2016年 03月 08日

日本が作った満州国では、平和と安全が守られ幸福であった。アメリカ人ジャーナリスト、フレデリック・ヴィンセント・ウイリアムズより⑤

f0350840_14241359.jpg
フレデリック・ヴィンセント・ウイリアムズ
(Frederic Vincent Williams)
1890年生まれのアメリカ人。
少年時代に外人部隊に所属したり各地を放浪する冒険者のような生活を続け、その見聞を新聞紙上で発表することからジャーナリストの道に進む。
サンフランシスコの新聞記者としてチャイナタウンの抗争事件を取材して有名となる。
日中戦争の起こる前から極東を取材旅行しながら共産主義の危険性に注目して、親日的立場から本書を執筆した。
日米関係の悪化を懸念しつつ、ラルフ・タウンゼントらとともに発言を続け、真珠湾攻撃後にタウンゼントと同じく逮捕され、16ヶ月から4年という不定期刑を言い渡される。
戦後の日本に再びやってきて、原爆を投下された長崎を訪れ、1956年に“The Martyrs of Nagasaki“(長崎の殉教者)という本を出版している。


f0350840_14265216.png
当時の原書 “Behind the news in China”。

著者は序文で、「私が初めて中国を旅したのは、一九三七年の日中両国が戦いを始める前であった。
上海と南京で、蒋介石政府の高官にインタビューしたのである。それから北京に行き、そしてシベリアの国境、それから満州国を南下し朝鮮、そして日本に行ったのである。
それから私は戦争が始まってから中国を再訪した。最初は中国軍と行動した。それから今度は日本軍とであった。
私は両方を見た。
世界の各地を見た新聞記者としての長年の経験から、何が起こっているのかを理解することができた。私は戦場を後にした。私は多くのものを学んだ。そして精魂込めて書き上げたのがこの著作である。」と述べている。

f0350840_14265645.jpg
こちらが訳本
この本の中から重要な箇所をピックアップしていきたいと思います。

目次 第五章 日本のアジアに対する崇高な使命感より
■日本は満州のサンタクロースである(p67~p68)
  経済的利害関係のために、列強が中国でパワーを発揮できなくなるのではないかと恐れているからでもあるが、我々西洋人とその政府
 は、間違った同情心や政治的行動によって、中国での戦争と惨害が打ち続くようにしているのである。これはには故意にそうしている国
 もある。中国人の大多数を占める本当の人々は、戦争と迫害にうんざりしているが、外国の国々が邪魔をしなければ平和になるのだ。
  一部の西洋列強とその国民は、あらゆる方法で日本の邪魔をしている。日本が中国人を牛耳っている軍閥と戦争を始め、この国を保守
 的なよい政府の下に安定させ、平和をもたせようとしているからだ。私は多くの中国人と対談した。彼らは率直に私に話した。
 一番願っているのは、共産主義や軍閥同盟に反対する保守的政府を作り上げることであると。しかしそれができないのは、匪賊の頭目た
 ちが私兵を使って省を領土ににして力を誇示しているからだと彼らは屈託なく告白した。

  満州でやったように、唯一つ日本の協力がこれを可能にすると彼らは主張した。彼らは満州を強調した。今の満州国である。日本が
 中国のためになすことが出来た一例である。もう一つ北支がある。中国南部は全体としては絶望の尺度から言えばまだいい方である。
 中国南部の安定は大英帝国にかかっている。香港からの影響もある。これは彼らも認めている。赤いロシアはイギリスが香港のゲートを
 守っている限り、あえて進出はしないだろう。そして彼らは同じ真実が北部にもあるとしばしば言うのだ。日本が立った一国で軍閥を
 押さえつけ、共産ロシアを排除できているのだ。

  満州とは日本人が出かけて行って貪り食った、罪を犯した国だとごく普通の人たちは信じているだろう。日本がそこに行ったのは確か
 だ。しかしもし諸君が満州に行けば――満州国――日本はサンタクロースの役をこれまで演じていること、満州人が断然幸福であること
 を発見するだろう。彼らの古いご主人、ロシアと中国はまあ残虐な親方で、ひどく苦しめられていたのだ。平和と安全、政府とビジネス
 の安定、鉄道の建設、都市の建設、病院や学校をもたらしたのは日本だった。


  日本が来る以前の満州は、現在と較べれば哀れというしかない光景が広がっていた。(以下略)


f0350840_14101732.gif
満州国の建国記念日を祝う人々。中央のめがねをかけた人物が溥儀。日本の軍人らに囲まれている。

f0350840_14042966.jpg
大連(満州国) 近代的で美しく清潔な街並みであった



f0350840_14043426.jpeg
大連 星ヶ浦 満鉄が開発した総合リゾート


f0350840_14095929.png
当時の中国大陸の現状



■軍閥のポケットに直行する支援金(p71~p72)
  わが国民に対する憎悪の感情を知って中国から帰ってくると、この国においては中国人へのほとんど感傷というしかない同情心を見出
 すのは皮肉なことである。もちろんこれはプロパガンダによって育てられてきているもので、一般的には多くの情報源がある。

  そしてこの国には母国を支援している中国人がかなり住んでいる。しかしアメリカで生まれた彼らの多くは中国に行ったことがなく、
 その生活もその親の世代のことも知らない。それでいて母国にすむ中国人より本当に愛国心が強い。アメリカ生まれの中国人が完璧に
 嘘偽りがなく、我国のアメリカ人のほとんどと同じしょうに、冷酷で野望にみちた遠征者に侵略されていると本当に信じていることは
 疑えない。彼らがその背後にあるものを見ることができず、何が起こっているかを知ることができないのは悲しいことである。なんなら
 彼らが救援と軍需品購入のために軍閥に送った巨額の金がどうなり、とう使われたかを追跡してみればいい。

  ただの一例二例でいい。このお金が軍閥どものポケットに直行し、預けられたにしても、一銭も救援や軍需品に使われていないことを
 発見することはなんと恐ろしいショックだろうか。中国空軍に数百万ドルが注ぎ込まれていたのは常識的な事実に属するが、戦争が始ま
 ったときほとんどそれらしき片鱗もなかった。これらすべての金はどこに消えたのだ?
  中国人は肩をすくめて「しぼりだよ」と笑う。我々の言葉で賄賂である。アメリカのチャイナタウンから航空機一機購入のために南京
 に送られた二万五千ドルのうち、たった五千ドルのみが最終的受領者の下に届いたという話は、上海のバーや北京のカフェで傑作な笑い
 話になっている。

■日本機とロシア機の空中戦(p73)
  日本人が世界に出てきて、西洋人のゲームのやり方を学んでせいぜい八十年である。彼らは実に見事にやった。ついでにいっておくが
 何とかしてもらいたいものだ。なぜなら彼らはほとんど信用されていない。昔の先生の際限のない敵意を獲得したからだ。この数え切れ
 ないプロパガンダと日本への憎しみの背後にあるのは、日本があまりにも早く彼らのレッスンを終了してしてしまったことに腹を立てて
 いる国々のジェラシーである。


この真実を自分の目で見た、アメリカ人ジャーナリストは、中国大陸の現状をよく知っている。
また、日本がアジア人でありながら、あまりにも急速に西洋人に追いつき、日本人は白人社会の脅威に写ったという解釈は、
よく考えると納得できるのです。
中国人から搾取することしか考えていない西洋と人道的な政策をとり中国人から慕われていた日本が嫌いであった。
この一言に尽きるのではないだろうか?
中国が可哀想で同情を引く作戦は、白人からしたら優越感が得られるのである。
しかし、対等を望んだ日本人は「可愛げのない黄色人種であり、キリスト教もなかなか浸透しない国であり、その上優秀であった」
フレデリック・ヴィンセント・ウイリアムズ氏のこの著作は、これから蘇る著書の一冊だと思います。
現在の中国共産党の「南京大虐殺のプロパガンダ」や韓国の「慰安婦問題」も、非常に危険なものであると、
この本を読んで痛感します。
この歴史は繰り返されてはならない。




[PR]

# by sahorikita | 2016-03-08 15:07 | Comments(0)
2016年 03月 05日

日本が中国人に麻薬売買していたという蒋介石のプロパガンダ。アメリカ人ジャーナリスト、フレデリック・ヴィンセント・ウイリアムズより④

f0350840_14241359.jpg
フレデリック・ヴィンセント・ウイリアムズ
(Frederic Vincent Williams)
1890年生まれのアメリカ人。
少年時代に外人部隊に所属したり各地を放浪する冒険者のような生活を続け、その見聞を新聞紙上で発表することからジャーナリストの道に進む。
サンフランシスコの新聞記者としてチャイナタウンの抗争事件を取材して有名となる。
日中戦争の起こる前から極東を取材旅行しながら共産主義の危険性に注目して、親日的立場から本書を執筆した。
日米関係の悪化を懸念しつつ、ラルフ・タウンゼントらとともに発言を続け、真珠湾攻撃後にタウンゼントと同じく逮捕され、16ヶ月から4年という不定期刑を言い渡される。
戦後の日本に再びやってきて、原爆を投下された長崎を訪れ、1956年に“The Martyrs of Nagasaki“(長崎の殉教者)という本を出版している。


f0350840_14265216.png
当時の原書 “Behind the news in China”。

著者は序文で、「私が初めて中国を旅したのは、一九三七年の日中両国が戦いを始める前であった。
上海と南京で、蒋介石政府の高官にインタビューしたのである。それから北京に行き、そしてシベリアの国境、それから満州国を南下し朝鮮、そして日本に行ったのである。
それから私は戦争が始まってから中国を再訪した。最初は中国軍と行動した。それから今度は日本軍とであった。
私は両方を見た。
世界の各地を見た新聞記者としての長年の経験から、何が起こっているのかを理解することができた。私は戦場を後にした。私は多くのものを学んだ。そして精魂込めて書き上げたのがこの著作である。」と述べている。

f0350840_14265645.jpg
こちらが訳本
この本の中から重要な箇所をピックアップしていきたいと思います。

目次 第七章 「阿片-を蔓延させる日本」というプロパガンダ(全文抜粋)
■阿片を蔓延させているのは中国である(p93~p95)
  日本を悪しざまに言う顕著な作り話の一つは、外国政府の公文書の中にさえ見出されるようになっている。かつてはジュネーブの会議
 で作られ、今はランチの席で、都市の講演会で、公的なところ、その他で軽口のように話されている。彼らはもっと知るべき出し、努力
 すればできるのだ。顕著な作り話の一つというのは、最初は満州でそれから北支において、麻薬の使用を奨励し、助長しているというこ
 とである。
  私が昔サンフランシスコの新聞社で働いていた時期のことであるが、東洋からアメリカの港、それから我が国のチャイナタウンへと向
 かう暗黒街の麻薬のルート追跡という情報を追っていたことがある。それから近年になってから中国や満州で、私は麻薬製造やその流通
 の源に到達して真相を突き詰めた。
  まず初めに言っておくが、近年誰も中国人が阿片を使うということを教えられてこなかった。彼らの多くがこれに熟達している。多く
 の麻薬常習者がいるからといって、これはまったく彼らの欠点と言うわけではない。軍閥、つまり軍人で政治家たちがこれに肯定的なの
 である。二三の軍閥というわけではない。省を支配する将軍たちは実際に麻薬を使い、阿片を吸う。それに熱中しており、習慣になって
 いる。日本がやってきて軍閥を武器で追い払った満州事変のときに、多くの特派員たちがやってきた。彼らは中国の将軍たちがくつろい
 で阿片のパイプを吸っている所で、戦いの進展の報告を聞いていると書いている。
  
  蒋介石はかつては阿片の最大の商いをしていたことで特に実績があった一人で、さもなければ常習者だった。そして今度の事変が始ま
 ってかでさえも、莫大な量の阿片を隠し持っていると言われている。1937年から翌年にかけて、蒋介石が新聞やアメリカ、その他の世界
 の一部で人気が絶頂にあったとき、哀れな苦力たちの処刑が広く公開されていた。彼やあるいは側近の配下の兵隊によるものである。

  時に北京では、阿片常習者で「逮捕」された苦力たちであった。私は彼らが死ぬところを見たことがある。ひざまずき、死を予感して
 北京城外の日干し煉瓦の壁の前にいた。兵隊たちが後ろに近づき、彼らの頭をポンと撃った。犠牲者は顔を前に倒れていく。手は後ろに
 縛られていた。それはいい宣伝だった。本当に外部世界には恐ろしい宣伝である。しかし、それは多くの人々の心に最近になって植え付
 けられ、広められたアイデアであったのだ。「新しい政府」は常習者の命を犠牲にしても、麻薬売買を抑圧する決定をしたというわけで ある。


  中国の陰気な群衆は自分のかわいそうな友人たちの処刑を目撃している。そして処刑は抑止効果があるとおもわせられた。しかし実際
 問題としてまもなく、撃ち殺されるのを見て彼らが自分の家に戻ったとたん、処刑を命じたまさしくその軍閥や役人の手先どもがちょこ
 まかちょこまか小走りに人々阿片を売り歩いていたのである。このようにして三週間もすると、別の一群の「吸引者」たちが駆り集めら
 れて、撃たれ、写真に撮られ、死んだことが海外の新聞に出る。彼らの多くが最近の吸引者であることは疑いない。しかし鎮圧を命じ、
 使用者を死に至らしめたあの役人どもの手先によって、麻薬商売は続きに続いているのだ。
f0350840_14283430.jpg
阿片を吸う中国人


日本が作った満州の麻薬吸引実態統計資料(p95~P97)
  日本人が入ってくる前の満州は麻薬中毒者であふれていた。その製造と使用は大きく広がっており、公的に認められていた。しかしそ
 の製造と消費について何の記録も統計もなかった。軍閥が追放されてから、日本が新満州帝国の建設を始め、満州人の血統を持つプリン
 スが王座に着いた。日本人が最初にやったことは麻薬売買の記録を正式に作ることであった。覚えていて欲しい。これは満州で全く初め
 て作られたのである。
  そして長い間の使用の結果の、驚愕すべき堕落の実態が完全に明らかにされたのである。平行して、出生、建築、病院、住宅、政府の
 各役所の記録が作られていった。これは法と秩序、治安と安定を確立させるためであった。日本はこれらの発見を誇りに以って世界に発
 信した。しかし世界はおおむね学校や病院その他の数とかに目配せもしなかった。国際連盟のあるジュネーブやアメリカは特にひどかっ
 た。日本人は金字塔を立てていたのだ。しかし、満州の麻薬統計資料を読まれておお喜びされ、日本は野蛮人であるかのように噛み付か
 れた。これらの日本の敵は、世界に向けて彼らの「新発見」を言い立てたのである。それまでは攻撃のしようにも何もなく、できなかっ
 たからである。

  満州での麻薬中毒とその使用を止めさせるための叩き台を作るというアイデアに基づいて満州の日本人の骨身を惜しまぬ努力によって
 集められた統計は、これらの偽造者によって反日の材料に使われたのだ。その一人は現在もジュネーブの国際聯盟の代表の一人である。
 彼はかつて日本でタイプライターを売っていたが、何か妨害行為をしたかの理由で国外追放になった人物である。

  驚愕と痛みもいくらか感じながら、日本は自分たちが作ったリハビリテーションのための仕事が、自分たちに襲い掛かってくるのを
 発見した。日本人は宣伝が下手である。逆襲する代わりに彼らはすねた。もし西洋世界が自分たちのしていることが理解できなかったの
 なら、「くたばりやがれ」というものだ。日本人のまさに沈黙は、数百万の新聞社の目をぎくりとさせるような見出しとなり、彼らの
 明らかな罪悪の証拠として受けとられた。


f0350840_14291292.jpg
右下のトリミングされた写真が「日本軍によるシナ人虐殺」として出され、
実際のオリジナルは蒋介石軍による共産党員銃殺の光景。

f0350840_14284838.jpg
1938年11月13日、長沙市焼き払い(長沙大火Changsha fire)
11月13日は、1938年に支那軍が長沙市を焼き払った日だ。
支那軍は、日本軍が長沙に迫っているとの噂を信じ、長沙の街を略奪・放火した。
蒋介石は、長沙市を去る前に街を焼き払い、日本軍の仕業として宣伝しようと考えた。


中国は阿片を蔓延させたとして日本を非難(p97~p98)
  さあ、中国、あるいは蒋介石一派はこれに飛びついた。麻薬まみれになり、実際に麻薬吸引をやっているのは自分らなのに、悪臭ふん
 ぷんの悲しげな嘆願書を世界に向けて放ち始めた。日本は中国人に阿片を吸い、ヘロイン、コカインを使うようにと薦め、我国の精神と
 モラルを破壊しようとしているというわけである。中国に住む事情通の外国人には、これは笑い話でしかない。しかし、南京政府には、
 これはいつかばれると思う罪障からの逃げ道であり、反日のためのいいプロパガンダであり、宣伝なのだ。軍閥が忌み嫌う日本人は、彼
 らのひどい罪を背負わされて世界から非難されたのだ。

  私は故郷の町の所長の話を聞いたことがある。立派なやつだが、見事にこの嘘で欺かれていた。実業者団体に持ち込み、日本人が中国
 を麻薬患者であふれさせ、沢山の麻薬を持ち込んでいると非難する演説をしたというのである。

  ほかのどんな国民と比べても、日本人ほど女性や麻薬の売買を忌み嫌う国民はいない。しかし日本による満州の占領後まもなくから、
 若干のこういった連中、軍に随行する売春業者が入り込んでいた。我国で南北戦争に南部に入り込んだ一旗者と同じである。こういう
 ごろつきがいたことは日本も認めるだろう。彼らが中国の軍閥が残していった麻薬取引などを始めたのだ。しかしながら若干名であり、
 その取引や量においても、麻薬中毒習慣を中国や満州で広めているとして、日本の国や政府を責めるぼどのものではない。

  それにもかかわらず世界中の善男善女は、恐怖に陥り、思考停止になったままに、日本が哀れな国を征服しただけでなく、人々に阿片
 吸引を押し付けているというわけだ。実際の問題として満州国としての満州は日本がスポンサーであり、中国やロシアの支配時代より
 はるかに素晴らしい改善を示めしている。以前のご主人様の意のままだった満州の人々のひどい恐怖を日本が解放しなければ、満州は
 再び軍閥に強姦され、匪賊に蹂躙されるのだ。満州を繁栄させ、平和にし、満足できる国にすること、これは独創的なアイデアであった
 し、今もそうだ。それは北支が日本との貿易と商行為を歓迎することにつながるだろう。

f0350840_14290869.jpg

「The Battle of China」 
アメリカによるプロパガンダ映像に使われた
1937年の上海南駅爆撃直後の有名な「Chinese Baby 《中國娃娃》」の写真

f0350840_14282433.jpg
「The Battle of China」は、このように撮影班によって意図的に作られたものと
判明している。


日本人は宣伝が下手である。と、フレデリック・ヴィンセント・ウイリアムズは何度も書いてある。
また、一般的なアメリカ人も信じやすく、中国の事情がわかっていない。
これもまた、深遠な言葉で今現在でもそうなのではないだろうか?
この著者の本は、時間が経てば立つほど重要な証言として読まれるのでは?
誠実な心とジャーナリスト魂を感じます。

現在、また中国共産党はアメリカ、その他の国へ「南京大虐殺30万人」という虚構をプロパガンダとして
世界へ働きかけています。
蒋介石と同じように、中国共産党は日本を孤立させようとしています。
日本人すべてがこの事に気がついて欲しいと強く思います。






[PR]

# by sahorikita | 2016-03-05 14:53 | Comments(0)
2016年 03月 01日

ずる賢い宋美齢。片手で麻薬中毒者を殺害し、その片手で麻薬を売る蒋介石。アメリカ人ジャーナリスト、フレデリック・ヴィンセント・ウイリアムズより③

f0350840_14241359.jpg
フレデリック・ヴィンセント・ウイリアムズ
(Frederic Vincent Williams)
1890年生まれのアメリカ人。
少年時代に外人部隊に所属したり各地を放浪する冒険者のような生活を続け、その見聞を新聞紙上で発表することからジャーナリストの道に進む。
サンフランシスコの新聞記者としてチャイナタウンの抗争事件を取材して有名となる。
日中戦争の起こる前から極東を取材旅行しながら共産主義の危険性に注目して、親日的立場から本書を執筆した。
日米関係の悪化を懸念しつつ、ラルフ・タウンゼントらとともに発言を続け、真珠湾攻撃後にタウンゼントと同じく逮捕され、16ヶ月から4年という不定期刑を言い渡される。
戦後の日本に再びやってきて、原爆を投下された長崎を訪れ、1956年に“The Martyrs of Nagasaki“(長崎の殉教者)という本を出版している。


f0350840_14265216.png
当時の原書 “Behind the news in China”。

著者は序文で、「私が初めて中国を旅したのは、一九三七年の日中両国が戦いを始める前であった。
上海と南京で、蒋介石政府の高官にインタビューしたのである。それから北京に行き、そしてシベリアの国境、それから満州国を南下し朝鮮、そして日本に行ったのである。
それから私は戦争が始まってから中国を再訪した。最初は中国軍と行動した。それから今度は日本軍とであった。
私は両方を見た。
世界の各地を見た新聞記者としての長年の経験から、何が起こっているのかを理解することができた。私は戦場を後にした。私は多くのものを学んだ。そして精魂込めて書き上げたのがこの著作である。」と述べている。

f0350840_14265645.jpg
こちらが訳本
この本の中から重要な箇所をピックアップしていきたいと思います。

目次 第四章 残虐きわまる中国軍を糊塗するプロパガンダ大作戦より抜粋
■中国軍による日本空襲?(全文抜粋 p59~p61)
  報復するのに何かいい方法はないだろうか?日本への空襲?しかしこの話は何度も討議されたことだった。重い爆弾を抱えて、日本の
 警戒をすり抜けることのできる飛行機などない。ロシア人パイロットでも成功しないだろう。アメリカ人ヨーロッパ人でも運があればの
 話だ。爆弾を抱えた飛行機は低空飛行を余儀なくされるから、発見されるのを覚悟しなければならない。しかし、爆弾なしでは?爆弾な
 しなら、軽い、軽い。千フィート、千二百フィート、千五百フィート以上の雲の上を高く飛べる。それで日本に何を?もちろん日本国民
 に向けたパンフレットだ。それは三つの目的を果たすだろう。新聞の一面と見出しから宿縣陥落を内のページに移し、重要でないものに
 する。世界(特にキリスト教世界)に、無辜の市民が爆撃で死んでいる現状に対して中国の軍閥は充分に情け深いという印象を植えつけ
 る。三番目は日本人に恐怖を与えることだ。
  それから一機の飛行機を飛ばすことが決定された。二機でも三機でもない。半ダースでもだめだ。たった一機だ。そしてその飛行機が
 帰ってきたとき、世界に宣伝するのだ。もし帰還しなかったならば、六機の飛行機が攻撃しに行ったということにするのだ。
  同時に日本国民への声明文もひそかに作成されて、タイミングもちょうど宿縣陥落間近かと重なっていた。たった一機が日本に向かっ
 て飛び立った。空高く雲の上を飛んだ。むろん爆弾がないからだ。不安な面持ちで蒋介石たちはその帰還を待った。その飛行機は日本の
 警戒を回避して充分高く飛んだ。それは日本本土まで届かなかった。日本の最南端のそのまた先っちょに到達して、一つそびえている山
 に向かって降下してパイロットをばら撒き、パイロットは無事に帰還した。
  早すぎる帰還ではなかったが、飛行機が着陸した瞬間に、蒋介石の宣伝班は世界に向けてニュースを発信した。しかも効果を上げよう
 と奇抜な金メッキがほどこされていた。六機の爆弾を持った飛行機が日本を深く侵入し、本土に到達、大工業都市である大阪(日本の
 シカゴ)の上を低く飛び、日本軍と市民を死ぬかと思うほど驚かしたと新聞記者たちは教えられたのだ。しかしこれらの六機の飛行機(
 実際は一機だが)は爆弾を落とさなかった(一機さえも爆弾は持たない)。落としたのはパンフレットだったが、それには「中国国民」
 からの「日本国民」への優しい訴えのメッセージが書かれてあった。

  宿縣は失陥したが、蒋介石の宣伝班は陥落を打撃に変えて連打した。外国――特にアメリカでは、新聞の黒いインクの見出しが金切り
 声を上げていた。「中国軍機が日本を空襲云々」。そして宿縣に関しては戦略上の要衝の失陥であるから、蒋介石とその政府の破滅であ
 ることを軍事的に封印し、新聞の片隅に閉じ込め、無価値なニュースになってしまった。日本空襲の記事を読んだ十分の一もいなかった
 だろう。
  日本人は「中国に空襲された」ことを、外国の新聞を読むまで知らなかった。四五日経ってから日本の農民が、最南端の寂しい山の麓
 からパンフレットを回収して憲兵に届けてきた。上海の国際租界では、「空襲」の記事が載った号外が有名店のホットケーキみたいに売
 り出された。それを買った中国人は肩をすくめて、記事を信用しなかった。中国人の間では蒋介石は大嘘つきとして評判を取っていた。
 だから彼らは蒋介石の宣伝局が報じるプロパガンダにひっかかるにしても、最後の人たちなのだ。
  しかしアメリカではお互いに見合って、真面目に頷きながら言うのだ。「ざまあ見ろ――日本軍は中国の町を空襲していた。今度は
 中国の番だぜ。

f0350840_22533752.jpg
日本の報道では↑

■ずる賢い宋美齢(全文抜粋 p61~p63)
  しかしである。一日ばかり後だった。極めつけとしか言いようのない大当たりがもたらされたのだ。蒋介石婦人はこれらを自ら発表し
 た。告白したのである。お茶の席で、彼女は特派員たちに、自分はキリスト教世界のことを知っている、知っていてよかったと告げた。
  多くの国の人はなんだろうと思った。彼女はなぜ日本を空襲した六機が、日本の町に市の雨を降らさないでパンフレットを撒いたのか
 そのわけを語った。そう、彼女は世界にその理由を語ったのだ。彼女は会議の結果、日本空襲を優先する数名の将軍たちは、勧告だけで
 なく強行に日本の都市爆撃を主張したと思われると打ち明けた。彼女はクリスチャンで、そのバイブルを夫はいつも持ち歩いている。
 夫は立ち上がり、バイブルに手を置いて感情をこめて宣言した。

 「こういうことはキリスト教的ではない。我々は世界に中国が人道的であることを示さなければならない。日本の野蛮人と同じことをし
 てはならない。つまり罪のない女子供の上に死の雨を降らせてはならない」

  さて、それは記録されていたのか?文明社会は立ち上がって驚いた。これは中国が文明化されたと言っているのだ。中国は世界が見せ
 て欲しいものを見せている。ここに町や村を敵によって空から爆撃されているだけでなく、自国の飛行機が敵国を空襲できるときでも、
 彼らと同じ行為を拒否する侵略された国の国民の統治者がいた。蒋介石婦人に味方する小利口な新聞どもは大きな同情の波を作り、宿縣
 の敗北と夫の軍の逃走をひた隠しにして、落ち込んだ穴の中から拾い上げ、別口で生涯の信用を与えたのである。軍需品の信用は強化さ
 れた。孔祥熙博士は私に言った。「中国は世界のシンパシーを獲得したのです」と。
  もしこれが本当にそうだったのなら、私は大きな行動を起こして総統に対する絶大な信頼を最初に表明するだろう。しかし、私はそう
 ではないと分かっている。プロパガンダと知っているのだ。なぜでっちあげられたのかも分かっている。どのようにでっちあげられたか
 も分かっている。
  私が中国、その恐ろしい戦場、骨と皮ばかりの町や村から帰ってきたとき、私は心に残る別の画像を消し去ることができなかった。
 持ちの政治家と軍閥とそのずる賢い妻、片手で麻薬中毒者を殺害しながら片手で同胞に麻薬をうっている将軍、立派なスピーチをして
 国民の改善を約束しながら、その軍隊を維持するために貧弱な稼ぎの中から貢物を取り立てて人々を飢え死にさせ、彼の家族と取り巻き
 は豪華な宮殿に住んでいる一人の軍閥の画像を。


f0350840_22574896.jpg
ライフ誌の表紙を飾る宋美齢

f0350840_22580325.jpg
エレノア・ルーズベルトと宋美齢

エレノア・ルーズベルトは、アメリカの大統領ルーズベルトの妻である。
こうして、アメリカの首脳陣に近づいて、大嘘をつき、日本がいかに残虐かという話をしたのであろう。
中国大陸の実情を見たこともないアメリカ人は、中国にいとも簡単にだまされていったのであろう。

ただ、私が今一番思うことは、現在進行中の中国共産党の「南京大虐殺のプロパガンダ」だ。
プロパガンダ映画をアメリカでも放映している。
今も蒋介石の時代でも、中国は同じことをしている。
そして、日本はプロパガンダに対して、政府はなんの対応もしていない。
同じあやまちを犯すのは愚かなことだと思うのです。
頑張っているのは、民間人ばかりである。

アメリカと日本の仲を裂くことで、有利に展開しようとしている。
中国は、日本を孤立させるよういつも考えている。

まずは、自虐史観から脱出して、事実の歴史を知る人が増えて欲しいと祈るばかり。

どころで、宋美齢のことを美しいと形容する文章をみるが、私からすると「顔のでかいおばはん」である。
悪い中国人(尊大で良心のかけらもない、良心のない方の中国人)としか思えません。




[PR]

# by sahorikita | 2016-03-01 23:29 | Comments(0)
2016年 02月 28日

蒋介石に反日プロパガンダをするよう進めたドイツ人軍事顧問。アメリカ人ジャーナリスト、フレデリック・ヴィンセント・ウイリアムズより②

f0350840_14241359.jpg
フレデリック・ヴィンセント・ウイリアムズ
(Frederic Vincent Williams)
1890年生まれのアメリカ人。
少年時代に外人部隊に所属したり各地を放浪する冒険者のような生活を続け、その見聞を新聞紙上で発表することからジャーナリストの道に進む。
サンフランシスコの新聞記者としてチャイナタウンの抗争事件を取材して有名となる。
日中戦争の起こる前から極東を取材旅行しながら共産主義の危険性に注目して、親日的立場から本書を執筆した。
日米関係の悪化を懸念しつつ、ラルフ・タウンゼントらとともに発言を続け、真珠湾攻撃後にタウンゼントと同じく逮捕され、16ヶ月から4年という不定期刑を言い渡される。
戦後の日本に再びやってきて、原爆を投下された長崎を訪れ、1956年に“The Martyrs of Nagasaki“(長崎の殉教者)という本を出版している。


f0350840_14265216.png
当時の原書 “Behind the news in China”。

著者は序文で、「私が初めて中国を旅したのは、一九三七年の日中両国が戦いを始める前であった。
上海と南京で、蒋介石政府の高官にインタビューしたのである。それから北京に行き、そしてシベリアの国境、それから満州国を南下し朝鮮、そして日本に行ったのである。
それから私は戦争が始まってから中国を再訪した。最初は中国軍と行動した。それから今度は日本軍とであった。
私は両方を見た。
世界の各地を見た新聞記者としての長年の経験から、何が起こっているのかを理解することができた。私は戦場を後にした。私は多くのものを学んだ。そして精魂込めて書き上げたのがこの著作である。」と述べている。

f0350840_14265645.jpg
こちらが訳本
この本の中から重要な箇所をピックアップしていきたいと思います。

目次 第三章 第二次上海事変の内幕より抜粋
■「アメリカを引きずり込め!」
  中国の軍閥は利己的な群れでしかない。彼らは自分のことしか考えず、国家のことなど眼中にはない。彼らの力と地位の源泉は持って
 いる軍事力のみである。そして誰もが知っていることだが、もし彼がその私兵で日本軍相手に打って出れば、敗北して軍閥でなくなるこ
 とである。だから軍閥は言い逃れるのだ。特に彼らの中心にいる軍閥――蒋介石はドイツ軍に訓練された50万を数える軍隊を大事にして
 いたが、彼もまたそれらをなくせば、自分もこの地位にいられなくなることを知っていた。そこで、蒋介石はある政策を最後まで遂行す
 ることにした。それは配下の軍閥から助けになりそうなものをピックアップし、全面的な信頼が置けない者、自分に反抗しそうな者を
 日本軍と対戦させることである。(p39)

  同時に彼は軍事面に関する彼の司祭というべき、非情なドイツ軍事顧問たちに向き直った。彼らは蒋介石のために戦争マシンを作りあ
 げ、また新に作ろうとしているところだった。このドイツの将軍たちは理想主義者でなく、経験の深い実際主義の男たちであった。
 彼らはどの中国軍将軍たちより戦争を知っていた。この危機に、彼らは判断と指導をする立場にいたのであるが、時を稼いで言い逃れを
 しようとした。最初はうんざりしていた。というのもかつて彼らのアドバイスは多くの場合聞き入れられなかったし、今度も受け入れら れるとは思えなかったからだ。

  つまり彼らは蒋介石にこう言った。「外国に干渉するよう頼みなさい。あなたは1人では勝てない。ロシアは今ここにいない。協力者が
 必要でしょう。イギリスに頼みなさい。しかしながら、力のある干渉者となると好ましいのはアメリカです。こうしたことになると
 アメリカ人はいつも便利だ」

  これはそんなに難しくない。シンパシーという点では、最初から中国の方にあった。日本人は侵入してきたのだ。彼らは侵略者なのだ
 中国の領土を奪い、帝国を広めようとしたのだ。一旦中国を征服したならば、中国人を組織し、世界を征服するのだ。これはモスクワと
 ロンドンのエージェントが世界に送り出した最大のプロパガンダだ。これらのエージェントはそうしてここ2年間、日本人をこてんぱんに
 やっつけていたのだ。

  さて今彼らはいかにも楽しそうに新しく仕事を始めた。迅速になさねばならないもっとも強烈な仕事だ。世界中を反日にする、おそら くアメリカによる干渉の道をととのえようという仕事だ。つまり、アメリカは「世界から民主主義を救え」というためには最適だと
 いうわけだ。イギリスは特にアメリカで反日世論を燃え上がらせ、警告するということでは嘘偽りなくロシア人をしのいでいた。

 (p40)
f0350840_10503659.jpg
城門に掲げられている旗は5色旗といい、中華民国北京政府時代1912~1928)の国旗
上から赤(漢)・黄(満)・(蒙)・白(回)・黒(西蔵(チベツト))の五色横縞五族共和象徴
また旧満州国では五色旗は黄地の左肩に赤・藍・白・黒の四線を並べて五族協和
と称した。
日の丸の旗もみられるということは、日本軍が歓迎されていたと見ることができます。



目次 第四章 残虐きわまる中国軍を糊塗するプロパガンダより抜粋
 ■「焦土作戦」と「氾濫作戦」

   蒋介石の宣伝係はプリンターインクで戦っている。兵隊や銃ではない。しかし一般のナイーブなアメリカ人や世界の人々をうっとり
  させるような大当たりを取っているのだ。

   新聞の見出しやニュースのコピーでうまくいったものがある。「焦土作戦」である。蒋介石の宣伝係は言った。「侵略者を引き返さ  せるために、「彼らの背後のものをすべて破壊した」と。これはいつもこの作戦に固執している中国の軍閥の私兵のためには皮肉か
  冗談の類いである。退却するとき、もし彼らが外国人を殺しも略奪もしないのならば、自分の民族相手にやるまでである。やられる方
  は、長い付き合いでこういうことにはもう馴れてしまったよと言うしかなくなるまでやるのだ。(p51)
   この「焦土作戦」はアメリカやその他の全く単純かつ穏健な勤め人たちには、残虐な侵略者に対抗してのっぴきならない犠牲を強い  られたときにする、身を守るため民衆の高貴な行為だとみなされていた。
   
   これに告ぐのが「氾濫作戦」である。蒋介石の配下が黄河の堤防を切って数万人の中国人――男も女も子供も溺れさせたのである。
  逃走する中国兵を追ってくる日本軍をストップさせるためである。彼らは堤防を切った。自分の首と財産を守るためである。そして
  死んでいく彼らのかわいそうな同胞のことなどちっとも考えなかった。こんなことが起きたらどんな政府でも、普通は世界から忘れる  なと非難されるだろう。しかし総統の宣伝係は多くの人の自己犠牲と愛国心によるものとみなされると、うまいこと取り繕ったのだ。

   もし我が国のこの善意の魂の持ち主たちが、みじめな中国人農夫や女たち、子供たちの逃げ足の速い中国軍に対する叫びとのろいを
  聴くことができるならば、もし彼らが蒋介石とその軍隊に中国軍に拳を振り上げて地獄の呪いが降りかかるように祈っているのを見る
  ことができるだろう。しかし、彼らが中国に見るものすべて、そしてこの「氾濫作戦」など、陰険でずるがしこいプロパガンダを通し  てしか彼らは理解していないのだ。このプロパガンダは蒋介石が高給で雇った作家たちによって毎月発表されている。そいつらは、
  歴史を動かす天国の住人のような気がするとして、物々しく「アーメン」と言っているのだ。

   蒋介石の側には、「焦土作戦」や「氾濫作戦」を正当化する宣伝が作り上げられていたが、開戦後1年もすると、彼の配下の中国軍  の乱暴行為のニュースが検閲を逃れて外部世界にに少しずつ漏れ出してきた。凶暴で抑制が効かず、自国の町や市を略奪して廻る中国  兵のことが「漏れ出し」、外国人への影響を抑えるために、なんらかのプロパガンダが必要とされたのだ。中国兵が自国民から略奪し
  ているということは、蒋介石とその軍閥に作用を及ぼしていたのだ。(p52~p53)

f0350840_11115362.jpg
泥流渦巻く黄河の洪水被災地で、支那人に対する日本軍の必死の救助作業が続く。
同盟ニュース、昭和13年6月23日
日本軍は、中国の氾濫作戦で犠牲になった中国人を救出していた。


日本軍は、中国人に人道的な救出作業を行なってきた。
日本軍がいくところは治安がよくなり、安全になるから、中国人は歓迎していたのです。
蒋介石は、中国人から略奪や殺人を平気でするから嫌われていたのが事実です。
日本人の善行は隠され「日本人がいかに侵略をしかけてきたか。日本人は残虐かというプロパガンダ」が世界中に発信され日本は孤立化していく。
また、ドイツ軍が蒋介石に武器を提供していたのは、知っていたが、プロパガンダをするように進めたというのが驚きだ。
武器を売っていたドイツ軍は、
蒋介石が負け続けると自分達の武器が無能であるとの評判を気にしたようだ。


フレデリック・ヴィンセント・ウイリアムズ氏の見た中国は、事実をよく把握している。










[PR]

# by sahorikita | 2016-02-28 11:36 | Comments(0)
2016年 02月 25日

中国にて日本人虐殺は続いていた。掠奪、殺人が断続した。アメリカ人ジャーナリスト、フレデリック・ヴィンセント・ウイリアムズ①

f0350840_14241359.jpg
フレデリック・ヴィンセント・ウイリアムズ
(Frederic Vincent Williams)
1890年生まれのアメリカ人。
少年時代に外人部隊に所属したり各地を放浪する冒険者のような生活を続け、その見聞を新聞紙上で発表することからジャーナリストの道に進む。
サンフランシスコの新聞記者としてチャイナタウンの抗争事件を取材して有名となる。
日中戦争の起こる前から極東を取材旅行しながら共産主義の危険性に注目して、親日的立場から本書を執筆した。
日米関係の悪化を懸念しつつ、ラルフ・タウンゼントらとともに発言を続け、真珠湾攻撃後にタウンゼントと同じく逮捕され、16ヶ月から4年という不定期刑を言い渡される。
戦後の日本に再びやってきて、原爆を投下された長崎を訪れ、1956年に“The Martyrs of Nagasaki“(長崎の殉教者)という本を出版している。


f0350840_14265216.png
当時の原書 “Behind the news in China”。

著者は序文で、「私が初めて中国を旅したのは、一九三七年の日中両国が戦いを始める前であった。
上海と南京で、蒋介石政府の高官にインタビューしたのである。それから北京に行き、そしてシベリアの国境、それから満州国を南下し朝鮮、そして日本に行ったのである。
それから私は戦争が始まってから中国を再訪した。最初は中国軍と行動した。それから今度は日本軍とであった。
私は両方を見た。
世界の各地を見た新聞記者としての長年の経験から、何が起こっているのかを理解することができた。私は戦場を後にした。私は多くのものを学んだ。そして精魂込めて書き上げたのがこの著作である。」と述べている。

f0350840_14265645.jpg
こちらが訳本
この本の中から重要な箇所をピックアップしていきたいと思います。

目次 第二章 西安事件と頻発する日本人虐殺より抜粋
■日本にいる中国人は安全である。
  日本帝国に住む6万人の中国人は平和に生活していた。彼らの生命や財産は、日本人たちとの渾然一体となった友好的な社会関係の中 で守られていた。私は横浜のチャイナタウンを歩いたことがある。他の町でも遊んでいる中国人の子供を見つけた。危険な様子や恐怖な ど何も知らない表情だった。
  かたや中国では、中国人が暴徒と化して、日本人の子供を好きなように捕まえていたのである。東洋的微笑の中で我々のように暮らし
 旅したものは、「日本人の残忍さと非人間性、それに比べて貧しき中国人の平和な人間性とはいかに違うものか」と聞くことがある。
 通州で無辜の日本人たちを虐殺したまさしくその中国兵たちが、捕虜になったときは日本軍によって給養され、「罪を憎んで人を憎ま
 ず」のサムライ精神によって、「もうああいうことはしてはいけない。さあ行け」と説かれていたのである。日本軍の将官は虐殺の罪を
 無知な兵隊に帰するのではなく、南京の軍閥やモスクワ、無知な耳に叩き込まれた反日宣伝のせいとしたのである。


  世界はこれらの非道行為を知らない。もし他の国でこういうことが起きれば、そのニュースは世界中に広まって、その恐ろしさに縮み
 上るだろう。そして殺された人々の国は直ちに行動を起こすだろう。しかし、日本人は宣伝が下手である。商業や戦争において、西洋諸 国のような方法を取ることに熟知していたとしても、日本人は自らの敵が最強のプロパンダ勢力であるにもかかわらず、宣伝を無視する
 だろう。

  中国にいる外国人には驚きとしか思えないのだが、日本はすぐ動かない。彼らは共産主義者によって虐殺が遂行されたことが分かって
 いた。また西洋諸国が日本を世界貿易市場から締め出した以上、北支との間でビジネスをしなければならないことも分かっていた。
 率直にいって、中国とは戦争をしたくなかったのである。中国政府がロシアのボルシェヴィズムの罠に絡めとられていることも分かって
 いた。しかしそれでも中国の人々とは戦争をしたくなかったのである。なぜなら中国は隣国であり、もし望むならば、生きていくための
 なくてはならないお客様だったのである。
  日本は南京とモスクワを真剣に観察していた。まずソビエトの国内がぐらついているのを知った。共産主義と第三インターナショナル
 は時がくれば自滅するだろうと。蒋介石とその統治が中国人に人気がないことも知った。彼らは蒋介石とその将軍たちが外国に資産を蓄
 えていることを知っており、時がくれば、愛想づかしている彼らに代わって新しい指導者についていくだろうと。その指導者というのは
 日本のように共産主義に反対し北支に日本のために貿易を開始してくれる人物である。

f0350840_15481127.jpg
南京陥落を喜ぶ中国人

■蘆溝橋事件
  日本人虐殺は続いていた。掠奪、殺人が断続した。そして蘆溝橋で日本軍が銃殺された。中国共産党主義者がこれをやった。火をつけ て引火させたのだ。というのも日本軍の軍服は天皇を象徴する聖なるもので、日本人は深く永遠なる愛で天皇を迎募していたからだ。
 つまり心の中にある火が大きく燃え上がったのだ。
  日本は今度は迅速に対応した。共産主義者は後退し、南京の軍閥の統治下に呷吟していた北京市民は、日本との門が開かれたことを喜 んだ。彼らは蒋介石の北京抹消計画を知っていた。また世界では知られておらず、中国人は皆知りたがっていたことだが、蒋介石はモス
 クワの共産主義と平和協定を結んでいたということも知った。中国共産党は権力の座に昇ろうとしていたのだ。
  中国共産党は蒋介石を日本と戦わせようとし、戦争に引きずり込んだ。思ったとおりになった。しかし北京の市民はこれらの共産主義
 者に抵抗した。町が共産主義者に乗っ取られたならば、南京に屈従しなければいけないし、反日軍閥に救いを求めなければならない羽目
 になるのだ。
 続く・・・・。



 アメリカ人の目を通しての中国大陸の様子である。
 ロシア革命は、世界にとって非常に不幸な出来事である。
 スターリンは中国共産党の毛沢東を援助し、現在の中国共産党の支配する中華人民共和国を作った。
 この本を読んで一番問題なのは、「日本人の残忍さと非人間性、それに比べて貧しき中国人の平和な人間性とはいかに違うものか」と聞 くことがある。との部分である。現在も中国や韓国のプロパンダが行なわれているにもかかわらず、日本政府が後手にまわっている。

 今現在、慰安婦問題にて、最近、中国が難色をしめした。
 韓国の慰安婦問題をアメリカにて、後ろから応援しているのは
在米中国系組織「世界抗日戦争史実維護連合会」だ。
 かなりのお金が中国から出ている。そうして韓国人をけしかけてプロパガンダを広めている。
 何故そういうことをするのか?日本とアメリカの離間工作である。日本を孤立させるためである。
 その為に現在もまた「日本人は残虐非道である」というイメージを植えつけようとしている。
 日本も変わらなければならない。
 同じ過ちをおかしてはいけない。
 フレデリック・ヴィンセント・ウイリアムズ氏の助言ともいえる内容は重要であります。
 


[PR]

# by sahorikita | 2016-02-25 16:35 | Comments(0)