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2016年 06月 26日

17.フーバー大統領が明かすルーズベルトの罪状(日米戦争を起こしたのは誰か) ★原爆投下

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第三代アメリカ合衆国大統領 任期(1929年~1933年)
ハーバード・フーバー(Herbert Hoover:1874~1964年)

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2011年にフーバー研究所から刊行された
フーバー大統領の膨大な回想録
『フリーダム・ビトレイド』(裏切れれた自由)
この著書は全900ページを超える大著。日本では、訳本はまだ出ていない。
フーバーはこの大著で、東京裁判史観を真っ向から全否定している。

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フーバー大統領の著書を部分的にエッセンスをまとめた本がこちらである。
こちらの本の中の一部、フーバー大統領が指摘した19の過ちを紹介したいと思います。

■第17の過ち 原爆投下
  「第17番目のアメリカの政治の大道からの逸脱は、トルーマンが日本人の上に原子爆弾を落とすという非道徳的な命令を
  下したことである。日本は繰り返して和平を求めていたにもかかわらず。
これはアメリカの全ての歴史のなかで、他に比較
  するもののない残虐な行為であった。これはアメリカの良心に対して、永久に重くのしかかるであろう」(p127より)
   
  
 Dropping the Atomic Bomb
 Seventeenth. The Seventeenth wandering of American statesmanship was Truman's immoral order to drop the
 atomic bomb on the Japanese, Not only had Japan been repeatedly suing for peace but it was the act of unparalleled
 brutality in all American history. It will forever weigh on the American conscience.(以下省略、原典P882)

 
 説明の対談は藤井厳喜氏×稲村公望氏×茂木弘道氏
 対談の内容の解説を分かりやすくまとめました。↓

 17番目が原爆の投下。トルーマンが非道徳の命令を下した。これは、トルーマンが原爆を落としたこと。
 アメリカの良心に永久に重くのしかかる事件であると、フーバーは素直にその過ちを認めている。
 実行したのはトルーマンだが、計画を作ったのはルーズベルトです。



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by sahorikita | 2016-06-26 19:58 | Comments(0)
2016年 06月 14日

9.フーバー大統領が明かすルーズベルトの罪状(日米戦争を起こしたのは誰か) ★1941年9月近衛和平提案を拒絶した事

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第三代アメリカ合衆国大統領 任期(1929年~1933年)
ハーバード・フーバー(Herbert Hoover:1874~1964年)

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2011年にフーバー研究所から刊行された
フーバー大統領の膨大な回想録
『フリーダム・ビトレイド』(裏切れれた自由)
この著書は全900ページを超える大著。日本では、訳本はまだ出ていない。
フーバーはこの大著で、東京裁判史観を真っ向から全否定している。

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フーバー大統領の著書を部分的にエッセンスをまとめた本がこちらである。
こちらの本の中の一部、フーバー大統領が指摘した19の過ちを紹介したいと思います。

■第9の過ち 1941年近衛和平提案を拒絶した事
  「ルーズベルトが近衛総理大臣の和平の提案を受け入れ拒否したこと。この和平の提案が受け入られることを、日本に駐在する
  アメリカの大使もイギリスの大使も積極的に働きかけたし、又祈るような気持ちで見守っていた。近衛が提案した条件は、満州
  の返還を除く全てのアメリカの目的を達成するものであった。しかも、満州の返還ですら、議論する余地を残していた。皮肉に
  考える人は、ルーズベルトは、この重要ではない問題をきっかけにして自分の側でもっと大きな戦争を引き起こしたいと思い、
  しかも満州を共産ロシアに与えようとしたのではないかと考えることになるだろう。〔抄訳〕(p102)
   
  
 Refusal to Accept Konoye's Peace Proposals
 Ninth. The ninth time statesmanship was wholly lost was Roosevelt's contemptuous refusal of Prime Minister Konoye's
proposals for peace in the pacific of September, 1941.........(以下省略、原典P879)

 
 説明の対談は藤井厳喜氏×稲村公望氏×茂木弘道氏
 対談の内容の解説を分かりやすくまとめました。↓

  9番目の失敗が、近衛の顔に泥を塗るような形で和平交渉を拒否したこと。近衛和平提案は、日本駐在の米国大使も、英国大使も、
 祈るがごとく促していた。これが受け入れられれば、戦争は回避できたのである。
 
「近衛が提案した条件は、満州の返還を除くすべてのアメリカの目的を達成するものであった。しかも満州の返還ですら、交渉して
 議論する余地を残していた」
ということである。フーバー大統領の回顧録によれば、「見方によっては、ルーズベルトはこの重要で
 ない満州問題を切っ掛けに、大きな戦争を引き起こしたいと思った、しかも満州を共産国ロシアに与えようとしたのではないかと
 考えられる」とまで書いている。
  
近衛和平提案のことを、ルーズベルトはチャーチルの大西洋憲章の会談で、あざ笑いながら「3ヵ月あやしておく」といっている。
 もう100%戦争をするということを決めているが、始めから戦争を狙っていると思われたら困るため聞くふりをしていたのである。
 
  対談者は、外交として
近衛が、自分が誠意を尽くして交渉すればどうにかなると考える姿は間抜けであり、アメリカの国民への
 働きかけ、つまり宣伝を「ルーズベルトは戦争に追い込もうとしている。日本は和平を望んでいる」等、アメリカの世論に訴える
 などを全くしていない。外交では誠実さなんて役に立たない。そこが日本側の弱さということを、認識しなければならないと
 結んでいます。

 ★慰安婦問題や南京大虐殺など、韓国、中国にやられっぱなしの現在を見ても、同じ間違いを外務省もしている。
  民間の人達が道を切り開いて、抗議していっている現状をみても、進歩がない。
  私も民間人として、水間政憲氏のポストカード(事実の写真)を海外に郵送する運動に参加している。
  この写真をいろんな海外の方に撒くことで、中国や韓国のプロパガンダを信じてしまい、日本が孤立しないようにという
  思いから水間氏のプロジェクトに参加しています。

  歴史家、水間政憲氏のプロジェクトを紹介しておきます。
  HP→http://mizumajyoukou.blog57.fc2.com/


  いろんな角度から、第二次世界大戦の様相を見ていくことで、第二次世界大戦とはなんであったのか?
  自分なりの答えをみつけたく思っています。


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by sahorikita | 2016-06-14 17:02 | Comments(0)
2016年 05月 09日

3.フーバー大統領が明かすルーズベルトの罪状(日米戦争を起こしたのは誰か) ★ミュンヘン融和の成功と失敗

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第三代アメリカ合衆国大統領 任期(1929年~1933年)
ハーバード・フーバー(Herbert Hoover:1874~1964年)

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2011年にフーバー研究所から刊行された
フーバー大統領の膨大な回想録
『フリーダム・ビトレイド』(裏切れれた自由)
この著書は全900ページを超える大著。日本では、訳本はまだ出ていない。
フーバーはこの大著で、東京裁判史観を真っ向から全否定している。

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フーバー大統領の著書を部分的にエッセンスをまとめた本がこちらである。
こちらの本の中の一部、フーバー大統領が指摘した19の過ちを紹介したいと思います。

■第3の過ち ミュンヘン融和の成功と失敗
  「ヒトラーとスターリンという2つのモンスターが戦いあってつぶし合いになることが不可避の情況にあったのに、
  政治家道を失った者は、そのつぶし合いを止めることに努力したのである。

  *ミュンヘン融和とは
   チェコスロバキアのズデーン地方を割譲を要求するナチスドイツに対し、1938年9月、イギリス、フランス、イタリア、
   ドイツ各首脳がミュンヘンで会談、ドイツの要求を受け入れた。この融和政策のことを指す。それ以降、ナチスドイツに
   対してイギリスなどは融和的な外交政策を取った。
   融和政策がナチスドイツの領土拡大・第二次世界大戦の引き金となったという歴史観がある一方で、それを批判する見方
   もある。


 Munich
 Third. I an not disposed to condemn the agreement at Munichiin September 1938 for Sudeten Germans to the Reich
because it was a heritage from Versailles which made such action inevitable........(以下省略、原典P876)

 
 説明の対談は藤井厳喜氏×稲村公望氏×茂木弘道氏
 対談の内容の解説を分かりやすくまとめました。↓

 この三番目は大問題である。フーバー元大統領はミュンヘン融和を否定してはいない。ミュンヘン融和でヒトラーが付け上がった
  という説は採っていない。大雑把に言えばヒトラーとスターリンをつぶし合わせればよかったと言っている。
 ヒトラーとスターリンはもともと衝突コースなのであるから、やらせておけばよい。両方が疲弊したところで、アメリカが介入し
 てバランスを取っていくのが良いと。
  合意は当初、評判が良くイギリスでもフランスでも歓迎されていた。アメリカのルーズベルトもカナダのマッケンジー首相宛て
 の手紙で「戦争の勃発がさけられたのを喜びたい」と書いていることをフーバー元大統領は124ページで述べていた。

 ところが、急に批判意見が次々と出てくる。一番徹底的にチェンバレンを批判したのがチャーチルであった。
 もともとチェコのドイツ人がそのままいた場所であったので、それを併合するのはそれなりの理由があったにもかかわらず、 
 批判が続き、ポーランドは強固にミュンヘン融和を受け入れず、問題が拡大していく。
 ヒトラーの構想は、ナチス国家社会主義が、共産党、ソ連をやっつけることしかなかった。それなのに問題が批判により反れて
 いくのです。


 批判により、融合政策に亀裂が起こったことをフーバー元大統領は、述べている。
 私は、第二次世界大戦は、このようにして戦争が拡大していったと受け止めています。
 

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by sahorikita | 2016-05-09 18:27 | Comments(0)