さほりさんの自虐史観からの脱却

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2016年 03月 12日

宣教師の善意を利用して日本軍の悪を宣伝する蒋介石のプロパガンダ。アメリカ人ジャーナリスト、フレデリック・ヴィンセント・ウイリアムズより⑤

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フレデリック・ヴィンセント・ウイリアムズ
(Frederic Vincent Williams)
1890年生まれのアメリカ人。
少年時代に外人部隊に所属したり各地を放浪する冒険者のような生活を続け、その見聞を新聞紙上で発表することからジャーナリストの道に進む。
サンフランシスコの新聞記者としてチャイナタウンの抗争事件を取材して有名となる。
日中戦争の起こる前から極東を取材旅行しながら共産主義の危険性に注目して、親日的立場から本書を執筆した。
日米関係の悪化を懸念しつつ、ラルフ・タウンゼントらとともに発言を続け、真珠湾攻撃後にタウンゼントと同じく逮捕され、16ヶ月から4年という不定期刑を言い渡される。
戦後の日本に再びやってきて、原爆を投下された長崎を訪れ、1956年に“The Martyrs of Nagasaki“(長崎の殉教者)という本を出版している。


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当時の原書 “Behind the news in China”。

著者は序文で、「私が初めて中国を旅したのは、一九三七年の日中両国が戦いを始める前であった。
上海と南京で、蒋介石政府の高官にインタビューしたのである。それから北京に行き、そしてシベリアの国境、それから満州国を南下し朝鮮、そして日本に行ったのである。
それから私は戦争が始まってから中国を再訪した。最初は中国軍と行動した。それから今度は日本軍とであった。
私は両方を見た。
世界の各地を見た新聞記者としての長年の経験から、何が起こっているのかを理解することができた。私は戦場を後にした。私は多くのものを学んだ。そして精魂込めて書き上げたのがこの著作である。」と述べている。

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こちらが訳本
この本の中から重要な箇所をピックアップしていきたいと思います。

目次 第十二章 宣教師の善意を利用して日本軍の悪を宣伝する
■利用される宣教師(p129~p131)
  没落し行く蒋介石政府は絶望したあげく、アメリカ人が結果として干渉してくることを期待して、まず同情を、それから援助を獲得し
 ようとして宣教師たちにすがり寄った。彼らは既にプロテスタント派のかなりの部分の同情を獲得していた。今はカソリックに接近を
 試みようとしている。カソリックは全体として、どちらの側にも立たず一歩下がっている。戦争が始まる前、カソリックは南京軍閥
 政府から布教を奨励されたことはほとんどなかった。そして今、ロシアのヴォルシェビキの影響から中国を分離させようと日本が猛烈に
 迫ってきたために、以前の南京支配はそれまでに伝道上において大なり小なり横道にそれていたカソリックに、耳さわりのよいあらゆる
 約束をしたのである。
  同業のプロテスタントのように、カソリックの中にも蒋介石の約束に騙される者がいた。(中略)蒋介石一派は彼らに接近し、そして
 プロテスタントの宣教師と同じしょうに、日本軍のアトロシティー(残虐行為)と申し立てられている野蛮な話で宣教師の耳を一杯にし
 て、彼らに合衆国の彼らの友人宛に精神的な苦しみの手紙を書かせたのだ。
  中国南部の宣教師たちの一部はこれに影響された。疑いなく、上海の数名は友人に手紙を書いている。すべて誠意である。しかし、彼
 らが蒋の影響下に屈服したとき、多かれ少なかれ、厳しく中立であろうとする彼らの至高のものへの願望に反したことになったのである
  
  中国そして極東を旅していたとき、日中戦争の前でも最中でも、私はいくつもの宗派の沢山の宣教師たちとコンタクトを取った。
 そして私は特にカソリックの間に、日本が中国でしていることの正当化について、意見が鋭く分裂していることを発見したのである。
 多数は日本を弁護する。その他は中国を弁護する。日本、朝鮮、満州国のカソリックの宣教師たちは、日本がボルシェヴィズムから
 アジアから救おうとしているのだと率直に述べる。北京、北支の内陸部でもこれと同じである。しかし上海では(中略)日本に反対し、
 中国の肩をもつ若干の熱心な者たちがいた。
  蒋介石の取り巻きは、一部プロテスタント宣教師に対すると同様、すかさず彼らに飛びつき、「母国」に手紙を書いて、日本を非難
 するようしきりに促したのである。(中略)
  宣教師がやろうとしたことは、アメリカ人からの寄付であった。



 ■日本軍に感謝する宣教師たち(p135~p136)
  中国の軍閥のプロパガンダ目的に利用されたこれらの幾つかの宣教師たちの恐怖の手紙と、著しい対象をなしているのは泰安から来た
 二つの手紙である。書いたのは戦争を恐ろしい段階で経験していた司祭たちである。彼らは日本でなく、中国の兵隊による残虐行為を
 非難していた。いわゆる非正規兵であるが、匪賊とほとんど変わらない程度の連中で自国民を獲物にしていたのだ。彼らは書く。
 「こちらの情況に関するアメリカの新聞報道は一方的であり、大袈裟すぎます。――しばしばほんとうのような嘘か反日のためのプロパ
 ガンダとしてはびこっているのです。我々は中国人に捕まり、殺された囚人の首が棒の先に突き刺されているのを見ております。中国の
 農民は中国の非正規兵による略奪で一番苦しんでいるのです。もう、匪賊とほとんど変わらない程度の軍隊なのです。大都会の爆撃は
 中国軍の将校が秘密地帯に軍隊の宿舎を割り当て、軍需物資、支給品などを置いているから起きたのです。軍需品が町のど真ん中に高く
 積まれていることはしょっちゅうなのです。
 「私たちの経験によれば」と二人のカソリック宣教師は続ける。「日本兵は統制が取れています。そして我々をどんな形でもいじめたり
 しません。だから我々は喜んでこの善意の中国人たちと共に留まっております。しかしながら日本人についての真実は語られておりませ
 ん。彼らは私たちに親切です。泰安の爆撃の間、私たちの伝道施設はひどく破損しました。町の陥落の後、日本軍将校たちがやってきて
 遺憾の意を表明しました。そして教会の再建用にと三千円を提供してくれました。また役に立つからと車を提供してくれ、宣教師の建物
 を保護するよう、一筆書いて掲示してくれました。彼らがやってくる前に悲惨な体験をしていましたから、これは私たちにホッとした
 気持ちを抱かせてくれました。




 最後にピウス11世の言葉を述べて終わりたいと思います。
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ピウス11世(アッキレ・ラッティ) 1857~1939年。
オーストリアの定刻のロンバルド=ヴェネスト王国デージオ生まれ。父は工場経営者。ミラノ大司教を経て教皇に選出。
長く外交分野で働いていたが、本来は学者で、諸言語に通じ、古代以来のさまざまな神学的著作に精通していた。
外交分野でも経験があったゆえか、社会主義者が様々な工作を企てていること、
支那事変(1937年)の際に、それが社会主義者の陰謀であることを的確に見抜き、
勇気を持っていちはやく世界中のカトリックに発信した。

バチカンの絵画館、ラジオ局、ローマ教皇庁立科学アカデミー等はすべて11世のもとで作られたという。

日中戦争(支那事変)が始まった年1937年10月に、当時のローマ法王で平和主義者として知られるピウス11世(在位1922~39年)は、この日本の行動に理解を示し、全世界のカトリック教徒に対して日本軍への協力を呼びかける声明をだした。

英文
“The action of Japanese troops was not to invade, but to protect China. They are fighting to get rid of communism there. As long as communism is in the world,all Catholic believers should cooperate with Japan without hesitation.”
日本語訳
「日本の行動は、侵略ではない。日本は中国(支那)を守ろうとしているのである。日本は共産主義を排除するために戦っている。共産主義が存在する限り、全世界のカトリック教会、信徒は、遠慮なく日本軍に協力せよ」
日本の行動は、侵略ではない。日本は中国(支那)を守ろうとしているのである。1937年ローマ法王ピウス11世


http://sahorimatu.exblog.jp/22431045/ ←ピウス11世に関しては、このページにて詳しく書いています。



プロパガンダの怖さと、日本人と中国人の違い。
すなわち「嘘をつかないのはバカだ」という中国人と「嘘はついてはいけない」という日本人との感覚がかけ離れているということだ。
今や、また「日本人は残虐行為をしたと」南京大虐殺を世界にばら撒こうとしている。
韓国は慰安婦問題だ。これも「日本人は、性奴隷したひどい民族」というプロパガンダだ。
民間人だけが対抗して頑張っている状態です。
身近な方に目覚めて欲しいと思いますが、「たまに、怒る人がいてがっかりします」
でも、淡々と訴えていかなくてはと思っています。日本の未来の為に・・・・。





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by sahorikita | 2016-03-12 16:04 | Comments(0)
2016年 03月 08日

日本が作った満州国では、平和と安全が守られ幸福であった。アメリカ人ジャーナリスト、フレデリック・ヴィンセント・ウイリアムズより⑤

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フレデリック・ヴィンセント・ウイリアムズ
(Frederic Vincent Williams)
1890年生まれのアメリカ人。
少年時代に外人部隊に所属したり各地を放浪する冒険者のような生活を続け、その見聞を新聞紙上で発表することからジャーナリストの道に進む。
サンフランシスコの新聞記者としてチャイナタウンの抗争事件を取材して有名となる。
日中戦争の起こる前から極東を取材旅行しながら共産主義の危険性に注目して、親日的立場から本書を執筆した。
日米関係の悪化を懸念しつつ、ラルフ・タウンゼントらとともに発言を続け、真珠湾攻撃後にタウンゼントと同じく逮捕され、16ヶ月から4年という不定期刑を言い渡される。
戦後の日本に再びやってきて、原爆を投下された長崎を訪れ、1956年に“The Martyrs of Nagasaki“(長崎の殉教者)という本を出版している。


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当時の原書 “Behind the news in China”。

著者は序文で、「私が初めて中国を旅したのは、一九三七年の日中両国が戦いを始める前であった。
上海と南京で、蒋介石政府の高官にインタビューしたのである。それから北京に行き、そしてシベリアの国境、それから満州国を南下し朝鮮、そして日本に行ったのである。
それから私は戦争が始まってから中国を再訪した。最初は中国軍と行動した。それから今度は日本軍とであった。
私は両方を見た。
世界の各地を見た新聞記者としての長年の経験から、何が起こっているのかを理解することができた。私は戦場を後にした。私は多くのものを学んだ。そして精魂込めて書き上げたのがこの著作である。」と述べている。

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こちらが訳本
この本の中から重要な箇所をピックアップしていきたいと思います。

目次 第五章 日本のアジアに対する崇高な使命感より
■日本は満州のサンタクロースである(p67~p68)
  経済的利害関係のために、列強が中国でパワーを発揮できなくなるのではないかと恐れているからでもあるが、我々西洋人とその政府
 は、間違った同情心や政治的行動によって、中国での戦争と惨害が打ち続くようにしているのである。これはには故意にそうしている国
 もある。中国人の大多数を占める本当の人々は、戦争と迫害にうんざりしているが、外国の国々が邪魔をしなければ平和になるのだ。
  一部の西洋列強とその国民は、あらゆる方法で日本の邪魔をしている。日本が中国人を牛耳っている軍閥と戦争を始め、この国を保守
 的なよい政府の下に安定させ、平和をもたせようとしているからだ。私は多くの中国人と対談した。彼らは率直に私に話した。
 一番願っているのは、共産主義や軍閥同盟に反対する保守的政府を作り上げることであると。しかしそれができないのは、匪賊の頭目た
 ちが私兵を使って省を領土ににして力を誇示しているからだと彼らは屈託なく告白した。

  満州でやったように、唯一つ日本の協力がこれを可能にすると彼らは主張した。彼らは満州を強調した。今の満州国である。日本が
 中国のためになすことが出来た一例である。もう一つ北支がある。中国南部は全体としては絶望の尺度から言えばまだいい方である。
 中国南部の安定は大英帝国にかかっている。香港からの影響もある。これは彼らも認めている。赤いロシアはイギリスが香港のゲートを
 守っている限り、あえて進出はしないだろう。そして彼らは同じ真実が北部にもあるとしばしば言うのだ。日本が立った一国で軍閥を
 押さえつけ、共産ロシアを排除できているのだ。

  満州とは日本人が出かけて行って貪り食った、罪を犯した国だとごく普通の人たちは信じているだろう。日本がそこに行ったのは確か
 だ。しかしもし諸君が満州に行けば――満州国――日本はサンタクロースの役をこれまで演じていること、満州人が断然幸福であること
 を発見するだろう。彼らの古いご主人、ロシアと中国はまあ残虐な親方で、ひどく苦しめられていたのだ。平和と安全、政府とビジネス
 の安定、鉄道の建設、都市の建設、病院や学校をもたらしたのは日本だった。


  日本が来る以前の満州は、現在と較べれば哀れというしかない光景が広がっていた。(以下略)


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満州国の建国記念日を祝う人々。中央のめがねをかけた人物が溥儀。日本の軍人らに囲まれている。

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大連(満州国) 近代的で美しく清潔な街並みであった



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大連 星ヶ浦 満鉄が開発した総合リゾート


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当時の中国大陸の現状



■軍閥のポケットに直行する支援金(p71~p72)
  わが国民に対する憎悪の感情を知って中国から帰ってくると、この国においては中国人へのほとんど感傷というしかない同情心を見出
 すのは皮肉なことである。もちろんこれはプロパガンダによって育てられてきているもので、一般的には多くの情報源がある。

  そしてこの国には母国を支援している中国人がかなり住んでいる。しかしアメリカで生まれた彼らの多くは中国に行ったことがなく、
 その生活もその親の世代のことも知らない。それでいて母国にすむ中国人より本当に愛国心が強い。アメリカ生まれの中国人が完璧に
 嘘偽りがなく、我国のアメリカ人のほとんどと同じしょうに、冷酷で野望にみちた遠征者に侵略されていると本当に信じていることは
 疑えない。彼らがその背後にあるものを見ることができず、何が起こっているかを知ることができないのは悲しいことである。なんなら
 彼らが救援と軍需品購入のために軍閥に送った巨額の金がどうなり、とう使われたかを追跡してみればいい。

  ただの一例二例でいい。このお金が軍閥どものポケットに直行し、預けられたにしても、一銭も救援や軍需品に使われていないことを
 発見することはなんと恐ろしいショックだろうか。中国空軍に数百万ドルが注ぎ込まれていたのは常識的な事実に属するが、戦争が始ま
 ったときほとんどそれらしき片鱗もなかった。これらすべての金はどこに消えたのだ?
  中国人は肩をすくめて「しぼりだよ」と笑う。我々の言葉で賄賂である。アメリカのチャイナタウンから航空機一機購入のために南京
 に送られた二万五千ドルのうち、たった五千ドルのみが最終的受領者の下に届いたという話は、上海のバーや北京のカフェで傑作な笑い
 話になっている。

■日本機とロシア機の空中戦(p73)
  日本人が世界に出てきて、西洋人のゲームのやり方を学んでせいぜい八十年である。彼らは実に見事にやった。ついでにいっておくが
 何とかしてもらいたいものだ。なぜなら彼らはほとんど信用されていない。昔の先生の際限のない敵意を獲得したからだ。この数え切れ
 ないプロパガンダと日本への憎しみの背後にあるのは、日本があまりにも早く彼らのレッスンを終了してしてしまったことに腹を立てて
 いる国々のジェラシーである。


この真実を自分の目で見た、アメリカ人ジャーナリストは、中国大陸の現状をよく知っている。
また、日本がアジア人でありながら、あまりにも急速に西洋人に追いつき、日本人は白人社会の脅威に写ったという解釈は、
よく考えると納得できるのです。
中国人から搾取することしか考えていない西洋と人道的な政策をとり中国人から慕われていた日本が嫌いであった。
この一言に尽きるのではないだろうか?
中国が可哀想で同情を引く作戦は、白人からしたら優越感が得られるのである。
しかし、対等を望んだ日本人は「可愛げのない黄色人種であり、キリスト教もなかなか浸透しない国であり、その上優秀であった」
フレデリック・ヴィンセント・ウイリアムズ氏のこの著作は、これから蘇る著書の一冊だと思います。
現在の中国共産党の「南京大虐殺のプロパガンダ」や韓国の「慰安婦問題」も、非常に危険なものであると、
この本を読んで痛感します。
この歴史は繰り返されてはならない。




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by sahorikita | 2016-03-08 15:07 | Comments(0)
2016年 03月 05日

日本が中国人に麻薬売買していたという蒋介石のプロパガンダ。アメリカ人ジャーナリスト、フレデリック・ヴィンセント・ウイリアムズより④

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フレデリック・ヴィンセント・ウイリアムズ
(Frederic Vincent Williams)
1890年生まれのアメリカ人。
少年時代に外人部隊に所属したり各地を放浪する冒険者のような生活を続け、その見聞を新聞紙上で発表することからジャーナリストの道に進む。
サンフランシスコの新聞記者としてチャイナタウンの抗争事件を取材して有名となる。
日中戦争の起こる前から極東を取材旅行しながら共産主義の危険性に注目して、親日的立場から本書を執筆した。
日米関係の悪化を懸念しつつ、ラルフ・タウンゼントらとともに発言を続け、真珠湾攻撃後にタウンゼントと同じく逮捕され、16ヶ月から4年という不定期刑を言い渡される。
戦後の日本に再びやってきて、原爆を投下された長崎を訪れ、1956年に“The Martyrs of Nagasaki“(長崎の殉教者)という本を出版している。


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当時の原書 “Behind the news in China”。

著者は序文で、「私が初めて中国を旅したのは、一九三七年の日中両国が戦いを始める前であった。
上海と南京で、蒋介石政府の高官にインタビューしたのである。それから北京に行き、そしてシベリアの国境、それから満州国を南下し朝鮮、そして日本に行ったのである。
それから私は戦争が始まってから中国を再訪した。最初は中国軍と行動した。それから今度は日本軍とであった。
私は両方を見た。
世界の各地を見た新聞記者としての長年の経験から、何が起こっているのかを理解することができた。私は戦場を後にした。私は多くのものを学んだ。そして精魂込めて書き上げたのがこの著作である。」と述べている。

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こちらが訳本
この本の中から重要な箇所をピックアップしていきたいと思います。

目次 第七章 「阿片-を蔓延させる日本」というプロパガンダ(全文抜粋)
■阿片を蔓延させているのは中国である(p93~p95)
  日本を悪しざまに言う顕著な作り話の一つは、外国政府の公文書の中にさえ見出されるようになっている。かつてはジュネーブの会議
 で作られ、今はランチの席で、都市の講演会で、公的なところ、その他で軽口のように話されている。彼らはもっと知るべき出し、努力
 すればできるのだ。顕著な作り話の一つというのは、最初は満州でそれから北支において、麻薬の使用を奨励し、助長しているというこ
 とである。
  私が昔サンフランシスコの新聞社で働いていた時期のことであるが、東洋からアメリカの港、それから我が国のチャイナタウンへと向
 かう暗黒街の麻薬のルート追跡という情報を追っていたことがある。それから近年になってから中国や満州で、私は麻薬製造やその流通
 の源に到達して真相を突き詰めた。
  まず初めに言っておくが、近年誰も中国人が阿片を使うということを教えられてこなかった。彼らの多くがこれに熟達している。多く
 の麻薬常習者がいるからといって、これはまったく彼らの欠点と言うわけではない。軍閥、つまり軍人で政治家たちがこれに肯定的なの
 である。二三の軍閥というわけではない。省を支配する将軍たちは実際に麻薬を使い、阿片を吸う。それに熱中しており、習慣になって
 いる。日本がやってきて軍閥を武器で追い払った満州事変のときに、多くの特派員たちがやってきた。彼らは中国の将軍たちがくつろい
 で阿片のパイプを吸っている所で、戦いの進展の報告を聞いていると書いている。
  
  蒋介石はかつては阿片の最大の商いをしていたことで特に実績があった一人で、さもなければ常習者だった。そして今度の事変が始ま
 ってかでさえも、莫大な量の阿片を隠し持っていると言われている。1937年から翌年にかけて、蒋介石が新聞やアメリカ、その他の世界
 の一部で人気が絶頂にあったとき、哀れな苦力たちの処刑が広く公開されていた。彼やあるいは側近の配下の兵隊によるものである。

  時に北京では、阿片常習者で「逮捕」された苦力たちであった。私は彼らが死ぬところを見たことがある。ひざまずき、死を予感して
 北京城外の日干し煉瓦の壁の前にいた。兵隊たちが後ろに近づき、彼らの頭をポンと撃った。犠牲者は顔を前に倒れていく。手は後ろに
 縛られていた。それはいい宣伝だった。本当に外部世界には恐ろしい宣伝である。しかし、それは多くの人々の心に最近になって植え付
 けられ、広められたアイデアであったのだ。「新しい政府」は常習者の命を犠牲にしても、麻薬売買を抑圧する決定をしたというわけで ある。


  中国の陰気な群衆は自分のかわいそうな友人たちの処刑を目撃している。そして処刑は抑止効果があるとおもわせられた。しかし実際
 問題としてまもなく、撃ち殺されるのを見て彼らが自分の家に戻ったとたん、処刑を命じたまさしくその軍閥や役人の手先どもがちょこ
 まかちょこまか小走りに人々阿片を売り歩いていたのである。このようにして三週間もすると、別の一群の「吸引者」たちが駆り集めら
 れて、撃たれ、写真に撮られ、死んだことが海外の新聞に出る。彼らの多くが最近の吸引者であることは疑いない。しかし鎮圧を命じ、
 使用者を死に至らしめたあの役人どもの手先によって、麻薬商売は続きに続いているのだ。
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阿片を吸う中国人


日本が作った満州の麻薬吸引実態統計資料(p95~P97)
  日本人が入ってくる前の満州は麻薬中毒者であふれていた。その製造と使用は大きく広がっており、公的に認められていた。しかしそ
 の製造と消費について何の記録も統計もなかった。軍閥が追放されてから、日本が新満州帝国の建設を始め、満州人の血統を持つプリン
 スが王座に着いた。日本人が最初にやったことは麻薬売買の記録を正式に作ることであった。覚えていて欲しい。これは満州で全く初め
 て作られたのである。
  そして長い間の使用の結果の、驚愕すべき堕落の実態が完全に明らかにされたのである。平行して、出生、建築、病院、住宅、政府の
 各役所の記録が作られていった。これは法と秩序、治安と安定を確立させるためであった。日本はこれらの発見を誇りに以って世界に発
 信した。しかし世界はおおむね学校や病院その他の数とかに目配せもしなかった。国際連盟のあるジュネーブやアメリカは特にひどかっ
 た。日本人は金字塔を立てていたのだ。しかし、満州の麻薬統計資料を読まれておお喜びされ、日本は野蛮人であるかのように噛み付か
 れた。これらの日本の敵は、世界に向けて彼らの「新発見」を言い立てたのである。それまでは攻撃のしようにも何もなく、できなかっ
 たからである。

  満州での麻薬中毒とその使用を止めさせるための叩き台を作るというアイデアに基づいて満州の日本人の骨身を惜しまぬ努力によって
 集められた統計は、これらの偽造者によって反日の材料に使われたのだ。その一人は現在もジュネーブの国際聯盟の代表の一人である。
 彼はかつて日本でタイプライターを売っていたが、何か妨害行為をしたかの理由で国外追放になった人物である。

  驚愕と痛みもいくらか感じながら、日本は自分たちが作ったリハビリテーションのための仕事が、自分たちに襲い掛かってくるのを
 発見した。日本人は宣伝が下手である。逆襲する代わりに彼らはすねた。もし西洋世界が自分たちのしていることが理解できなかったの
 なら、「くたばりやがれ」というものだ。日本人のまさに沈黙は、数百万の新聞社の目をぎくりとさせるような見出しとなり、彼らの
 明らかな罪悪の証拠として受けとられた。


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右下のトリミングされた写真が「日本軍によるシナ人虐殺」として出され、
実際のオリジナルは蒋介石軍による共産党員銃殺の光景。

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1938年11月13日、長沙市焼き払い(長沙大火Changsha fire)
11月13日は、1938年に支那軍が長沙市を焼き払った日だ。
支那軍は、日本軍が長沙に迫っているとの噂を信じ、長沙の街を略奪・放火した。
蒋介石は、長沙市を去る前に街を焼き払い、日本軍の仕業として宣伝しようと考えた。


中国は阿片を蔓延させたとして日本を非難(p97~p98)
  さあ、中国、あるいは蒋介石一派はこれに飛びついた。麻薬まみれになり、実際に麻薬吸引をやっているのは自分らなのに、悪臭ふん
 ぷんの悲しげな嘆願書を世界に向けて放ち始めた。日本は中国人に阿片を吸い、ヘロイン、コカインを使うようにと薦め、我国の精神と
 モラルを破壊しようとしているというわけである。中国に住む事情通の外国人には、これは笑い話でしかない。しかし、南京政府には、
 これはいつかばれると思う罪障からの逃げ道であり、反日のためのいいプロパガンダであり、宣伝なのだ。軍閥が忌み嫌う日本人は、彼
 らのひどい罪を背負わされて世界から非難されたのだ。

  私は故郷の町の所長の話を聞いたことがある。立派なやつだが、見事にこの嘘で欺かれていた。実業者団体に持ち込み、日本人が中国
 を麻薬患者であふれさせ、沢山の麻薬を持ち込んでいると非難する演説をしたというのである。

  ほかのどんな国民と比べても、日本人ほど女性や麻薬の売買を忌み嫌う国民はいない。しかし日本による満州の占領後まもなくから、
 若干のこういった連中、軍に随行する売春業者が入り込んでいた。我国で南北戦争に南部に入り込んだ一旗者と同じである。こういう
 ごろつきがいたことは日本も認めるだろう。彼らが中国の軍閥が残していった麻薬取引などを始めたのだ。しかしながら若干名であり、
 その取引や量においても、麻薬中毒習慣を中国や満州で広めているとして、日本の国や政府を責めるぼどのものではない。

  それにもかかわらず世界中の善男善女は、恐怖に陥り、思考停止になったままに、日本が哀れな国を征服しただけでなく、人々に阿片
 吸引を押し付けているというわけだ。実際の問題として満州国としての満州は日本がスポンサーであり、中国やロシアの支配時代より
 はるかに素晴らしい改善を示めしている。以前のご主人様の意のままだった満州の人々のひどい恐怖を日本が解放しなければ、満州は
 再び軍閥に強姦され、匪賊に蹂躙されるのだ。満州を繁栄させ、平和にし、満足できる国にすること、これは独創的なアイデアであった
 し、今もそうだ。それは北支が日本との貿易と商行為を歓迎することにつながるだろう。

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「The Battle of China」 
アメリカによるプロパガンダ映像に使われた
1937年の上海南駅爆撃直後の有名な「Chinese Baby 《中國娃娃》」の写真

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「The Battle of China」は、このように撮影班によって意図的に作られたものと
判明している。


日本人は宣伝が下手である。と、フレデリック・ヴィンセント・ウイリアムズは何度も書いてある。
また、一般的なアメリカ人も信じやすく、中国の事情がわかっていない。
これもまた、深遠な言葉で今現在でもそうなのではないだろうか?
この著者の本は、時間が経てば立つほど重要な証言として読まれるのでは?
誠実な心とジャーナリスト魂を感じます。

現在、また中国共産党はアメリカ、その他の国へ「南京大虐殺30万人」という虚構をプロパガンダとして
世界へ働きかけています。
蒋介石と同じように、中国共産党は日本を孤立させようとしています。
日本人すべてがこの事に気がついて欲しいと強く思います。






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by sahorikita | 2016-03-05 14:53 | Comments(0)
2016年 03月 01日

ずる賢い宋美齢。片手で麻薬中毒者を殺害し、その片手で麻薬を売る蒋介石。アメリカ人ジャーナリスト、フレデリック・ヴィンセント・ウイリアムズより③

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フレデリック・ヴィンセント・ウイリアムズ
(Frederic Vincent Williams)
1890年生まれのアメリカ人。
少年時代に外人部隊に所属したり各地を放浪する冒険者のような生活を続け、その見聞を新聞紙上で発表することからジャーナリストの道に進む。
サンフランシスコの新聞記者としてチャイナタウンの抗争事件を取材して有名となる。
日中戦争の起こる前から極東を取材旅行しながら共産主義の危険性に注目して、親日的立場から本書を執筆した。
日米関係の悪化を懸念しつつ、ラルフ・タウンゼントらとともに発言を続け、真珠湾攻撃後にタウンゼントと同じく逮捕され、16ヶ月から4年という不定期刑を言い渡される。
戦後の日本に再びやってきて、原爆を投下された長崎を訪れ、1956年に“The Martyrs of Nagasaki“(長崎の殉教者)という本を出版している。


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当時の原書 “Behind the news in China”。

著者は序文で、「私が初めて中国を旅したのは、一九三七年の日中両国が戦いを始める前であった。
上海と南京で、蒋介石政府の高官にインタビューしたのである。それから北京に行き、そしてシベリアの国境、それから満州国を南下し朝鮮、そして日本に行ったのである。
それから私は戦争が始まってから中国を再訪した。最初は中国軍と行動した。それから今度は日本軍とであった。
私は両方を見た。
世界の各地を見た新聞記者としての長年の経験から、何が起こっているのかを理解することができた。私は戦場を後にした。私は多くのものを学んだ。そして精魂込めて書き上げたのがこの著作である。」と述べている。

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こちらが訳本
この本の中から重要な箇所をピックアップしていきたいと思います。

目次 第四章 残虐きわまる中国軍を糊塗するプロパガンダ大作戦より抜粋
■中国軍による日本空襲?(全文抜粋 p59~p61)
  報復するのに何かいい方法はないだろうか?日本への空襲?しかしこの話は何度も討議されたことだった。重い爆弾を抱えて、日本の
 警戒をすり抜けることのできる飛行機などない。ロシア人パイロットでも成功しないだろう。アメリカ人ヨーロッパ人でも運があればの
 話だ。爆弾を抱えた飛行機は低空飛行を余儀なくされるから、発見されるのを覚悟しなければならない。しかし、爆弾なしでは?爆弾な
 しなら、軽い、軽い。千フィート、千二百フィート、千五百フィート以上の雲の上を高く飛べる。それで日本に何を?もちろん日本国民
 に向けたパンフレットだ。それは三つの目的を果たすだろう。新聞の一面と見出しから宿縣陥落を内のページに移し、重要でないものに
 する。世界(特にキリスト教世界)に、無辜の市民が爆撃で死んでいる現状に対して中国の軍閥は充分に情け深いという印象を植えつけ
 る。三番目は日本人に恐怖を与えることだ。
  それから一機の飛行機を飛ばすことが決定された。二機でも三機でもない。半ダースでもだめだ。たった一機だ。そしてその飛行機が
 帰ってきたとき、世界に宣伝するのだ。もし帰還しなかったならば、六機の飛行機が攻撃しに行ったということにするのだ。
  同時に日本国民への声明文もひそかに作成されて、タイミングもちょうど宿縣陥落間近かと重なっていた。たった一機が日本に向かっ
 て飛び立った。空高く雲の上を飛んだ。むろん爆弾がないからだ。不安な面持ちで蒋介石たちはその帰還を待った。その飛行機は日本の
 警戒を回避して充分高く飛んだ。それは日本本土まで届かなかった。日本の最南端のそのまた先っちょに到達して、一つそびえている山
 に向かって降下してパイロットをばら撒き、パイロットは無事に帰還した。
  早すぎる帰還ではなかったが、飛行機が着陸した瞬間に、蒋介石の宣伝班は世界に向けてニュースを発信した。しかも効果を上げよう
 と奇抜な金メッキがほどこされていた。六機の爆弾を持った飛行機が日本を深く侵入し、本土に到達、大工業都市である大阪(日本の
 シカゴ)の上を低く飛び、日本軍と市民を死ぬかと思うほど驚かしたと新聞記者たちは教えられたのだ。しかしこれらの六機の飛行機(
 実際は一機だが)は爆弾を落とさなかった(一機さえも爆弾は持たない)。落としたのはパンフレットだったが、それには「中国国民」
 からの「日本国民」への優しい訴えのメッセージが書かれてあった。

  宿縣は失陥したが、蒋介石の宣伝班は陥落を打撃に変えて連打した。外国――特にアメリカでは、新聞の黒いインクの見出しが金切り
 声を上げていた。「中国軍機が日本を空襲云々」。そして宿縣に関しては戦略上の要衝の失陥であるから、蒋介石とその政府の破滅であ
 ることを軍事的に封印し、新聞の片隅に閉じ込め、無価値なニュースになってしまった。日本空襲の記事を読んだ十分の一もいなかった
 だろう。
  日本人は「中国に空襲された」ことを、外国の新聞を読むまで知らなかった。四五日経ってから日本の農民が、最南端の寂しい山の麓
 からパンフレットを回収して憲兵に届けてきた。上海の国際租界では、「空襲」の記事が載った号外が有名店のホットケーキみたいに売
 り出された。それを買った中国人は肩をすくめて、記事を信用しなかった。中国人の間では蒋介石は大嘘つきとして評判を取っていた。
 だから彼らは蒋介石の宣伝局が報じるプロパガンダにひっかかるにしても、最後の人たちなのだ。
  しかしアメリカではお互いに見合って、真面目に頷きながら言うのだ。「ざまあ見ろ――日本軍は中国の町を空襲していた。今度は
 中国の番だぜ。

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日本の報道では↑

■ずる賢い宋美齢(全文抜粋 p61~p63)
  しかしである。一日ばかり後だった。極めつけとしか言いようのない大当たりがもたらされたのだ。蒋介石婦人はこれらを自ら発表し
 た。告白したのである。お茶の席で、彼女は特派員たちに、自分はキリスト教世界のことを知っている、知っていてよかったと告げた。
  多くの国の人はなんだろうと思った。彼女はなぜ日本を空襲した六機が、日本の町に市の雨を降らさないでパンフレットを撒いたのか
 そのわけを語った。そう、彼女は世界にその理由を語ったのだ。彼女は会議の結果、日本空襲を優先する数名の将軍たちは、勧告だけで
 なく強行に日本の都市爆撃を主張したと思われると打ち明けた。彼女はクリスチャンで、そのバイブルを夫はいつも持ち歩いている。
 夫は立ち上がり、バイブルに手を置いて感情をこめて宣言した。

 「こういうことはキリスト教的ではない。我々は世界に中国が人道的であることを示さなければならない。日本の野蛮人と同じことをし
 てはならない。つまり罪のない女子供の上に死の雨を降らせてはならない」

  さて、それは記録されていたのか?文明社会は立ち上がって驚いた。これは中国が文明化されたと言っているのだ。中国は世界が見せ
 て欲しいものを見せている。ここに町や村を敵によって空から爆撃されているだけでなく、自国の飛行機が敵国を空襲できるときでも、
 彼らと同じ行為を拒否する侵略された国の国民の統治者がいた。蒋介石婦人に味方する小利口な新聞どもは大きな同情の波を作り、宿縣
 の敗北と夫の軍の逃走をひた隠しにして、落ち込んだ穴の中から拾い上げ、別口で生涯の信用を与えたのである。軍需品の信用は強化さ
 れた。孔祥熙博士は私に言った。「中国は世界のシンパシーを獲得したのです」と。
  もしこれが本当にそうだったのなら、私は大きな行動を起こして総統に対する絶大な信頼を最初に表明するだろう。しかし、私はそう
 ではないと分かっている。プロパガンダと知っているのだ。なぜでっちあげられたのかも分かっている。どのようにでっちあげられたか
 も分かっている。
  私が中国、その恐ろしい戦場、骨と皮ばかりの町や村から帰ってきたとき、私は心に残る別の画像を消し去ることができなかった。
 持ちの政治家と軍閥とそのずる賢い妻、片手で麻薬中毒者を殺害しながら片手で同胞に麻薬をうっている将軍、立派なスピーチをして
 国民の改善を約束しながら、その軍隊を維持するために貧弱な稼ぎの中から貢物を取り立てて人々を飢え死にさせ、彼の家族と取り巻き
 は豪華な宮殿に住んでいる一人の軍閥の画像を。


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ライフ誌の表紙を飾る宋美齢

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エレノア・ルーズベルトと宋美齢

エレノア・ルーズベルトは、アメリカの大統領ルーズベルトの妻である。
こうして、アメリカの首脳陣に近づいて、大嘘をつき、日本がいかに残虐かという話をしたのであろう。
中国大陸の実情を見たこともないアメリカ人は、中国にいとも簡単にだまされていったのであろう。

ただ、私が今一番思うことは、現在進行中の中国共産党の「南京大虐殺のプロパガンダ」だ。
プロパガンダ映画をアメリカでも放映している。
今も蒋介石の時代でも、中国は同じことをしている。
そして、日本はプロパガンダに対して、政府はなんの対応もしていない。
同じあやまちを犯すのは愚かなことだと思うのです。
頑張っているのは、民間人ばかりである。

アメリカと日本の仲を裂くことで、有利に展開しようとしている。
中国は、日本を孤立させるよういつも考えている。

まずは、自虐史観から脱出して、事実の歴史を知る人が増えて欲しいと祈るばかり。

どころで、宋美齢のことを美しいと形容する文章をみるが、私からすると「顔のでかいおばはん」である。
悪い中国人(尊大で良心のかけらもない、良心のない方の中国人)としか思えません。




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by sahorikita | 2016-03-01 23:29 | Comments(0)