目の、ロシアによるバルト諸国などの併合が確認され、スターリンが、友好的な
  国境の諸国を名付けた、傀儡政権の7カ国を承認したことである。国際的な動議と彼ら自身(ルーズベルトとチャーチル)の
  諸国への独立と約束と、自由な人間への忠誠に則り、ルーズベルトとチャーチルはスターリンに対して反対すべきであった。
  それまで、こうした併合に対する合意や、黙認と妥協をスターリンと行なうことが必要であるほどの、軍事的な危険は存在
  しなかったのである」〔抄訳〕(p117)
   
  
 Teheran and lts Sacrifice of Seven More Nations
 Thirteenth. The thirteenth and possibly one of the greatest of all confused wanderings in Roosevelt's and
Churchill's statesmanship was at Teheran in December, 1843..........(以下省略、原典P880)

 
 説明の対談は藤井厳喜氏×稲村公望氏×茂木弘道氏
 対談の内容の解説を分かりやすくまとめました。↓

 13番目の間違いは、ルーズベルトとチャチールの確信がふらついて、一番混乱した例の一つが1943年12月のテヘラン会談で
 あったとフーバーは言います。ここでソ連によるバルト諸国その他の併合が確認され、スターリンがそれらの国を「友好的な
 国境の諸国」と名付けた。自分の支配下、もしくは傀儡国家を「友好的な国境の諸国」と言ったということである。
 傀儡政権7カ国を認めたのである。ロシアによる軍事的危険はなかったのであるから、チャーチルとルーズベルトは、国際的
 道義を忘れずにスターリンに反対するべきであったと述べています。

 ★なぜかソ連に対しては、道義を無視してでもチャーチルもルーズベルトも、ソ連に甘いのである。
  ソ連は、やりたい放題が許されているのである。
  私は、いつも不思議でしかたありません。
 


by sahorikita | 2016-06-19 22:26


<< 14.フーバー大統領が明かすル...      12.フーバー大統領が明かすル... >>