さほりさんの自虐史観からの脱却

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2016年 06月 21日

14.フーバー大統領が明かすルーズベルトの罪状(日米戦争を起こしたのは誰か) ★ヤルタの秘密協定

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第三代アメリカ合衆国大統領 任期(1929年~1933年)
ハーバード・フーバー(Herbert Hoover:1874~1964年)

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2011年にフーバー研究所から刊行された
フーバー大統領の膨大な回想録
『フリーダム・ビトレイド』(裏切れれた自由)
この著書は全900ページを超える大著。日本では、訳本はまだ出ていない。
フーバーはこの大著で、東京裁判史観を真っ向から全否定している。

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フーバー大統領の著書を部分的にエッセンスをまとめた本がこちらである。
こちらの本の中の一部、フーバー大統領が指摘した19の過ちを紹介したいと思います。

■第14の過ち ヤルタの秘密協定
  「ルーズベルトとチャーチルは、致命的な間違いを1945年2月のヤルタで犯した。スターリンが12の国々の独立に対して
  干渉を加えることを追認しただけでなく、数世代に亘って国際関係に危険をもたらす、悪しき勢力の動きを助長するような
  秘密の協定が結ばれた。スターリンが傀儡の国家を7つ作ったことを知りながら、「自由で妨害されない」とか、言葉を
  繕って、スターリンの暴虐に水を差さないで隠蔽した。テヘランに於いて、軍事上の妥協を最も協力に主張した向きも、
  ヤルタでは、そうした主張をもうしなかった」(p119~p120より)
   
  
 Yalta-the Secret Agreements on the Downfall Nations
 Fourteenth. The fourteenth fatal loss of statesmanship was by Roosevelt and Churchill at Yaltain
February, 1945..........(以下省略、原典P880)

 
 説明の対談は藤井厳喜氏×稲村公望氏×茂木弘道氏
 対談の内容の解説を分かりやすくまとめました。↓

 14番目がヤルタ。
 ソ連の要求が増えていって、12になる。ここで12の国々の独立に対して干渉を加えることを追認しただけでなく、数世代に
 渡って国際関係に危険をもたらすような秘密の協定が多数結ばれる。フーバーは「言葉を繕って、スターリンの暴挙に水を
 差さないで隠喩した」と批判しています。人類の自由と品格のためにも反論すべきであったとフーバーは回顧している。

 ★言葉を繕って、スターリンの暴挙に水をささないでということは、どういうことか?
  少し、解説をします。スターリンは、ここを自分の勢力にするという言葉を使わず、自由とか民主政治とかという言葉を
  使い、実際は虐殺などを行い、傀儡国家を作っていったのである。
  例として「カチンの森の虐殺」を上げます。「カチンの森の虐殺」とは、第二次世界大戦中に、ポーランドの将校や
  警察官ら約2万2000人が、ソ連のグニェズドヴォ近効の森で殺害された事件がある。1939年のソ連・ドイツによる
  ポーランド割譲によって捕虜になったポーランド軍人などを、ソ連赤軍がスターリンの命で殺害した事件である。
  当初はナチスドイツによる殺害と言われていた事件である。
   自由とか民主政治という言葉を使いながら残虐な虐殺をソ連は行なっていたのである。これを、ルーズベルトとチャーチルは、
  見てみぬふりすることに決めたということを、フーバーは批判しているのである。


  しかし、日本軍が残虐なことをした!(プロパガンダ)と中国や韓国が言うが、
  世界を見渡して、残虐さを競ったら、欧米もロシア(ソ連)も酷いものである。
  中国人だって簡単に罪の無い人を殺し、朝鮮戦争も罪のない人を多く殺している。
  日本にそんな例があるだろうか?
  捏造のされたことばかりがはびこるのは、日本人は残虐でない証拠だと思っている。
  
 

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# by sahorikita | 2016-06-21 22:34 | Comments(0)
2016年 06月 19日

13.フーバー大統領が明かすルーズベルトの罪状 ★1943年12月、7つの国家にソ連の傀儡政権の押し付けを認めてしまった事

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第三代アメリカ合衆国大統領 任期(1929年~1933年)
ハーバード・フーバー(Herbert Hoover:1874~1964年)

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2011年にフーバー研究所から刊行された
フーバー大統領の膨大な回想録
『フリーダム・ビトレイド』(裏切れれた自由)
この著書は全900ページを超える大著。日本では、訳本はまだ出ていない。
フーバーはこの大著で、東京裁判史観を真っ向から全否定している。

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フーバー大統領の著書を部分的にエッセンスをまとめた本がこちらである。
こちらの本の中の一部、フーバー大統領が指摘した19の過ちを紹介したいと思います。

■第13の過ち 1943年12月、7つの国家にソ連の傀儡政権の押し付けを認めてしまった事 
  「第13番目の間違いであり、ルーズベルトとチャーチルがふらついて一番混乱した例のひとつであるが、1943年12月の
  テヘランでの会議である。ここで、第12番目の、ロシアによるバルト諸国などの併合が確認され、スターリンが、友好的な
  国境の諸国を名付けた、傀儡政権の7カ国を承認したことである。国際的な動議と彼ら自身(ルーズベルトとチャーチル)の
  諸国への独立と約束と、自由な人間への忠誠に則り、ルーズベルトとチャーチルはスターリンに対して反対すべきであった。
  それまで、こうした併合に対する合意や、黙認と妥協をスターリンと行なうことが必要であるほどの、軍事的な危険は存在
  しなかったのである」〔抄訳〕(p117)
   
  
 Teheran and lts Sacrifice of Seven More Nations
 Thirteenth. The thirteenth and possibly one of the greatest of all confused wanderings in Roosevelt's and
Churchill's statesmanship was at Teheran in December, 1843..........(以下省略、原典P880)

 
 説明の対談は藤井厳喜氏×稲村公望氏×茂木弘道氏
 対談の内容の解説を分かりやすくまとめました。↓

 13番目の間違いは、ルーズベルトとチャチールの確信がふらついて、一番混乱した例の一つが1943年12月のテヘラン会談で
 あったとフーバーは言います。ここでソ連によるバルト諸国その他の併合が確認され、スターリンがそれらの国を「友好的な
 国境の諸国」と名付けた。自分の支配下、もしくは傀儡国家を「友好的な国境の諸国」と言ったということである。
 傀儡政権7カ国を認めたのである。ロシアによる軍事的危険はなかったのであるから、チャーチルとルーズベルトは、国際的
 道義を忘れずにスターリンに反対するべきであったと述べています。

 ★なぜかソ連に対しては、道義を無視してでもチャーチルもルーズベルトも、ソ連に甘いのである。
  ソ連は、やりたい放題が許されているのである。
  私は、いつも不思議でしかたありません。
 

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# by sahorikita | 2016-06-19 22:26 | Comments(0)
2016年 06月 19日

12.フーバー大統領が明かすルーズベルトの罪状(日米戦争を起こしたのは誰か) ★1943年10月のバルト三国とポーランド東部のソ連への譲渡

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第三代アメリカ合衆国大統領 任期(1929年~1933年)
ハーバード・フーバー(Herbert Hoover:1874~1964年)

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2011年にフーバー研究所から刊行された
フーバー大統領の膨大な回想録
『フリーダム・ビトレイド』(裏切れれた自由)
この著書は全900ページを超える大著。日本では、訳本はまだ出ていない。
フーバーはこの大著で、東京裁判史観を真っ向から全否定している。

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フーバー大統領の著書を部分的にエッセンスをまとめた本がこちらである。
こちらの本の中の一部、フーバー大統領が指摘した19の過ちを紹介したいと思います。

■第12の過ち 1943年10月のバルト三国とポーランド東部のソ連への割譲
  「第12番目の過ちは、1943年10月のモスクワでの外務大臣会合で、自由とか民主政治といった用語が飛び交うなかで、
  ロシアが、バルト海諸国、東ポーランド、東フィンランド、ベッサラビア、とブコビナを併合(これはヒトラーが合意
  していた)する事に抗議の声があがらなかったことである。この沈黙は、大西洋憲章とルーズベルトが約束した
  「四つの自由」を最終的に放棄するものであった。」〔抄訳〕(p115)
   
  
 The Sacrifice of the Baltic States and East Poland at Moscow, October,1943
 Twelfth. The twelfth error of lost statesmanship was the sacrificed for free nations at the Foreign Ministers
meeting at Moscow,in October 1943..........(以下省略、原典P880)

 
 説明の対談は藤井厳喜氏×稲村公望氏×茂木弘道氏
 対談の内容の解説を分かりやすくまとめました。↓

12番目の過ちは、要するに共産ソ連がこういった国を自分の勢力圏に入れてしまうということに抗議できなかった。
 明らかに大西洋憲章や「四つの自由」の約束を放棄するものであり、ソ連に有利なことをしてしまったということ。
 「四つの自由」とか格好の良いことをいっていたが、実際はそんなことはどうでもよく、いつもソ連はやりたい放題
 させ、それをアメリカは黙認してしまうという事実を指摘。
 ルーズベルトが起こした戦争は、第二次世界大戦の大儀がなくインチキだとも指摘しています。

 ★いつも思うのは、ルーズベルトは、スターリン共産主義者に甘く、民主主義の国アメリカ政府が何故そこまで甘いのかが、
  不思議である。ルーズベルトの周りには共産主義者のスパイがとりかこんでいたというが、私は共産主義者と内通する
  スパイそのものにも思えてくるのです。
  そんな突飛な想像をしてしまいます。




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# by sahorikita | 2016-06-19 22:18 | Comments(0)
2016年 06月 17日

11.フーバー大統領が明かすルーズベルトの罪状(日米戦争を起こしたのは誰か) ★無条件降伏の要求

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第三代アメリカ合衆国大統領 任期(1929年~1933年)
ハーバード・フーバー(Herbert Hoover:1874~1964年)

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2011年にフーバー研究所から刊行された
フーバー大統領の膨大な回想録
『フリーダム・ビトレイド』(裏切れれた自由)
この著書は全900ページを超える大著。日本では、訳本はまだ出ていない。
フーバーはこの大著で、東京裁判史観を真っ向から全否定している。

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フーバー大統領の著書を部分的にエッセンスをまとめた本がこちらである。
こちらの本の中の一部、フーバー大統領が指摘した19の過ちを紹介したいと思います。

■第11の過ち 無条件降伏の要求
  「第11番目のルーズベルトの壮大な過ちは、1943年1月のカサブランカにおいて、枢軸国の無条件降伏を要求したことである。
  ルーズベルトは、米軍の助言も、チャーチルの助言も聞き入れずに、新聞の一面の見出しを狙った。無条件降伏の要求は、敵国
  の軍国主義者や扇動者に利用され、ドイツ、日本、イタリアとの戦争を長引かせた。ところが、実際の戦争の終わりには、
  日本とイタリアには、譲歩したのである。ドイツに関しては、ナチスをなくさない限り、平和は有り得ないから、無条件の要求
  はドイツの和平への希望を失わせただけであった。戦争の終結の仕方が余りにも酷かった為、ドイツを再建する基礎となるもの
  が失われてしまった。〔抄訳〕(p111~p112より)
   
  
 The Demand for Unconditional Surrender
 Eleventh. The eleventh gigantic error in Roosevelt's statesmanship was demand for "Unconditional Surrender" at
Casablanca in January, 1943, where without our military, or even Churchill's advice, He was seeking a headline.
..........(以下省略、原典P879)

 
 説明の対談は藤井厳喜氏×稲村公望氏×茂木弘道氏
 対談の内容の解説を分かりやすくまとめました。↓

 これが11番目のステーツマンシップからの逸脱であるとフーバーは述べている。
 1943年1月のカサブランカ会議においてルーズベルトは「無条件降伏」ということを言い始めます。無条件降伏という
 アメリカの南北戦争のときに出てくる言葉でもあった。これにこだわったので南北戦争はより残酷になり、長引いたと
 いうことを軍事の専門家は大体指摘している。『ウェデマイヤー回想録』にもそのことが詳細に書いている。
 この時にルーズベルトにスターリンがすごいことを言った。始めは条件付降伏で屈服させたあとに、無条件降伏にした
 らいいんだと。まさに、日本はそれをやらされた。
 それはどういうことかと言うと、ポツダム宣言の13項目をミズリー号上でサインして、日本軍隊が無条件降伏し軍が武装
 解除したら、13項目は無視された。軍隊だけに適用される無条件降伏が、軍以外にも及んだのである。
 政治的には条件を残したはずだったのに・・・・・。

 解説では、実はもっと調べていくと、カサブランカの会議で無条件降伏なんて議論もされていない。チャーチルにもスターリン
 にも言わず、ルーズベルトは記者会見のときに、いきなり言った。アメリカの参謀、幹部にも何も相談していない。
 いきなり無条件降伏というマスコミ受けする記者会見をしたのである。国民はそういう強硬なことを喜ぶであろうという計算の
 もとマスコミを利用し、国務省も従わざるを得ない空気を作っていたのです。


 ★ルーズベルトは、非常に謎の多い人物である。
  アメリカ国民をうまくだまし、戦争に導き、日本に戦争をふっかけさせ、何故かスターリンという共産主義者に甘く
  何をしたかったのか?いつも疑問を感じるところであります。
  「狂人ルーズベルト」ということを著書で書いている方もいる。それほど戦争を何故したかったのか?
  この点も疑問です。



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# by sahorikita | 2016-06-17 22:15 | Comments(0)
2016年 06月 17日

10.フーバー大統領が明かすルーズベルトの罪状(日米戦争を起こしたのは誰か) ★日本との3ヵ月の冷却期間を拒絶した事

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第三代アメリカ合衆国大統領 任期(1929年~1933年)
ハーバード・フーバー(Herbert Hoover:1874~1964年)

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2011年にフーバー研究所から刊行された
フーバー大統領の膨大な回想録
『フリーダム・ビトレイド』(裏切れれた自由)
この著書は全900ページを超える大著。日本では、訳本はまだ出ていない。
フーバーはこの大著で、東京裁判史観を真っ向から全否定している。

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フーバー大統領の著書を部分的にエッセンスをまとめた本がこちらである。
こちらの本の中の一部、フーバー大統領が指摘した19の過ちを紹介したいと思います。

■第10の過ち 日本との3ヵ月の冷却期間を拒絶したこと
   「昭和16年の11月に、天皇陛下が3ヵ月間のスタンドスティル、すなわち冷却期間をおこうとの提案を、駐日の米国大使を
  通じてされたが、ルーズベルトは是を拒否した。米国の軍高官も、冷却期間の提案を受け入れるべきであると大統領に促し
  た。当時、日本はロシアが、同盟関係にあったヒトラーを打倒する可能性を警戒していたのである。90日の冷却期間があって、
  (戦端開始の)遅れがあれば、日本から全ての戦意を喪失させて、太平洋で戦争する必要を無くしたに違いない。
   スティムソンの日記が明らかにしたように、ルーズベルトとその幕僚は、日本側から目立った行動が取られるように挑発す
  る方法を探していたのだ。だから、ハルは、馬鹿げた最後通牒を発出して、そして我々は真珠湾攻撃で負けたのだ。損害が
  どんどん発生して、(東)南アジアで日本が勝利し占領することは、予想できなかったのだ。更には、アメリカは制海権を
  ヒトラーと東條は、米国の海岸が見えるところで、アメリカの船舶を破壊することができるようになったのである。
  〔抄訳〕(p106~p107より)
   
  
 Refusal to Accept a 3 Month's Stand-Still Agreement with Japan
 Tenth. The tenth loss of statesmanship was the refusal to accept the proposals which his Ambassador informed him
came from the Emperor of Japan for a three month's stand still agreement in November, 1941........(以下省略、原典P879)

 
 説明の対談は藤井厳喜氏×稲村公望氏×茂木弘道氏
 対談の内容の解説を分かりやすくまとめました。↓

 これは最後の日本の提案のことを言っています。この提案は甲案と乙案があったアメリカとの交渉のことです。
 日本としては、甲案が理想的であったが、アメリカの強行な態度もあり、妥協的な案が乙案であった。乙案の内容が、3ヵ月間の
 現状維持をして、その間にさらなる妥協の機会を見つけようとした暫定案である。
 しかし、ルーズベルトはそれを拒否したのである。
 フーバー大統領は、ハルノートが最後通牒だったと言っている。
 日本軍の強硬派でも、対英米開戦というのはちょっと待てよ・・・という所があった。3ヶ月間というのは日本にとっても冷却期間
 になるはずであったが、逆にルーズベルトから言えば、とにかく日本を叩いて早く開戦させなきゃ駄目だ、3ヵ月待ったら日本は
 もう乗ってこないと踏んでいたのである。
 解説の中で、日本の先制攻撃でアメリカは計り知れないぐらいの損失を被ったと書いてあるが、これはドイツのことであり、
 日本のことではない。ドイツはメキシコ湾岸の海上でアメリカの商戦破壊を始めたことを言っている。
 あと、日本海軍は通商破壊と自国のシーレーン守るよりも、相手の軍艦を沈めることに重きを置いていたことのまずさにもふれて
 いる。軍艦を沈めると50点の評価が、商戦にて相手国のシーレーンを断つ仕事は10分の1の評価であった。評価を気にするあまり
 海軍は非常識な考え方を持っていたことを指摘しています。


 ★日本はまんまとルーズベルトに嵌められていった。
  私が歴史を通して思うのは、日本は海外に向けて、宣伝戦(事実を声を大きくしていう)をすることに考えが及ばない。
  ハル・ノートの内容を世界に発信したらよかったのではないか?と思う。
  ハル・ノートはルーズベルトの腹心数人しか知らなかったということを知ってから、思うのですが・・・。
  アメリカ人はハル・ノート存在すら知らなかったのですから・・・・。
  

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# by sahorikita | 2016-06-17 22:14 | Comments(0)