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2016年 06月 21日

15.フーバー大統領が明かすルーズベルトの罪状(日米戦争を起こしたのは誰か) ★1945年5月~7月日本の和平提案を拒否した事

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第三代アメリカ合衆国大統領 任期(1929年~1933年)
ハーバード・フーバー(Herbert Hoover:1874~1964年)

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2011年にフーバー研究所から刊行された
フーバー大統領の膨大な回想録
『フリーダム・ビトレイド』(裏切れれた自由)
この著書は全900ページを超える大著。日本では、訳本はまだ出ていない。
フーバーはこの大著で、東京裁判史観を真っ向から全否定している。

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フーバー大統領の著書を部分的にエッセンスをまとめた本がこちらである。
こちらの本の中の一部、フーバー大統領が指摘した19の過ちを紹介したいと思います。

■第15の過ち 1945年5月~7月日本の和平提案を拒否した事
  「1945年の5月、6月、7月と、日本は白旗を揚げて和平を求めていたが、トールマンはこれを拒否した。トールマンは、
  ルーズベルトの無条件降伏という愚かな条件に従う義務は無かったのだが。ヨーロッパにおける米国の軍事指導者達は、
  無条件降伏にこだわる事に反対していたのだ。日本との和平はただひとつの譲歩で達成できた。それは天皇の地位の保全
  である。日本の天皇は世俗国家の元首であるばかりでなく、国民の精神的権威でもある。天皇の地位は信仰と伝統に基づく
  ものなのだ。米国側が、最終的にこの条件を受け入れたのは、数十万の人命が犠牲になった後であった。〔抄訳〕
  (p120~p121より)
   
  
 The British-French Guarantee of Poland and Rumania in 1939
 Fourth. The fourth abysmal loss of statesmanship was when the British and French guaranteed the independence
 of Poland and Rumania at the end of March, 1939..........(以下省略、原典P877)

 
 説明の対談は藤井厳喜氏×稲村公望氏×茂木弘道氏
 対談の内容の解説を分かりやすくまとめました。↓

 ナチスは5月に降伏し、5月、6月、7月と日本は白旗を揚げていた。それに対しトルーマンは、それを認めることを拒否した。
 原爆を落とした後に、ようやく認めたのである。戦争の犠牲者を増やす必要はあったであろうか?
 日本は天皇の地位の保全を約束すれば、日本は容易に降伏できたのである。満州だって昔にもどしてもいいと、日本は和平提案
 を求めていたが、全部拒否し、無条件降伏にこだわった。戦争を早く終わらせようという意思がなく、無条件降伏という
 ルーズベルトの考えにトルーマンは縛られていた。

 最終的に和平提案を受け入れたのは、「日本でなくアメリカが受け入れたということ」とフーバーは言う。
 ところが日本の歴史教育では、日本がポツダム宣言を無視したから犠牲者が増えたと教えている。

 ★私自身もフーバー大統領の回顧録を知るまでは、ぉ恥ずかしながらハッキリした認識ができずうやむやな部分でしたが、
  順序がよく分かりなるほどと納得しました。
  ところが日本の歴史教育では、日本がポツダム宣言を無視したから犠牲者が増えたと教えている。の部分は
  アメリカに都合がいいようになっている。通説が正しいとは限らないことを身にしみて感じます。








  

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by sahorikita | 2016-06-21 22:35 | Comments(0)
2016年 06月 21日

14.フーバー大統領が明かすルーズベルトの罪状(日米戦争を起こしたのは誰か) ★ヤルタの秘密協定

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第三代アメリカ合衆国大統領 任期(1929年~1933年)
ハーバード・フーバー(Herbert Hoover:1874~1964年)

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2011年にフーバー研究所から刊行された
フーバー大統領の膨大な回想録
『フリーダム・ビトレイド』(裏切れれた自由)
この著書は全900ページを超える大著。日本では、訳本はまだ出ていない。
フーバーはこの大著で、東京裁判史観を真っ向から全否定している。

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フーバー大統領の著書を部分的にエッセンスをまとめた本がこちらである。
こちらの本の中の一部、フーバー大統領が指摘した19の過ちを紹介したいと思います。

■第14の過ち ヤルタの秘密協定
  「ルーズベルトとチャーチルは、致命的な間違いを1945年2月のヤルタで犯した。スターリンが12の国々の独立に対して
  干渉を加えることを追認しただけでなく、数世代に亘って国際関係に危険をもたらす、悪しき勢力の動きを助長するような
  秘密の協定が結ばれた。スターリンが傀儡の国家を7つ作ったことを知りながら、「自由で妨害されない」とか、言葉を
  繕って、スターリンの暴虐に水を差さないで隠蔽した。テヘランに於いて、軍事上の妥協を最も協力に主張した向きも、
  ヤルタでは、そうした主張をもうしなかった」(p119~p120より)
   
  
 Yalta-the Secret Agreements on the Downfall Nations
 Fourteenth. The fourteenth fatal loss of statesmanship was by Roosevelt and Churchill at Yaltain
February, 1945..........(以下省略、原典P880)

 
 説明の対談は藤井厳喜氏×稲村公望氏×茂木弘道氏
 対談の内容の解説を分かりやすくまとめました。↓

 14番目がヤルタ。
 ソ連の要求が増えていって、12になる。ここで12の国々の独立に対して干渉を加えることを追認しただけでなく、数世代に
 渡って国際関係に危険をもたらすような秘密の協定が多数結ばれる。フーバーは「言葉を繕って、スターリンの暴挙に水を
 差さないで隠喩した」と批判しています。人類の自由と品格のためにも反論すべきであったとフーバーは回顧している。

 ★言葉を繕って、スターリンの暴挙に水をささないでということは、どういうことか?
  少し、解説をします。スターリンは、ここを自分の勢力にするという言葉を使わず、自由とか民主政治とかという言葉を
  使い、実際は虐殺などを行い、傀儡国家を作っていったのである。
  例として「カチンの森の虐殺」を上げます。「カチンの森の虐殺」とは、第二次世界大戦中に、ポーランドの将校や
  警察官ら約2万2000人が、ソ連のグニェズドヴォ近効の森で殺害された事件がある。1939年のソ連・ドイツによる
  ポーランド割譲によって捕虜になったポーランド軍人などを、ソ連赤軍がスターリンの命で殺害した事件である。
  当初はナチスドイツによる殺害と言われていた事件である。
   自由とか民主政治という言葉を使いながら残虐な虐殺をソ連は行なっていたのである。これを、ルーズベルトとチャーチルは、
  見てみぬふりすることに決めたということを、フーバーは批判しているのである。


  しかし、日本軍が残虐なことをした!(プロパガンダ)と中国や韓国が言うが、
  世界を見渡して、残虐さを競ったら、欧米もロシア(ソ連)も酷いものである。
  中国人だって簡単に罪の無い人を殺し、朝鮮戦争も罪のない人を多く殺している。
  日本にそんな例があるだろうか?
  捏造のされたことばかりがはびこるのは、日本人は残虐でない証拠だと思っている。
  
 

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by sahorikita | 2016-06-21 22:34 | Comments(0)
2016年 06月 19日

13.フーバー大統領が明かすルーズベルトの罪状 ★1943年12月、7つの国家にソ連の傀儡政権の押し付けを認めてしまった事

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第三代アメリカ合衆国大統領 任期(1929年~1933年)
ハーバード・フーバー(Herbert Hoover:1874~1964年)

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2011年にフーバー研究所から刊行された
フーバー大統領の膨大な回想録
『フリーダム・ビトレイド』(裏切れれた自由)
この著書は全900ページを超える大著。日本では、訳本はまだ出ていない。
フーバーはこの大著で、東京裁判史観を真っ向から全否定している。

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フーバー大統領の著書を部分的にエッセンスをまとめた本がこちらである。
こちらの本の中の一部、フーバー大統領が指摘した19の過ちを紹介したいと思います。

■第13の過ち 1943年12月、7つの国家にソ連の傀儡政権の押し付けを認めてしまった事 
  「第13番目の間違いであり、ルーズベルトとチャーチルがふらついて一番混乱した例のひとつであるが、1943年12月の
  テヘランでの会議である。ここで、第12番目の、ロシアによるバルト諸国などの併合が確認され、スターリンが、友好的な
  国境の諸国を名付けた、傀儡政権の7カ国を承認したことである。国際的な動議と彼ら自身(ルーズベルトとチャーチル)の
  諸国への独立と約束と、自由な人間への忠誠に則り、ルーズベルトとチャーチルはスターリンに対して反対すべきであった。
  それまで、こうした併合に対する合意や、黙認と妥協をスターリンと行なうことが必要であるほどの、軍事的な危険は存在
  しなかったのである」〔抄訳〕(p117)
   
  
 Teheran and lts Sacrifice of Seven More Nations
 Thirteenth. The thirteenth and possibly one of the greatest of all confused wanderings in Roosevelt's and
Churchill's statesmanship was at Teheran in December, 1843..........(以下省略、原典P880)

 
 説明の対談は藤井厳喜氏×稲村公望氏×茂木弘道氏
 対談の内容の解説を分かりやすくまとめました。↓

 13番目の間違いは、ルーズベルトとチャチールの確信がふらついて、一番混乱した例の一つが1943年12月のテヘラン会談で
 あったとフーバーは言います。ここでソ連によるバルト諸国その他の併合が確認され、スターリンがそれらの国を「友好的な
 国境の諸国」と名付けた。自分の支配下、もしくは傀儡国家を「友好的な国境の諸国」と言ったということである。
 傀儡政権7カ国を認めたのである。ロシアによる軍事的危険はなかったのであるから、チャーチルとルーズベルトは、国際的
 道義を忘れずにスターリンに反対するべきであったと述べています。

 ★なぜかソ連に対しては、道義を無視してでもチャーチルもルーズベルトも、ソ連に甘いのである。
  ソ連は、やりたい放題が許されているのである。
  私は、いつも不思議でしかたありません。
 

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by sahorikita | 2016-06-19 22:26 | Comments(0)
2016年 06月 08日

7.フーバー大統領が明かすルーズベルトの罪状(日米戦争を起こしたのは誰か) ★ソ連共産主義を助けた事

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第三代アメリカ合衆国大統領 任期(1929年~1933年)
ハーバード・フーバー(Herbert Hoover:1874~1964年)

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2011年にフーバー研究所から刊行された
フーバー大統領の膨大な回想録
『フリーダム・ビトレイド』(裏切れれた自由)
この著書は全900ページを超える大著。日本では、訳本はまだ出ていない。
フーバーはこの大著で、東京裁判史観を真っ向から全否定している。

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フーバー大統領の著書を部分的にエッセンスをまとめた本がこちらである。
こちらの本の中の一部、フーバー大統領が指摘した19の過ちを紹介したいと思います。

■第7の過ち ソ連共産主義を助けた事
  「アメリカの歴史の全史を通じてもっとも政治の大道が失われたのが、ヒトラーがロシアを1941年に攻撃したときに、
  共産ロシアを支援して、アメリカとロシアが非公然の同盟関係になったことである。英国を救うにはアメリカの軍事力が
  必要であるとする考え方は、例え誤った理論であったにしても、どこかに消えてしまった。ロシアを米国が支援すると
  言うことは、共産主義が世界に広がることであった。ドイツとロシアの戦争に米国は巻き込まれるべきではなかった。
  平和が持続するという最大のチャンスがあったのだが、ルーズベルト大統領は、その機会を捉えることができなかった。
  (p098~p098より)
   
  
 Alliance with Stalin
 Seventh. Indeed the greatest loss of statesmanship in all American alliance and support of Communist Russia when
Hitler made his attack in June,1941..........(以下省略、原典P878)

 
 説明の対談は藤井厳喜氏×稲村公望氏×茂木弘道氏
 対談の内容の解説を分かりやすくまとめました。↓

 7番目の問題は、本質的な問題だといえる。一番の問題点である。
 共産主義ロシアを応援して、アメリカとロシアが同盟国になってしまった。
 フーバー大統領は「今や我々はスターリンとその軍事的な謀略に支援を約束しているのだ、
 世界の民主国家に反して」と警告を発していた。

 アメリカがソ連に力をつけさせ、第二次大戦の勝者がソ連とスターリンであったことを考えると納得がいく。
 アメリカとして莫大な犠牲を払って、共産主義の勝利を収めさせた。ロシア民族の勝利でもなく、共産党の勝利である。
 共産党主義者により、ロシア人自身は酷い目に遭っているにも関わらず・・・・。と解説しています。

 第二次世界大戦の結果、アメリカは膨大な負債を抱えだけであった。多くの国民が亡くなった。
 イギリスもほとんどの植民地を失い経済的に打撃を受けた。そして、イギリスは衰退した。
 勝者は、ソ連なのである。そして、共産国が次々に増えたのである。
 何故、民主主義の国アメリカが、共産主義ソ連を応援するのか?
 私がいつも思う疑問である。
 ヴェノナ文章により、ルーズベルト大統領の周辺にはソ連のスパイがたくさんいたの情報も公開されているが、単にスパイに
 いいなりになっていただけでもなさそうな気がするのです。ルーズベルト大統領の政権では、ソ連にはじめから、最後まで優しいと
 いうか、配慮をする政策があるので不思議なのです。

 謎が多い人物です。
 





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by sahorikita | 2016-06-08 17:26 | Comments(0)
2016年 05月 16日

4.フーバー大統領が明かすルーズベルトの罪状(日米戦争を起こしたのは誰か) ★英仏の「ポーランドとルーマニア」への独立保障

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第三代アメリカ合衆国大統領 任期(1929年~1933年)
ハーバード・フーバー(Herbert Hoover:1874~1964年)

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2011年にフーバー研究所から刊行された
フーバー大統領の膨大な回想録
『フリーダム・ビトレイド』(裏切れれた自由)
この著書は全900ページを超える大著。日本では、訳本はまだ出ていない。
フーバーはこの大著で、東京裁判史観を真っ向から全否定している。

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フーバー大統領の著書を部分的にエッセンスをまとめた本がこちらである。
こちらの本の中の一部、フーバー大統領が指摘した19の過ちを紹介したいと思います。

■第4の過ち ミュンヘン融和の成功と失敗
  「第4の計り知れぬ程に愚かな失敗は、イギリスとフランスとが、ポーランドとルーマニアの独立を1939年の3月末に保障した
  ことである。その時点で、これまで、ヒトラーとスターリンとが戦うことが避けられない状況で在って、その際ヨーロッパの
  民主国家は介入しない方針をとっていたのであるが、その方針が変わったのである。
   これは、ヨーロッパ外交史のなかでも、力関係の外交を見た場合に、歴史上最大の失策であった可能性が高い。イギリスも
  フランスも、ポーランドを侵略行為から救い出す力がなかったのにもかかわらず、この保障によって、ヒトラーとスターリン
  の間に、民主国家の存在を投げ出すことになった。
   これはスターリンをヒトラーから守ることになったばかりか、スターリンは自らの影響力を、一番高く買った者に売ることが
  できるようになったのである。スターリンは、バルト海諸国と東ポーランドを併合した。スターリンは、ヒトラーから獲物をう
  ばったのである。ヒトラーは、南東ヨーロッパに拡張して、モスクワの共産党の本山を破壊することを放棄したわけではなかった
  ので、まず、前進するためには、西側の民主国家の中立化をなしとげる必要があった。第二次世界大戦という長い恐怖の列車が
  このポーランドの(独立)保証という過ちから、発車することになった。ルーズベルトが係わったことは確かであるが、どの程度
  の関与であったかを確定するには、資料が不完全である。
チャーチルは、政権をとっていなかったが、ミュンヘンでヒトラーと
  妥協した後のチェンバレンがめちゃくちゃな行動に出るように駆り立てていった。(p088~p090より)
   
  
 The British-French Guarantee of Poland and Rumania in 1939
 Fourth. The fourth abysmal loss of statesmanship was when the British and French guaranteed the independence
of Poland and Rumania at the end of March, 1939..........(以下省略、原典P877)

 
 説明の対談は藤井厳喜氏×稲村公望氏×茂木弘道氏
 対談の内容の解説を分かりやすくまとめました。↓

   三つ目の失敗「ミュンヘン融和」が、第4の失敗につながってしまった。その第4の失政として「イギリスとフランスが
  ポーランドとルーマニアの独立」を保証したこと。
   イギリスもフランスも、ドイツの侵略を防ぐ力はなかったのに、なぜ保証するのだとフーバーは書いている。
  そのため、イギリスもフランスもドイツの戦争に巻き込まれ、ポーランドはドイツにやられ、さらにソ連にやられた。
  第二次世界大戦後は1991年ソ連連邦が滅びるまでの半世紀、東ヨーロッパは完全にソ連という独裁体制の統制化に置かれてしまう。
  イギリスとフランスがポーランドと独立を保証することで、ドイツとソ連の争いで終わるはずのものが拡大し、その保証のために
  イギリスはドイツに宣戦布告をし、長く悲惨な第二次世界大戦のスタートとなる。
  また、保証する力もないイギリスとフランスは、ヒトラーとスターリンに餌食のように民主国家ポーランドとルーマニアを
  投げ出したようなもので、伝統的、正統的なバランスオブパワーでものを考えていれば、こんなことにはならなかったと
  英仏の外交のまずさを指摘しています。

  ルーズベルトが係わったことは確かであるが、どの程度の関与であったかを確定するには、資料が不完全である。
  注:「十分な証拠がない」とフーバーは嘆いていましたが、
    確かな証拠が『ルーズベルトの開戦責任』(ハミルトン・フィッシュ著)より出てきます。
    イエジ・ユゼフ・ポトツキ駐米ポーランド大使が「ルーズベルト大統領は、ポーランドの独立の為に、英仏側に立って
    参戦する事を約束していた」と証言していることが分かりました。(P090~092)



  ルーズベルトは、戦争前からてソ連に甘い。
  ヴェノナ文書にて、ソ連のコミンテルミンのスパイに囲まれていたことが分かりますが、
  それでもルーズベルトは謎の深い人物であることが浮かびます。
  『ルーズベルトの開戦責任』(ハミルトン・フィッシュ著)を先に読みましたが、見た目にもルーズベルトは重病であったにも
  かかわらず、医者はなんともないと証言させていたり、隠し事がたくさんある。ハル・ノートの存在も数名が知っていただけで
  政府の人間もそんなものの存在も知らず、戦争をしていた。
  『ルーズベルトの開戦責任』(ハミルトン・フィッシュ著)と合わせて読むと非常に興味深い。
  日本だけでなく、アメリカ人をもあざむいていたと考えられます。

  ハミルトン・フィッシュ著 『ルーズベルトの開戦責任』の本のブログも書いています。
  こちらからどうぞ→ http://sahorimatu.exblog.jp/22240480/

  
  

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by sahorikita | 2016-05-16 16:22 | Comments(0)
2016年 05月 04日

2.フーバー大統領が明かすルーズベルトの罪状(日米戦争を起こしたのは誰か) ★ソ連承認の失敗

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第三代アメリカ合衆国大統領 任期(1929年~1933年)
ハーバード・フーバー(Herbert Hoover:1874~1964年)

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2011年にフーバー研究所から刊行された
フーバー大統領の膨大な回想録
『フリーダム・ビトレイド』(裏切れれた自由)
この著書は全900ページを超える大著。日本では、訳本はまだ出ていない。
フーバーはこの大著で、東京裁判史観を真っ向から全否定している。

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フーバー大統領の著書を部分的にエッセンスをまとめた本がこちらである。
こちらの本の中の一部、フーバー大統領が指摘した19の過ちを紹介したいと思います。

■第2の過ち ソ連承認の失敗
  「ルーズベルト大統領の第2の失策が、共産ロシアを1933年11月に承認したことである。4人の大統領と、五人の国務長官に
 わたって、共和党か民主党かを問わずに、そのような承認行為を、(国際共産主義運動の目的と手法の全体を知った上で)ずっと
 拒否してきた。共産主義者は、宗教の信仰、人間の自由と民族や国家の独立をぶちこわすようなばい菌を運び、アメリカに浸透し
 てくることを、彼ら(4人の大統領と五人の国務長官)は知っていたからである。
  彼らは、米国が共産ロシアを承認すれば、ソ連の威信と国力が高まることを知っていた。ルーズベルトが(スターリンと)結ん
 だ愚かな合意、つまり共産主義者は、米国の国境の内側では活動しないという約束は、48時間後には公然と反故にされた。

  政府の高いレベルに入り込み、第五列の活動が全国にひろがり、フランクリン・ルーズベルトが大統領であった12年間に亘って、
 国家反逆者の行為が長く続く事になった。

 The Recognition of Communist Russia in 1933
Second.Roosevelt's second lost statesmanship was in recognition of Com-munist Russia in November,1933.....
(以下省略、原典P.876)


彼らは、米国が共産ロシアを承認すれば、ソ連の威信と国力が高まることを知っていた。ルーズベルトが(スターリンと)結ん
だ愚かな合意、つまり共産主義者は、米国の国境の内側では活動しないという約束は、48時間後には公然と反故にされた。

 
この部分が、共産主義の本質のような・・・。

 ■補足の対談から、以下はまとめています↓
 この48時間後に反故にされ何が起こったか?
 大手を振ってアメリカ国内に共産主義者がなだれ込み、宣伝活動を始めた。
 「政府と党は別だ」という言い訳でごまかされ、アメリカにが共産主義に侵されていく切っ掛けとなる。

 事実として、フランクリン・ルーズベルトが大統領に選ばれる直前、2つの事件が起こっている。
 共産主義者が主導した事件である。
 ★偽札を大量に刷ったという事件
 ★ボーナス行進をやった。
  これは、第一次世界大戦の退役軍人を組織し、われわれは生活に窮している、ボーナスをよこせ!と行進を起こす。
  これには退役軍人が1万7千人も参加し、1932年の7月には4万人以上に膨れ上がり、結局、2人の死者、1017人の
  負傷者を出す事件になる。この事件は共産党が陰で主導したものであった。

 こういう事件や危機感があったにもかかわらず、ルーズベルトは「ソ連を承認」し、アメリカ共産党なるものが出現する。
 ルーズベルト政権の中枢に、ソ連のコミンテルミンつまりスパイが入り込む。
 その事は、ヴェノナ文章で証明されています。

 自由民主主義の国アメリカが、共産主義国ソ連を認める。
 共産主義の危険を知りながら、反対を押し切り認めたルーズベルトとは何者なのか?
 
 次は、「第3の過ち」を述べたいと思います。
 

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by sahorikita | 2016-05-04 16:10 | Comments(0)