2016年 06月 28日

19.フーバー大統領が明かすルーズベルトの罪状(日米戦争を起こしたのは誰か) ★戦後世界に共産主義の種を撒いてしまった事

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第三代アメリカ合衆国大統領 任期(1929年~1933年)
ハーバード・フーバー(Herbert Hoover:1874~1964年)

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2011年にフーバー研究所から刊行された
フーバー大統領の膨大な回想録
『フリーダム・ビトレイド』(裏切れれた自由)
この著書は全900ページを超える大著。日本では、訳本はまだ出ていない。
フーバーはこの大著で、東京裁判史観を真っ向から全否定している。

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フーバー大統領の著書を部分的にエッセンスをまとめた本がこちらである。
こちらの本の中の一部、フーバー大統領が指摘した19の過ちを紹介したいと思います。

■第19の過ち 戦後世界に共産主義の種を撒いてしまった事
  「モスクワ会議、テヘラン会議、ヤルタ会議、ポツダム会議そして誤れる対中政策を通じて、第3次世界大戦を引き起こす
  危険のある竜の歯が、世界中の至る所にばらまかれた。その結果何年もの「冷戦」が続き、おぞましい朝鮮戦争が勃発し、
  北大西洋同盟が弱々しく成立したが、アメリカが再び敗北する危険は常につきまとっていた。〔抄訳〕(p132より)
   
  
 The Dragon's Teeth of World War Ⅲ
 Nineteenth. From the Moscow, the Teheran, Yalta and the Potsdam Confer, the policies as to China, the dragons
 teeth of a third world was were sown in every quarter of the world and we were to see "the cold war" overyears
 and finally the hideous war in Korea and the feeble North Atlantic Alliance with all its dangers of American defeat
 again.(以下省略、原典P882)

 
 説明の対談は藤井厳喜氏×稲村公望氏×茂木弘道氏
 対談の内容の解説を分かりやすくまとめました。↓

19番目。モスクワ、テヘラン、ヤルタ、ポツダムの会議そして対中政策の錯誤が重なって、冷戦の原因になっていきます。
 まず朝鮮戦争、ベトナム戦争になった。NATO(北大西洋条約機構)もできたけれど、脆弱だとフーバーは見る。
 第3次世界大戦を引き起こす可能性のある「竜の歯」が世界の至る所にばらまかれた。この「竜の歯」という表現は、
 「災いの種」という意味で、ギリシャ神話からきた表現でたいへん面白い言い方をフーバーはしています。
 アメリカは、共産中国を成立させ、上半身が共産党独裁、下半身が擬似資本主義みたいなへんてこなものを作ったと。
 ソ連との冷戦が第3次世界大戦とするならば、米中新冷戦は第4次世界大戦かもしれないと読み解いています。

 対談者の方々は、ルーズベルト政権はアメリカの国益を代表した政権でもなんでもない。どんな政権でも国益の一部を代表
 するに過ぎないだろうけど、F・ルーズベルト政権ぐらい大きくアメリカの国益に反していた政権はなかったのではないか?
 中国共産党を伸ばしたのはアメリカであり、人物として、まずはじめはフランクリン・ルーズベルト。次はリチャード・
 ニクソンである。

 ルーズベルトの罪状は、19番目で終わるのですが、やはり最後は、キリスト教の原則にもどって、共産主義が広まるのを
 許してきたのは間違っているとフーバーは締めくくっています。1952年、アイゼンハワーが当選したとき、それをもって
 良きアメリカの復活の兆候だというところで、この記述は終わります。


 ★しかし、それから時間は随分と流れ、中国のAIIBの発足にヨーロッパの国がアメリカの意に反して加盟した。
  アメリカはここから親中から反中へと流れを変えている。
  フーバー大統領の予言とも思われる分析能力には誠実さと、現実に即したまなざしに強い共感を感じました。
  もしよろしかったら、著作を手にとって欲しいと思います。



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# by sahorikita | 2016-06-28 20:53 | Comments(0)
2016年 06月 28日

18.フーバー大統領が明かすルーズベルトの罪状(日米戦争を起こしたのは誰か) ★毛沢東に中国を与えたこと

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第三代アメリカ合衆国大統領 任期(1929年~1933年)
ハーバード・フーバー(Herbert Hoover:1874~1964年)

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2011年にフーバー研究所から刊行された
フーバー大統領の膨大な回想録
『フリーダム・ビトレイド』(裏切れれた自由)
この著書は全900ページを超える大著。日本では、訳本はまだ出ていない。
フーバーはこの大著で、東京裁判史観を真っ向から全否定している。

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フーバー大統領の著書を部分的にエッセンスをまとめた本がこちらである。
こちらの本の中の一部、フーバー大統領が指摘した19の過ちを紹介したいと思います。

■第18の過ち 毛沢東に中国を与えたこと
  「トルーマン、マーシャルとアチソンが中国に関して、政治の大道を見失ったのが第18番目の過ちである。ルーズベルトは、
  蔣介石が共産党と協力することにこだわって、中国に関する裏切りの秘密協定がヤルタでできた。その結果モンゴルと、
  事実上満州をロシアに手渡すことになった。トルーマンは全中国を共産主義者の手に委ねてしまった。それはトルーマンの
  左翼の側近の根強い影響の為である。彼らはマーシャル将軍を特使に任命させ、マーシャルを通じて彼らの意思を代行させ
  たのだった。そしてとどのつまりは、4億5000万ものアジア人を、モスクワ傘下の共産主義の傀儡政権の手に委ねることに
  なってしまった。トルーマンは、政治の大道を踏み外し、巨大な過ちを犯したのだった〔抄訳〕(p128~p129より)
   
  
 Giving China to Mao Tse-Tung
 Eighteenth. The eighteenth series of steps in loss of statesmanship was by Tru-man, Marshall and Acheson in
 respect to China. (以下省略、原典P882)

 
 説明の対談は藤井厳喜氏×稲村公望氏×茂木弘道氏
 対談の内容の解説を分かりやすくまとめました。↓

  18番目。ようするに中国共産党に中国を手渡す路線をしいてしまったということ。
 トルーマン、マーシャル、アチソンのチャイナに関する一連の決断が間違っていたことをフーバーは指摘している。
 はっきり言えば蔣介石をもっと支援して、共産党と徹底して戦わせればよかった。中国共産党の背後にスターリンがいる
 のだから。しかし、アメリカは共産党と仲良くして連立政権を作れと蔣介石に無理なことをいい、どんどん蔣介石の力が
 衰えて、その間に共産党が広まっていった。ウェデマイヤーがマーシャルにについて「判断を完全に誤っている」と言っ
 ている。また、そしてアメリカが蔣介石をしっかり支援していれば、揚子江の南には中華民国は残っていただろうに、と
 残念がっていた。
  そのような動きの中、肝心な人物がいた。ロークリン・カーリー、大統領特別顧問補佐官で中国担当の人物である。
 この人物カーリーは、戦後、コミンテルンのスパイとして南米に逃げた人物である。カーリーは、アメリカの中国政策の
 中心的な役割を果たしていた。日本からの和平提案甲案、乙案を否定したのは中国(蔣介石)が強く反対したからだと
 言われている。それで最後通牒であるハル・ノートになったという説明が普通に行なわれてが、実際には、乙案までも
 否定するよう圧力をかけたのは、カーリーであったのではと?
  スパイということがばれたということから、このような推測が出来ると述べています。

  また、日本が終戦を迎えて占領のころになると、中国では国共内戦が起こる。この時期は完全にトルーマンの時代のことだ。
 トルーマン政権内の共産主義シンパは、蔣介石に軍事援助を与えることを妨害した。国務省は当時、真っ赤であり、中国は
 モスクワの共産主義傀儡政権の支配する所となった。これこそがまさに政治の大道からの逸脱だと指摘している。

  これが中国の運命を大きく歪めてしまった。コミュニストが、毛沢東はジェファーソンのような素晴らしい人だという宣伝を
 エドガー・スノーらがしたのである。当時は、この宣伝を本気にする人が、知識人を中心に多かったため、アメリカの世論に
 悪影響を与えたと締めくくっています。
 
 *注 エドガー・スノー(Edgar Snow' 1905-1972)
    アメリカのジャーナリスト。中国共産党を取材し、その宣伝に協力した。
    特に毛沢東に接近し、彼の中国革命を賛美した『中国の赤い星』は著名。


 
    
  ★コミンテルンのスパイ活動やアメリカの政権が赤く染まっていたことなどが明確に述べられていて、
   とても興味深いと思います。それと、宣伝戦の威力というものも感じます。
   現在、中国と韓国、北朝鮮の宣伝戦に巻き込まれ、日本のマスコミが手を貸している状態に危機を感じています。




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# by sahorikita | 2016-06-28 20:51 | Comments(0)
2016年 06月 26日

17.フーバー大統領が明かすルーズベルトの罪状(日米戦争を起こしたのは誰か) ★原爆投下

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第三代アメリカ合衆国大統領 任期(1929年~1933年)
ハーバード・フーバー(Herbert Hoover:1874~1964年)

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2011年にフーバー研究所から刊行された
フーバー大統領の膨大な回想録
『フリーダム・ビトレイド』(裏切れれた自由)
この著書は全900ページを超える大著。日本では、訳本はまだ出ていない。
フーバーはこの大著で、東京裁判史観を真っ向から全否定している。

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フーバー大統領の著書を部分的にエッセンスをまとめた本がこちらである。
こちらの本の中の一部、フーバー大統領が指摘した19の過ちを紹介したいと思います。

■第17の過ち 原爆投下
  「第17番目のアメリカの政治の大道からの逸脱は、トルーマンが日本人の上に原子爆弾を落とすという非道徳的な命令を
  下したことである。日本は繰り返して和平を求めていたにもかかわらず。
これはアメリカの全ての歴史のなかで、他に比較
  するもののない残虐な行為であった。これはアメリカの良心に対して、永久に重くのしかかるであろう」(p127より)
   
  
 Dropping the Atomic Bomb
 Seventeenth. The Seventeenth wandering of American statesmanship was Truman's immoral order to drop the
 atomic bomb on the Japanese, Not only had Japan been repeatedly suing for peace but it was the act of unparalleled
 brutality in all American history. It will forever weigh on the American conscience.(以下省略、原典P882)

 
 説明の対談は藤井厳喜氏×稲村公望氏×茂木弘道氏
 対談の内容の解説を分かりやすくまとめました。↓

 17番目が原爆の投下。トルーマンが非道徳の命令を下した。これは、トルーマンが原爆を落としたこと。
 アメリカの良心に永久に重くのしかかる事件であると、フーバーは素直にその過ちを認めている。
 実行したのはトルーマンだが、計画を作ったのはルーズベルトです。



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# by sahorikita | 2016-06-26 19:58 | Comments(0)
2016年 06月 26日

16.フーバー大統領が明かすルーズベルトの罪状(日米戦争を起こしたのは誰だ) ★トルーマンのポツダムでの決断

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第三代アメリカ合衆国大統領 任期(1929年~1933年)
ハーバード・フーバー(Herbert Hoover:1874~1964年)

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2011年にフーバー研究所から刊行された
フーバー大統領の膨大な回想録
『フリーダム・ビトレイド』(裏切れれた自由)
この著書は全900ページを超える大著。日本では、訳本はまだ出ていない。
フーバーはこの大著で、東京裁判史観を真っ向から全否定している。

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フーバー大統領の著書を部分的にエッセンスをまとめた本がこちらである。
こちらの本の中の一部、フーバー大統領が指摘した19の過ちを紹介したいと思います。

■第16の過ち トルーマンのポツダムでの決断
  「ポツダムにおけるトルーマンの過ちが、第16番目の過ちである。民主国家では、経験の無い人物に政権が渡され、共産主義者が、
  重要な場所に進出して来た。ポツダムでの合意の全てが、スターリンに対して降参したことを追認したり、拡大することであった。
  共産主義者による併合と傀儡政権が、スターリンとの繋がりを強化されたばかりではなく、ドイツとオーストリアの一部が
  スターリンとの繋がりを強化されたばかりでなく、ドイツとオーストラリアの一部がスターリンの懐に入ってしまうような政府に
  関する条項が決定された。賠償の政策の結果は、米国の納税者の数億ドルもの金が、職を失ったドイツ人の救援の為に使われ、
  かえってドイツだけでなく、ヨーロッパの再興を遅らせた。戦争捕虜が奴隷のようになり、自らの土地から民族追放が行なわれる
  ことが承認され、ヤルタでのそうした愚策が拡大された。これに加えて、指導者の人々の忠告に反して、日本に無条件降伏の
  最後通牒がだされたことである。
アメリカの経験ある多くの専門家が勧告した、天皇(みかど)を維持することを許す救済条項を
  入れないで、無条件降伏を要求したのである。日本側は、回答として、この条件のみを求めたが、原子爆弾が投下された。そして、
  最後になって、この条件が受け入れられた。〔抄訳〕(p124~p125より)
   
  
 Potsdam
 Sixteenth. The sixteenth time ofblind statesmanship was Truman at Potsgam..........(以下省略、原典P881)

 
 説明の対談は藤井厳喜氏×稲村公望氏×茂木弘道氏
 対談の内容の解説を分かりやすくまとめました。↓

 16番目がポツダムでのトルーマンの誤った判断をフーバーは指摘している。
 ポツダム宣言は7月26日です。そしてポツダム宣言を受け入れたのは8月10日。御聖断が下ったのは8月10日の午前2時であった。
  政権はトルーマンに移っているのですが、民主国家では経験のない人物に政権が渡されたと言うのは、共産主義者がいろいろ
 な場所に出現した当時のアメリカのことを指している。
ポツダムでの合意すべてが、スターリンに対して降参したことを追認し
 たり、拡大することであった、とフーバーは批判をしている。
  スターリンはポツダムに来たが、ポツダム宣言には参加していない。それは、日ソ中立条約で、7月26日にはまだ日本と戦って
 いないことが理由である。あとポツダム宣言は日本を武装解除し、兵隊を平和な家庭に戻す、と言ったものである。ところが、
 スターリンは60万人の日本兵をシベリアに連れていった。シベリア拘留のことである。これはソ連による国際法違反の拉致事件
 であり、ポツダム宣言の違反であった。「戦争捕虜が奴隷のように」強制移送したのである。そして、シベリアの拘留者の訳10%
 が殺されている。


 *注 シベリア拘留とは
     第二次代戦後に投降した日本兵捕虜約60万人を、ソ連がシベリアへ強制移送し、強制労働を伴う抑留生活を
    強いたことを総称する。捕虜を日本に復帰させるというポツダム宣言に背く処置であった。拘留中の日本人
    死者は約5万3000人に上るとみられている。


  ★共産主義者というのは、目的を達する為には手段を選ばないこと。このことが強く心に残ります。
   また、非常に残虐な手段や、約束は守らないということも認識します。
   日本を戦争に追いやったのは、共産主義者であったと痛感します。



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# by sahorikita | 2016-06-26 19:57 | Comments(0)
2016年 06月 21日

15.フーバー大統領が明かすルーズベルトの罪状(日米戦争を起こしたのは誰か) ★1945年5月~7月日本の和平提案を拒否した事

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第三代アメリカ合衆国大統領 任期(1929年~1933年)
ハーバード・フーバー(Herbert Hoover:1874~1964年)

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2011年にフーバー研究所から刊行された
フーバー大統領の膨大な回想録
『フリーダム・ビトレイド』(裏切れれた自由)
この著書は全900ページを超える大著。日本では、訳本はまだ出ていない。
フーバーはこの大著で、東京裁判史観を真っ向から全否定している。

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フーバー大統領の著書を部分的にエッセンスをまとめた本がこちらである。
こちらの本の中の一部、フーバー大統領が指摘した19の過ちを紹介したいと思います。

■第15の過ち 1945年5月~7月日本の和平提案を拒否した事
  「1945年の5月、6月、7月と、日本は白旗を揚げて和平を求めていたが、トールマンはこれを拒否した。トールマンは、
  ルーズベルトの無条件降伏という愚かな条件に従う義務は無かったのだが。ヨーロッパにおける米国の軍事指導者達は、
  無条件降伏にこだわる事に反対していたのだ。日本との和平はただひとつの譲歩で達成できた。それは天皇の地位の保全
  である。日本の天皇は世俗国家の元首であるばかりでなく、国民の精神的権威でもある。天皇の地位は信仰と伝統に基づく
  ものなのだ。米国側が、最終的にこの条件を受け入れたのは、数十万の人命が犠牲になった後であった。〔抄訳〕
  (p120~p121より)
   
  
 The British-French Guarantee of Poland and Rumania in 1939
 Fourth. The fourth abysmal loss of statesmanship was when the British and French guaranteed the independence
 of Poland and Rumania at the end of March, 1939..........(以下省略、原典P877)

 
 説明の対談は藤井厳喜氏×稲村公望氏×茂木弘道氏
 対談の内容の解説を分かりやすくまとめました。↓

 ナチスは5月に降伏し、5月、6月、7月と日本は白旗を揚げていた。それに対しトルーマンは、それを認めることを拒否した。
 原爆を落とした後に、ようやく認めたのである。戦争の犠牲者を増やす必要はあったであろうか?
 日本は天皇の地位の保全を約束すれば、日本は容易に降伏できたのである。満州だって昔にもどしてもいいと、日本は和平提案
 を求めていたが、全部拒否し、無条件降伏にこだわった。戦争を早く終わらせようという意思がなく、無条件降伏という
 ルーズベルトの考えにトルーマンは縛られていた。

 最終的に和平提案を受け入れたのは、「日本でなくアメリカが受け入れたということ」とフーバーは言う。
 ところが日本の歴史教育では、日本がポツダム宣言を無視したから犠牲者が増えたと教えている。

 ★私自身もフーバー大統領の回顧録を知るまでは、ぉ恥ずかしながらハッキリした認識ができずうやむやな部分でしたが、
  順序がよく分かりなるほどと納得しました。
  ところが日本の歴史教育では、日本がポツダム宣言を無視したから犠牲者が増えたと教えている。の部分は
  アメリカに都合がいいようになっている。通説が正しいとは限らないことを身にしみて感じます。








  

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# by sahorikita | 2016-06-21 22:35 | Comments(0)