2016年 05月 16日

4.フーバー大統領が明かすルーズベルトの罪状(日米戦争を起こしたのは誰か) ★英仏の「ポーランドとルーマニア」への独立保障

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第三代アメリカ合衆国大統領 任期(1929年~1933年)
ハーバード・フーバー(Herbert Hoover:1874~1964年)

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2011年にフーバー研究所から刊行された
フーバー大統領の膨大な回想録
『フリーダム・ビトレイド』(裏切れれた自由)
この著書は全900ページを超える大著。日本では、訳本はまだ出ていない。
フーバーはこの大著で、東京裁判史観を真っ向から全否定している。

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フーバー大統領の著書を部分的にエッセンスをまとめた本がこちらである。
こちらの本の中の一部、フーバー大統領が指摘した19の過ちを紹介したいと思います。

■第4の過ち ミュンヘン融和の成功と失敗
  「第4の計り知れぬ程に愚かな失敗は、イギリスとフランスとが、ポーランドとルーマニアの独立を1939年の3月末に保障した
  ことである。その時点で、これまで、ヒトラーとスターリンとが戦うことが避けられない状況で在って、その際ヨーロッパの
  民主国家は介入しない方針をとっていたのであるが、その方針が変わったのである。
   これは、ヨーロッパ外交史のなかでも、力関係の外交を見た場合に、歴史上最大の失策であった可能性が高い。イギリスも
  フランスも、ポーランドを侵略行為から救い出す力がなかったのにもかかわらず、この保障によって、ヒトラーとスターリン
  の間に、民主国家の存在を投げ出すことになった。
   これはスターリンをヒトラーから守ることになったばかりか、スターリンは自らの影響力を、一番高く買った者に売ることが
  できるようになったのである。スターリンは、バルト海諸国と東ポーランドを併合した。スターリンは、ヒトラーから獲物をう
  ばったのである。ヒトラーは、南東ヨーロッパに拡張して、モスクワの共産党の本山を破壊することを放棄したわけではなかった
  ので、まず、前進するためには、西側の民主国家の中立化をなしとげる必要があった。第二次世界大戦という長い恐怖の列車が
  このポーランドの(独立)保証という過ちから、発車することになった。ルーズベルトが係わったことは確かであるが、どの程度
  の関与であったかを確定するには、資料が不完全である。
チャーチルは、政権をとっていなかったが、ミュンヘンでヒトラーと
  妥協した後のチェンバレンがめちゃくちゃな行動に出るように駆り立てていった。(p088~p090より)
   
  
 The British-French Guarantee of Poland and Rumania in 1939
 Fourth. The fourth abysmal loss of statesmanship was when the British and French guaranteed the independence
of Poland and Rumania at the end of March, 1939..........(以下省略、原典P877)

 
 説明の対談は藤井厳喜氏×稲村公望氏×茂木弘道氏
 対談の内容の解説を分かりやすくまとめました。↓

   三つ目の失敗「ミュンヘン融和」が、第4の失敗につながってしまった。その第4の失政として「イギリスとフランスが
  ポーランドとルーマニアの独立」を保証したこと。
   イギリスもフランスも、ドイツの侵略を防ぐ力はなかったのに、なぜ保証するのだとフーバーは書いている。
  そのため、イギリスもフランスもドイツの戦争に巻き込まれ、ポーランドはドイツにやられ、さらにソ連にやられた。
  第二次世界大戦後は1991年ソ連連邦が滅びるまでの半世紀、東ヨーロッパは完全にソ連という独裁体制の統制化に置かれてしまう。
  イギリスとフランスがポーランドと独立を保証することで、ドイツとソ連の争いで終わるはずのものが拡大し、その保証のために
  イギリスはドイツに宣戦布告をし、長く悲惨な第二次世界大戦のスタートとなる。
  また、保証する力もないイギリスとフランスは、ヒトラーとスターリンに餌食のように民主国家ポーランドとルーマニアを
  投げ出したようなもので、伝統的、正統的なバランスオブパワーでものを考えていれば、こんなことにはならなかったと
  英仏の外交のまずさを指摘しています。

  ルーズベルトが係わったことは確かであるが、どの程度の関与であったかを確定するには、資料が不完全である。
  注:「十分な証拠がない」とフーバーは嘆いていましたが、
    確かな証拠が『ルーズベルトの開戦責任』(ハミルトン・フィッシュ著)より出てきます。
    イエジ・ユゼフ・ポトツキ駐米ポーランド大使が「ルーズベルト大統領は、ポーランドの独立の為に、英仏側に立って
    参戦する事を約束していた」と証言していることが分かりました。(P090~092)



  ルーズベルトは、戦争前からてソ連に甘い。
  ヴェノナ文書にて、ソ連のコミンテルミンのスパイに囲まれていたことが分かりますが、
  それでもルーズベルトは謎の深い人物であることが浮かびます。
  『ルーズベルトの開戦責任』(ハミルトン・フィッシュ著)を先に読みましたが、見た目にもルーズベルトは重病であったにも
  かかわらず、医者はなんともないと証言させていたり、隠し事がたくさんある。ハル・ノートの存在も数名が知っていただけで
  政府の人間もそんなものの存在も知らず、戦争をしていた。
  『ルーズベルトの開戦責任』(ハミルトン・フィッシュ著)と合わせて読むと非常に興味深い。
  日本だけでなく、アメリカ人をもあざむいていたと考えられます。

  ハミルトン・フィッシュ著 『ルーズベルトの開戦責任』の本のブログも書いています。
  こちらからどうぞ→ http://sahorimatu.exblog.jp/22240480/

  
  

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# by sahorikita | 2016-05-16 16:22 | Comments(0)
2016年 05月 09日

3.フーバー大統領が明かすルーズベルトの罪状(日米戦争を起こしたのは誰か) ★ミュンヘン融和の成功と失敗

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第三代アメリカ合衆国大統領 任期(1929年~1933年)
ハーバード・フーバー(Herbert Hoover:1874~1964年)

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2011年にフーバー研究所から刊行された
フーバー大統領の膨大な回想録
『フリーダム・ビトレイド』(裏切れれた自由)
この著書は全900ページを超える大著。日本では、訳本はまだ出ていない。
フーバーはこの大著で、東京裁判史観を真っ向から全否定している。

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フーバー大統領の著書を部分的にエッセンスをまとめた本がこちらである。
こちらの本の中の一部、フーバー大統領が指摘した19の過ちを紹介したいと思います。

■第3の過ち ミュンヘン融和の成功と失敗
  「ヒトラーとスターリンという2つのモンスターが戦いあってつぶし合いになることが不可避の情況にあったのに、
  政治家道を失った者は、そのつぶし合いを止めることに努力したのである。

  *ミュンヘン融和とは
   チェコスロバキアのズデーン地方を割譲を要求するナチスドイツに対し、1938年9月、イギリス、フランス、イタリア、
   ドイツ各首脳がミュンヘンで会談、ドイツの要求を受け入れた。この融和政策のことを指す。それ以降、ナチスドイツに
   対してイギリスなどは融和的な外交政策を取った。
   融和政策がナチスドイツの領土拡大・第二次世界大戦の引き金となったという歴史観がある一方で、それを批判する見方
   もある。


 Munich
 Third. I an not disposed to condemn the agreement at Munichiin September 1938 for Sudeten Germans to the Reich
because it was a heritage from Versailles which made such action inevitable........(以下省略、原典P876)

 
 説明の対談は藤井厳喜氏×稲村公望氏×茂木弘道氏
 対談の内容の解説を分かりやすくまとめました。↓

 この三番目は大問題である。フーバー元大統領はミュンヘン融和を否定してはいない。ミュンヘン融和でヒトラーが付け上がった
  という説は採っていない。大雑把に言えばヒトラーとスターリンをつぶし合わせればよかったと言っている。
 ヒトラーとスターリンはもともと衝突コースなのであるから、やらせておけばよい。両方が疲弊したところで、アメリカが介入し
 てバランスを取っていくのが良いと。
  合意は当初、評判が良くイギリスでもフランスでも歓迎されていた。アメリカのルーズベルトもカナダのマッケンジー首相宛て
 の手紙で「戦争の勃発がさけられたのを喜びたい」と書いていることをフーバー元大統領は124ページで述べていた。

 ところが、急に批判意見が次々と出てくる。一番徹底的にチェンバレンを批判したのがチャーチルであった。
 もともとチェコのドイツ人がそのままいた場所であったので、それを併合するのはそれなりの理由があったにもかかわらず、 
 批判が続き、ポーランドは強固にミュンヘン融和を受け入れず、問題が拡大していく。
 ヒトラーの構想は、ナチス国家社会主義が、共産党、ソ連をやっつけることしかなかった。それなのに問題が批判により反れて
 いくのです。


 批判により、融合政策に亀裂が起こったことをフーバー元大統領は、述べている。
 私は、第二次世界大戦は、このようにして戦争が拡大していったと受け止めています。
 

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# by sahorikita | 2016-05-09 18:27 | Comments(0)
2016年 05月 04日

2.フーバー大統領が明かすルーズベルトの罪状(日米戦争を起こしたのは誰か) ★ソ連承認の失敗

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第三代アメリカ合衆国大統領 任期(1929年~1933年)
ハーバード・フーバー(Herbert Hoover:1874~1964年)

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2011年にフーバー研究所から刊行された
フーバー大統領の膨大な回想録
『フリーダム・ビトレイド』(裏切れれた自由)
この著書は全900ページを超える大著。日本では、訳本はまだ出ていない。
フーバーはこの大著で、東京裁判史観を真っ向から全否定している。

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フーバー大統領の著書を部分的にエッセンスをまとめた本がこちらである。
こちらの本の中の一部、フーバー大統領が指摘した19の過ちを紹介したいと思います。

■第2の過ち ソ連承認の失敗
  「ルーズベルト大統領の第2の失策が、共産ロシアを1933年11月に承認したことである。4人の大統領と、五人の国務長官に
 わたって、共和党か民主党かを問わずに、そのような承認行為を、(国際共産主義運動の目的と手法の全体を知った上で)ずっと
 拒否してきた。共産主義者は、宗教の信仰、人間の自由と民族や国家の独立をぶちこわすようなばい菌を運び、アメリカに浸透し
 てくることを、彼ら(4人の大統領と五人の国務長官)は知っていたからである。
  彼らは、米国が共産ロシアを承認すれば、ソ連の威信と国力が高まることを知っていた。ルーズベルトが(スターリンと)結ん
 だ愚かな合意、つまり共産主義者は、米国の国境の内側では活動しないという約束は、48時間後には公然と反故にされた。

  政府の高いレベルに入り込み、第五列の活動が全国にひろがり、フランクリン・ルーズベルトが大統領であった12年間に亘って、
 国家反逆者の行為が長く続く事になった。

 The Recognition of Communist Russia in 1933
Second.Roosevelt's second lost statesmanship was in recognition of Com-munist Russia in November,1933.....
(以下省略、原典P.876)


彼らは、米国が共産ロシアを承認すれば、ソ連の威信と国力が高まることを知っていた。ルーズベルトが(スターリンと)結ん
だ愚かな合意、つまり共産主義者は、米国の国境の内側では活動しないという約束は、48時間後には公然と反故にされた。

 
この部分が、共産主義の本質のような・・・。

 ■補足の対談から、以下はまとめています↓
 この48時間後に反故にされ何が起こったか?
 大手を振ってアメリカ国内に共産主義者がなだれ込み、宣伝活動を始めた。
 「政府と党は別だ」という言い訳でごまかされ、アメリカにが共産主義に侵されていく切っ掛けとなる。

 事実として、フランクリン・ルーズベルトが大統領に選ばれる直前、2つの事件が起こっている。
 共産主義者が主導した事件である。
 ★偽札を大量に刷ったという事件
 ★ボーナス行進をやった。
  これは、第一次世界大戦の退役軍人を組織し、われわれは生活に窮している、ボーナスをよこせ!と行進を起こす。
  これには退役軍人が1万7千人も参加し、1932年の7月には4万人以上に膨れ上がり、結局、2人の死者、1017人の
  負傷者を出す事件になる。この事件は共産党が陰で主導したものであった。

 こういう事件や危機感があったにもかかわらず、ルーズベルトは「ソ連を承認」し、アメリカ共産党なるものが出現する。
 ルーズベルト政権の中枢に、ソ連のコミンテルミンつまりスパイが入り込む。
 その事は、ヴェノナ文章で証明されています。

 自由民主主義の国アメリカが、共産主義国ソ連を認める。
 共産主義の危険を知りながら、反対を押し切り認めたルーズベルトとは何者なのか?
 
 次は、「第3の過ち」を述べたいと思います。
 

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# by sahorikita | 2016-05-04 16:10 | Comments(0)
2016年 05月 03日

1.フーバー大統領が明かすルーズベルトの罪状(日米戦争を起こしたのは誰か) ★1933年の国際経済会議の失敗

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第三代アメリカ合衆国大統領 任期(1929年~1933年)
ハーバード・フーバー(Herbert Hoover:1874~1964年)

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2011年にフーバー研究所から刊行された
フーバー大統領の膨大な回想録
『フリーダム・ビトレイド』(裏切れれた自由)
この著書は全900ページを超える大著。日本では、訳本はまだ出ていない。
フーバーはこの大著で、東京裁判史観を真っ向から全否定している。

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フーバー大統領の著書を部分的にエッセンスをまとめた本がこちらである。
こちらの本の中の一部、フーバー大統領が指摘した19の過ちを紹介したいと思います。

■第一の過ち 1933年の国際経済会議の失敗
  「ルーズベルト大統領が国際的な政治家としての資格を失墜した最所の重要な事例である世界経済会議は、英国のマクドナルド
 総理大臣と当時の大統領の私が準備した会議で、1933年1月に開催を予定していたが、ルーズベルトが破壊した。
 ルーズベルトが選挙に勝って、6月に開催を延期した。
 その時丁度世界は、不況からの経済の回復基調にあったが、一方で通貨戦争があり、貿易障壁を増加させる戦争があった。
 準備作業が専門家の手によって進められ、ワシントンに10人の総理大臣が集まって、国際決済に金準備を用いることに合意した。
 それにもかかわらず、会議の最中にルーズベルトは翻意して、金本位制の導入にひびを入れたために、会議は不調となり、達成する
 結論がなく死んでしまった。
 ルーズベルトの国務長官であったハルは、この会議の失敗が第二次世界大戦の根っこにあるとして、ルーズベルトのとった行動を
 ハッキリと非難している。


 The World Economic Conference of 1933 First. The first time (of importance) that Roosevelt became lost in international
statesmanship was his destruction of the 1933 World Economic Conference......(以下略、原典 P875)

 フーバー大統領は合理的に、先進国経済サミットのようなものをした。つまり上文にある「ワシントンに10人の総理大臣が集まって、
 国際決済に金準備を用いることに合意した。」のは、金本位制度にしてバランスを取ろうとしていたのです。
 それを、ルーズベルトをぶち壊し、そのため、アメリカは通貨切り下げやブロック経済に入っていく。
 アメリカがそうなることにより、イギリスもポンド・ブロックをつくり、世界のブロック化が進む。
 そのことにより、いっそうアメリカは大恐慌に・・・・。
 その後、ルーズベルトはニューディール政策を打ち出すが・・・・。

 まずは、第一の過ちを紹介しました。
 世界は、この頃大恐慌であったことを改めて認識する必要を感じます。
 




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# by sahorikita | 2016-05-03 17:17 | Comments(0)
2016年 03月 12日

宣教師の善意を利用して日本軍の悪を宣伝する蒋介石のプロパガンダ。アメリカ人ジャーナリスト、フレデリック・ヴィンセント・ウイリアムズより⑤

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フレデリック・ヴィンセント・ウイリアムズ
(Frederic Vincent Williams)
1890年生まれのアメリカ人。
少年時代に外人部隊に所属したり各地を放浪する冒険者のような生活を続け、その見聞を新聞紙上で発表することからジャーナリストの道に進む。
サンフランシスコの新聞記者としてチャイナタウンの抗争事件を取材して有名となる。
日中戦争の起こる前から極東を取材旅行しながら共産主義の危険性に注目して、親日的立場から本書を執筆した。
日米関係の悪化を懸念しつつ、ラルフ・タウンゼントらとともに発言を続け、真珠湾攻撃後にタウンゼントと同じく逮捕され、16ヶ月から4年という不定期刑を言い渡される。
戦後の日本に再びやってきて、原爆を投下された長崎を訪れ、1956年に“The Martyrs of Nagasaki“(長崎の殉教者)という本を出版している。


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当時の原書 “Behind the news in China”。

著者は序文で、「私が初めて中国を旅したのは、一九三七年の日中両国が戦いを始める前であった。
上海と南京で、蒋介石政府の高官にインタビューしたのである。それから北京に行き、そしてシベリアの国境、それから満州国を南下し朝鮮、そして日本に行ったのである。
それから私は戦争が始まってから中国を再訪した。最初は中国軍と行動した。それから今度は日本軍とであった。
私は両方を見た。
世界の各地を見た新聞記者としての長年の経験から、何が起こっているのかを理解することができた。私は戦場を後にした。私は多くのものを学んだ。そして精魂込めて書き上げたのがこの著作である。」と述べている。

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こちらが訳本
この本の中から重要な箇所をピックアップしていきたいと思います。

目次 第十二章 宣教師の善意を利用して日本軍の悪を宣伝する
■利用される宣教師(p129~p131)
  没落し行く蒋介石政府は絶望したあげく、アメリカ人が結果として干渉してくることを期待して、まず同情を、それから援助を獲得し
 ようとして宣教師たちにすがり寄った。彼らは既にプロテスタント派のかなりの部分の同情を獲得していた。今はカソリックに接近を
 試みようとしている。カソリックは全体として、どちらの側にも立たず一歩下がっている。戦争が始まる前、カソリックは南京軍閥
 政府から布教を奨励されたことはほとんどなかった。そして今、ロシアのヴォルシェビキの影響から中国を分離させようと日本が猛烈に
 迫ってきたために、以前の南京支配はそれまでに伝道上において大なり小なり横道にそれていたカソリックに、耳さわりのよいあらゆる
 約束をしたのである。
  同業のプロテスタントのように、カソリックの中にも蒋介石の約束に騙される者がいた。(中略)蒋介石一派は彼らに接近し、そして
 プロテスタントの宣教師と同じしょうに、日本軍のアトロシティー(残虐行為)と申し立てられている野蛮な話で宣教師の耳を一杯にし
 て、彼らに合衆国の彼らの友人宛に精神的な苦しみの手紙を書かせたのだ。
  中国南部の宣教師たちの一部はこれに影響された。疑いなく、上海の数名は友人に手紙を書いている。すべて誠意である。しかし、彼
 らが蒋の影響下に屈服したとき、多かれ少なかれ、厳しく中立であろうとする彼らの至高のものへの願望に反したことになったのである
  
  中国そして極東を旅していたとき、日中戦争の前でも最中でも、私はいくつもの宗派の沢山の宣教師たちとコンタクトを取った。
 そして私は特にカソリックの間に、日本が中国でしていることの正当化について、意見が鋭く分裂していることを発見したのである。
 多数は日本を弁護する。その他は中国を弁護する。日本、朝鮮、満州国のカソリックの宣教師たちは、日本がボルシェヴィズムから
 アジアから救おうとしているのだと率直に述べる。北京、北支の内陸部でもこれと同じである。しかし上海では(中略)日本に反対し、
 中国の肩をもつ若干の熱心な者たちがいた。
  蒋介石の取り巻きは、一部プロテスタント宣教師に対すると同様、すかさず彼らに飛びつき、「母国」に手紙を書いて、日本を非難
 するようしきりに促したのである。(中略)
  宣教師がやろうとしたことは、アメリカ人からの寄付であった。



 ■日本軍に感謝する宣教師たち(p135~p136)
  中国の軍閥のプロパガンダ目的に利用されたこれらの幾つかの宣教師たちの恐怖の手紙と、著しい対象をなしているのは泰安から来た
 二つの手紙である。書いたのは戦争を恐ろしい段階で経験していた司祭たちである。彼らは日本でなく、中国の兵隊による残虐行為を
 非難していた。いわゆる非正規兵であるが、匪賊とほとんど変わらない程度の連中で自国民を獲物にしていたのだ。彼らは書く。
 「こちらの情況に関するアメリカの新聞報道は一方的であり、大袈裟すぎます。――しばしばほんとうのような嘘か反日のためのプロパ
 ガンダとしてはびこっているのです。我々は中国人に捕まり、殺された囚人の首が棒の先に突き刺されているのを見ております。中国の
 農民は中国の非正規兵による略奪で一番苦しんでいるのです。もう、匪賊とほとんど変わらない程度の軍隊なのです。大都会の爆撃は
 中国軍の将校が秘密地帯に軍隊の宿舎を割り当て、軍需物資、支給品などを置いているから起きたのです。軍需品が町のど真ん中に高く
 積まれていることはしょっちゅうなのです。
 「私たちの経験によれば」と二人のカソリック宣教師は続ける。「日本兵は統制が取れています。そして我々をどんな形でもいじめたり
 しません。だから我々は喜んでこの善意の中国人たちと共に留まっております。しかしながら日本人についての真実は語られておりませ
 ん。彼らは私たちに親切です。泰安の爆撃の間、私たちの伝道施設はひどく破損しました。町の陥落の後、日本軍将校たちがやってきて
 遺憾の意を表明しました。そして教会の再建用にと三千円を提供してくれました。また役に立つからと車を提供してくれ、宣教師の建物
 を保護するよう、一筆書いて掲示してくれました。彼らがやってくる前に悲惨な体験をしていましたから、これは私たちにホッとした
 気持ちを抱かせてくれました。




 最後にピウス11世の言葉を述べて終わりたいと思います。
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ピウス11世(アッキレ・ラッティ) 1857~1939年。
オーストリアの定刻のロンバルド=ヴェネスト王国デージオ生まれ。父は工場経営者。ミラノ大司教を経て教皇に選出。
長く外交分野で働いていたが、本来は学者で、諸言語に通じ、古代以来のさまざまな神学的著作に精通していた。
外交分野でも経験があったゆえか、社会主義者が様々な工作を企てていること、
支那事変(1937年)の際に、それが社会主義者の陰謀であることを的確に見抜き、
勇気を持っていちはやく世界中のカトリックに発信した。

バチカンの絵画館、ラジオ局、ローマ教皇庁立科学アカデミー等はすべて11世のもとで作られたという。

日中戦争(支那事変)が始まった年1937年10月に、当時のローマ法王で平和主義者として知られるピウス11世(在位1922~39年)は、この日本の行動に理解を示し、全世界のカトリック教徒に対して日本軍への協力を呼びかける声明をだした。

英文
“The action of Japanese troops was not to invade, but to protect China. They are fighting to get rid of communism there. As long as communism is in the world,all Catholic believers should cooperate with Japan without hesitation.”
日本語訳
「日本の行動は、侵略ではない。日本は中国(支那)を守ろうとしているのである。日本は共産主義を排除するために戦っている。共産主義が存在する限り、全世界のカトリック教会、信徒は、遠慮なく日本軍に協力せよ」
日本の行動は、侵略ではない。日本は中国(支那)を守ろうとしているのである。1937年ローマ法王ピウス11世


http://sahorimatu.exblog.jp/22431045/ ←ピウス11世に関しては、このページにて詳しく書いています。



プロパガンダの怖さと、日本人と中国人の違い。
すなわち「嘘をつかないのはバカだ」という中国人と「嘘はついてはいけない」という日本人との感覚がかけ離れているということだ。
今や、また「日本人は残虐行為をしたと」南京大虐殺を世界にばら撒こうとしている。
韓国は慰安婦問題だ。これも「日本人は、性奴隷したひどい民族」というプロパガンダだ。
民間人だけが対抗して頑張っている状態です。
身近な方に目覚めて欲しいと思いますが、「たまに、怒る人がいてがっかりします」
でも、淡々と訴えていかなくてはと思っています。日本の未来の為に・・・・。





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# by sahorikita | 2016-03-12 16:04 | Comments(0)