さほりさんの自虐史観からの脱却

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2016年 06月 19日

12.フーバー大統領が明かすルーズベルトの罪状(日米戦争を起こしたのは誰か) ★1943年10月のバルト三国とポーランド東部のソ連への譲渡

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第三代アメリカ合衆国大統領 任期(1929年~1933年)
ハーバード・フーバー(Herbert Hoover:1874~1964年)

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2011年にフーバー研究所から刊行された
フーバー大統領の膨大な回想録
『フリーダム・ビトレイド』(裏切れれた自由)
この著書は全900ページを超える大著。日本では、訳本はまだ出ていない。
フーバーはこの大著で、東京裁判史観を真っ向から全否定している。

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フーバー大統領の著書を部分的にエッセンスをまとめた本がこちらである。
こちらの本の中の一部、フーバー大統領が指摘した19の過ちを紹介したいと思います。

■第12の過ち 1943年10月のバルト三国とポーランド東部のソ連への割譲
  「第12番目の過ちは、1943年10月のモスクワでの外務大臣会合で、自由とか民主政治といった用語が飛び交うなかで、
  ロシアが、バルト海諸国、東ポーランド、東フィンランド、ベッサラビア、とブコビナを併合(これはヒトラーが合意
  していた)する事に抗議の声があがらなかったことである。この沈黙は、大西洋憲章とルーズベルトが約束した
  「四つの自由」を最終的に放棄するものであった。」〔抄訳〕(p115)
   
  
 The Sacrifice of the Baltic States and East Poland at Moscow, October,1943
 Twelfth. The twelfth error of lost statesmanship was the sacrificed for free nations at the Foreign Ministers
meeting at Moscow,in October 1943..........(以下省略、原典P880)

 
 説明の対談は藤井厳喜氏×稲村公望氏×茂木弘道氏
 対談の内容の解説を分かりやすくまとめました。↓

12番目の過ちは、要するに共産ソ連がこういった国を自分の勢力圏に入れてしまうということに抗議できなかった。
 明らかに大西洋憲章や「四つの自由」の約束を放棄するものであり、ソ連に有利なことをしてしまったということ。
 「四つの自由」とか格好の良いことをいっていたが、実際はそんなことはどうでもよく、いつもソ連はやりたい放題
 させ、それをアメリカは黙認してしまうという事実を指摘。
 ルーズベルトが起こした戦争は、第二次世界大戦の大儀がなくインチキだとも指摘しています。

 ★いつも思うのは、ルーズベルトは、スターリン共産主義者に甘く、民主主義の国アメリカ政府が何故そこまで甘いのかが、
  不思議である。ルーズベルトの周りには共産主義者のスパイがとりかこんでいたというが、私は共産主義者と内通する
  スパイそのものにも思えてくるのです。
  そんな突飛な想像をしてしまいます。




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by sahorikita | 2016-06-19 22:18 | Comments(0)
2016年 06月 17日

11.フーバー大統領が明かすルーズベルトの罪状(日米戦争を起こしたのは誰か) ★無条件降伏の要求

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第三代アメリカ合衆国大統領 任期(1929年~1933年)
ハーバード・フーバー(Herbert Hoover:1874~1964年)

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2011年にフーバー研究所から刊行された
フーバー大統領の膨大な回想録
『フリーダム・ビトレイド』(裏切れれた自由)
この著書は全900ページを超える大著。日本では、訳本はまだ出ていない。
フーバーはこの大著で、東京裁判史観を真っ向から全否定している。

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フーバー大統領の著書を部分的にエッセンスをまとめた本がこちらである。
こちらの本の中の一部、フーバー大統領が指摘した19の過ちを紹介したいと思います。

■第11の過ち 無条件降伏の要求
  「第11番目のルーズベルトの壮大な過ちは、1943年1月のカサブランカにおいて、枢軸国の無条件降伏を要求したことである。
  ルーズベルトは、米軍の助言も、チャーチルの助言も聞き入れずに、新聞の一面の見出しを狙った。無条件降伏の要求は、敵国
  の軍国主義者や扇動者に利用され、ドイツ、日本、イタリアとの戦争を長引かせた。ところが、実際の戦争の終わりには、
  日本とイタリアには、譲歩したのである。ドイツに関しては、ナチスをなくさない限り、平和は有り得ないから、無条件の要求
  はドイツの和平への希望を失わせただけであった。戦争の終結の仕方が余りにも酷かった為、ドイツを再建する基礎となるもの
  が失われてしまった。〔抄訳〕(p111~p112より)
   
  
 The Demand for Unconditional Surrender
 Eleventh. The eleventh gigantic error in Roosevelt's statesmanship was demand for "Unconditional Surrender" at
Casablanca in January, 1943, where without our military, or even Churchill's advice, He was seeking a headline.
..........(以下省略、原典P879)

 
 説明の対談は藤井厳喜氏×稲村公望氏×茂木弘道氏
 対談の内容の解説を分かりやすくまとめました。↓

 これが11番目のステーツマンシップからの逸脱であるとフーバーは述べている。
 1943年1月のカサブランカ会議においてルーズベルトは「無条件降伏」ということを言い始めます。無条件降伏という
 アメリカの南北戦争のときに出てくる言葉でもあった。これにこだわったので南北戦争はより残酷になり、長引いたと
 いうことを軍事の専門家は大体指摘している。『ウェデマイヤー回想録』にもそのことが詳細に書いている。
 この時にルーズベルトにスターリンがすごいことを言った。始めは条件付降伏で屈服させたあとに、無条件降伏にした
 らいいんだと。まさに、日本はそれをやらされた。
 それはどういうことかと言うと、ポツダム宣言の13項目をミズリー号上でサインして、日本軍隊が無条件降伏し軍が武装
 解除したら、13項目は無視された。軍隊だけに適用される無条件降伏が、軍以外にも及んだのである。
 政治的には条件を残したはずだったのに・・・・・。

 解説では、実はもっと調べていくと、カサブランカの会議で無条件降伏なんて議論もされていない。チャーチルにもスターリン
 にも言わず、ルーズベルトは記者会見のときに、いきなり言った。アメリカの参謀、幹部にも何も相談していない。
 いきなり無条件降伏というマスコミ受けする記者会見をしたのである。国民はそういう強硬なことを喜ぶであろうという計算の
 もとマスコミを利用し、国務省も従わざるを得ない空気を作っていたのです。


 ★ルーズベルトは、非常に謎の多い人物である。
  アメリカ国民をうまくだまし、戦争に導き、日本に戦争をふっかけさせ、何故かスターリンという共産主義者に甘く
  何をしたかったのか?いつも疑問を感じるところであります。
  「狂人ルーズベルト」ということを著書で書いている方もいる。それほど戦争を何故したかったのか?
  この点も疑問です。



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by sahorikita | 2016-06-17 22:15 | Comments(0)
2016年 06月 17日

10.フーバー大統領が明かすルーズベルトの罪状(日米戦争を起こしたのは誰か) ★日本との3ヵ月の冷却期間を拒絶した事

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第三代アメリカ合衆国大統領 任期(1929年~1933年)
ハーバード・フーバー(Herbert Hoover:1874~1964年)

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2011年にフーバー研究所から刊行された
フーバー大統領の膨大な回想録
『フリーダム・ビトレイド』(裏切れれた自由)
この著書は全900ページを超える大著。日本では、訳本はまだ出ていない。
フーバーはこの大著で、東京裁判史観を真っ向から全否定している。

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フーバー大統領の著書を部分的にエッセンスをまとめた本がこちらである。
こちらの本の中の一部、フーバー大統領が指摘した19の過ちを紹介したいと思います。

■第10の過ち 日本との3ヵ月の冷却期間を拒絶したこと
   「昭和16年の11月に、天皇陛下が3ヵ月間のスタンドスティル、すなわち冷却期間をおこうとの提案を、駐日の米国大使を
  通じてされたが、ルーズベルトは是を拒否した。米国の軍高官も、冷却期間の提案を受け入れるべきであると大統領に促し
  た。当時、日本はロシアが、同盟関係にあったヒトラーを打倒する可能性を警戒していたのである。90日の冷却期間があって、
  (戦端開始の)遅れがあれば、日本から全ての戦意を喪失させて、太平洋で戦争する必要を無くしたに違いない。
   スティムソンの日記が明らかにしたように、ルーズベルトとその幕僚は、日本側から目立った行動が取られるように挑発す
  る方法を探していたのだ。だから、ハルは、馬鹿げた最後通牒を発出して、そして我々は真珠湾攻撃で負けたのだ。損害が
  どんどん発生して、(東)南アジアで日本が勝利し占領することは、予想できなかったのだ。更には、アメリカは制海権を
  ヒトラーと東條は、米国の海岸が見えるところで、アメリカの船舶を破壊することができるようになったのである。
  〔抄訳〕(p106~p107より)
   
  
 Refusal to Accept a 3 Month's Stand-Still Agreement with Japan
 Tenth. The tenth loss of statesmanship was the refusal to accept the proposals which his Ambassador informed him
came from the Emperor of Japan for a three month's stand still agreement in November, 1941........(以下省略、原典P879)

 
 説明の対談は藤井厳喜氏×稲村公望氏×茂木弘道氏
 対談の内容の解説を分かりやすくまとめました。↓

 これは最後の日本の提案のことを言っています。この提案は甲案と乙案があったアメリカとの交渉のことです。
 日本としては、甲案が理想的であったが、アメリカの強行な態度もあり、妥協的な案が乙案であった。乙案の内容が、3ヵ月間の
 現状維持をして、その間にさらなる妥協の機会を見つけようとした暫定案である。
 しかし、ルーズベルトはそれを拒否したのである。
 フーバー大統領は、ハルノートが最後通牒だったと言っている。
 日本軍の強硬派でも、対英米開戦というのはちょっと待てよ・・・という所があった。3ヶ月間というのは日本にとっても冷却期間
 になるはずであったが、逆にルーズベルトから言えば、とにかく日本を叩いて早く開戦させなきゃ駄目だ、3ヵ月待ったら日本は
 もう乗ってこないと踏んでいたのである。
 解説の中で、日本の先制攻撃でアメリカは計り知れないぐらいの損失を被ったと書いてあるが、これはドイツのことであり、
 日本のことではない。ドイツはメキシコ湾岸の海上でアメリカの商戦破壊を始めたことを言っている。
 あと、日本海軍は通商破壊と自国のシーレーン守るよりも、相手の軍艦を沈めることに重きを置いていたことのまずさにもふれて
 いる。軍艦を沈めると50点の評価が、商戦にて相手国のシーレーンを断つ仕事は10分の1の評価であった。評価を気にするあまり
 海軍は非常識な考え方を持っていたことを指摘しています。


 ★日本はまんまとルーズベルトに嵌められていった。
  私が歴史を通して思うのは、日本は海外に向けて、宣伝戦(事実を声を大きくしていう)をすることに考えが及ばない。
  ハル・ノートの内容を世界に発信したらよかったのではないか?と思う。
  ハル・ノートはルーズベルトの腹心数人しか知らなかったということを知ってから、思うのですが・・・。
  アメリカ人はハル・ノート存在すら知らなかったのですから・・・・。
  

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by sahorikita | 2016-06-17 22:14 | Comments(0)
2016年 06月 14日

9.フーバー大統領が明かすルーズベルトの罪状(日米戦争を起こしたのは誰か) ★1941年9月近衛和平提案を拒絶した事

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第三代アメリカ合衆国大統領 任期(1929年~1933年)
ハーバード・フーバー(Herbert Hoover:1874~1964年)

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2011年にフーバー研究所から刊行された
フーバー大統領の膨大な回想録
『フリーダム・ビトレイド』(裏切れれた自由)
この著書は全900ページを超える大著。日本では、訳本はまだ出ていない。
フーバーはこの大著で、東京裁判史観を真っ向から全否定している。

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フーバー大統領の著書を部分的にエッセンスをまとめた本がこちらである。
こちらの本の中の一部、フーバー大統領が指摘した19の過ちを紹介したいと思います。

■第9の過ち 1941年近衛和平提案を拒絶した事
  「ルーズベルトが近衛総理大臣の和平の提案を受け入れ拒否したこと。この和平の提案が受け入られることを、日本に駐在する
  アメリカの大使もイギリスの大使も積極的に働きかけたし、又祈るような気持ちで見守っていた。近衛が提案した条件は、満州
  の返還を除く全てのアメリカの目的を達成するものであった。しかも、満州の返還ですら、議論する余地を残していた。皮肉に
  考える人は、ルーズベルトは、この重要ではない問題をきっかけにして自分の側でもっと大きな戦争を引き起こしたいと思い、
  しかも満州を共産ロシアに与えようとしたのではないかと考えることになるだろう。〔抄訳〕(p102)
   
  
 Refusal to Accept Konoye's Peace Proposals
 Ninth. The ninth time statesmanship was wholly lost was Roosevelt's contemptuous refusal of Prime Minister Konoye's
proposals for peace in the pacific of September, 1941.........(以下省略、原典P879)

 
 説明の対談は藤井厳喜氏×稲村公望氏×茂木弘道氏
 対談の内容の解説を分かりやすくまとめました。↓

  9番目の失敗が、近衛の顔に泥を塗るような形で和平交渉を拒否したこと。近衛和平提案は、日本駐在の米国大使も、英国大使も、
 祈るがごとく促していた。これが受け入れられれば、戦争は回避できたのである。
 
「近衛が提案した条件は、満州の返還を除くすべてのアメリカの目的を達成するものであった。しかも満州の返還ですら、交渉して
 議論する余地を残していた」
ということである。フーバー大統領の回顧録によれば、「見方によっては、ルーズベルトはこの重要で
 ない満州問題を切っ掛けに、大きな戦争を引き起こしたいと思った、しかも満州を共産国ロシアに与えようとしたのではないかと
 考えられる」とまで書いている。
  
近衛和平提案のことを、ルーズベルトはチャーチルの大西洋憲章の会談で、あざ笑いながら「3ヵ月あやしておく」といっている。
 もう100%戦争をするということを決めているが、始めから戦争を狙っていると思われたら困るため聞くふりをしていたのである。
 
  対談者は、外交として
近衛が、自分が誠意を尽くして交渉すればどうにかなると考える姿は間抜けであり、アメリカの国民への
 働きかけ、つまり宣伝を「ルーズベルトは戦争に追い込もうとしている。日本は和平を望んでいる」等、アメリカの世論に訴える
 などを全くしていない。外交では誠実さなんて役に立たない。そこが日本側の弱さということを、認識しなければならないと
 結んでいます。

 ★慰安婦問題や南京大虐殺など、韓国、中国にやられっぱなしの現在を見ても、同じ間違いを外務省もしている。
  民間の人達が道を切り開いて、抗議していっている現状をみても、進歩がない。
  私も民間人として、水間政憲氏のポストカード(事実の写真)を海外に郵送する運動に参加している。
  この写真をいろんな海外の方に撒くことで、中国や韓国のプロパガンダを信じてしまい、日本が孤立しないようにという
  思いから水間氏のプロジェクトに参加しています。

  歴史家、水間政憲氏のプロジェクトを紹介しておきます。
  HP→http://mizumajyoukou.blog57.fc2.com/


  いろんな角度から、第二次世界大戦の様相を見ていくことで、第二次世界大戦とはなんであったのか?
  自分なりの答えをみつけたく思っています。


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by sahorikita | 2016-06-14 17:02 | Comments(0)
2016年 06月 12日

8.フーバー大統領が明かすルーズベルトの罪状(日米戦争を起こしたのは誰か) ★1941年7月の日本への経済制裁

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第三代アメリカ合衆国大統領 任期(1929年~1933年)
ハーバード・フーバー(Herbert Hoover:1874~1964年)

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2011年にフーバー研究所から刊行された
フーバー大統領の膨大な回想録
『フリーダム・ビトレイド』(裏切れれた自由)
この著書は全900ページを超える大著。日本では、訳本はまだ出ていない。
フーバーはこの大著で、東京裁判史観を真っ向から全否定している。

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フーバー大統領の著書を部分的にエッセンスをまとめた本がこちらである。
こちらの本の中の一部、フーバー大統領が指摘した19の過ちを紹介したいと思います。

■第8の過ち 1941年7月の日本への経済制裁
  「第8番目の、ルーズベルトが犯した巨大な誤りは、1941年7月、つまり、スターリンとの隠然たる同盟関係となったその
  一ヶ月後に、日本に対して全面的な経済制裁を行なったことである。その経済制裁は、弾こそ射てなかったが本質的には
  戦争であった。ルーズベルトは、自分の腹心の部下からも再三に亘って、そんな挑発をすれば遅かれ早かれ報復のための
  戦争を引き起こすことになると警告を受けていた。〔抄訳〕(p099)
   
  
 The Economic Sanctions on Japan of July, 1941
 Eight. The eight gigantic error in Roosevelt's statesmanship was the total economic sanctions on Japan one month
later, at the end of July, 1941..........(以下省略、原典P878)

 
 説明の対談は藤井厳喜氏×稲村公望氏×茂木弘道氏
 対談の内容の解説を分かりやすくまとめました。↓

戦争開始する直前に、アメリカでは世論調査があり、アメリカ人の85パーセントが戦争に反対だった。ルーズベルトは、
 戦争をしないという公約で大統領になっていた為、一貫して平和主義者として振舞っている。インディアナ州出身の
アメリカ合衆国の歴史学者、チャールズ・ビーアドは、それをアピアランス(見せかけ)と見抜いていた。
 自分からは戦争をするわけにはいかないから、日本がアメリカを攻撃させるようにと、日本に対する経済制裁を行なった。
 経済制裁というのは、弾を撃たない戦争であり、意図的な戦争挑発である。
 ルーズベルトの反対派だけでなく、部下達も経済制裁を批判していた。にもかかわらず、経済制裁を強行したのである。

 アメリカに早く参戦してほしい三つの勢力があった。1人はソ連のスターリン。もう1人はイギリスのチャーチル。最後は
 中華民国の蔣介石である。3人がそれぞれ強烈にルーズベルト政権をつかんで、早く日本を追い込んで、日本に撃たせろと
 働きかけた。

 日本はルーズベルトと一生懸命交渉すれば、和解の道ができるのではと思っていた。
 さらに、ドイツのことを付け加えると、日独伊三国同盟がありながら、ドイツ軍は中華民国に最新鋭の武器を提供していた。
 そのため、蔣介石が負け続けるとドイツの兵器の評判が悪くなっていく。ドイツは、軍事顧問の大量に国民党に派遣していた。
 その軍事顧問が、宣伝戦つまりプロパガンダを勧めるのである。また、手伝おうと。アメリカではそれが宣教師によってもた
 らされ、「日本人は残虐だ」という嘘が定着する。南京大虐殺の嘘の証言に意外とドイツ人が多いのです。(ドイツもなかなか醜い)
 

 ★日本はそうやって孤立していくのです。
  その上、他国は国際法を簡単にいざとなったら破る現実にも苦々しく思います。
  ドイツと蔣介石の関係は、私自身が詳しく書き足しました。

 

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by sahorikita | 2016-06-12 19:34 | Comments(0)
2016年 06月 07日

6.フーバー大統領が明かすルーズベルトの罪状(日米戦争を起こしたのは誰か) ★警戒心を持った忍耐政策をとらなかった事

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第三代アメリカ合衆国大統領 任期(1929年~1933年)
ハーバード・フーバー(Herbert Hoover:1874~1964年)

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2011年にフーバー研究所から刊行された
フーバー大統領の膨大な回想録
『フリーダム・ビトレイド』(裏切れれた自由)
この著書は全900ページを超える大著。日本では、訳本はまだ出ていない。
フーバーはこの大著で、東京裁判史観を真っ向から全否定している。

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フーバー大統領の著書を部分的にエッセンスをまとめた本がこちらである。
こちらの本の中の一部、フーバー大統領が指摘した19の過ちを紹介したいと思います。

■第6の過ち 警戒心を持った忍耐政策を取らなかった事 
  「ルーズベルト大統領は、ヒトラーがロシアを攻撃することを知っていて、ロシアに情報も提供していた。ドイツに対する
  宣戦布告無き戦争を回避すべきであった。貸与法に関しても、イギリスに対しては金融支援のみに限り、その資金でイギリスが
  独自に、軍需品、糧食や船舶を購入できるようにすべきだった。これならば国際法の許す範囲内であった。政治の大道から
  すれば、あの緊急事態の中で、注意深くじっくり待つ政策をとることが必要であった」〔抄訳〕
   
  
 Failure in Watchful Waiting
 Sixth.In the weeks before Lend-Lease and its war powers were were forced upon the American people, Roosevelt knew
definitely of Hitler's determination to attack Russia, and he informed the Russians of it ..........(以下省略、原典P878)

 
 説明の対談は藤井厳喜氏×稲村公望氏×茂木弘道氏
 対談の内容の解説を分かりやすくまとめました。↓

6番目は、アメリカは宣戦布告なき戦争などをせず、国際法の範囲でイギリスに経済援助して、これで武器を買ってもらいえば
 いい。この武器の購入は、イギリスの借金になるから戦争に加担しているわけではない。注意深く戦争の外側にいて、慎重な
 判断をすべきであったと、フーバー大統領は述べている。
 英文での赤字の部分に注目して欲しい。
 レンドリース法というのは、単に援助を与えるだけではなく、大統領にに権限を与えて、その判断でアメリカの船つまり軍艦も
 イギリスに使わせるということが出来る法律であった。
 本来、アメリカでは宣戦布告の権限は、大統領ではなく議会にある。議会が決定しないと宣戦布告ができない。それなのにこの
 法律だと、議会の承認なしで、戦争に関わる権限を大統領に与えていることになると解説しています。

 注*レンドリース法
   武器貸与法ともいう。アメリカがイギリス、ソ連、中国などの連合国に軍需物質を提供するために1941年に定められた。
   45年までに総額501億ドルの物資が提供された。

 これを読んで思うのは――
 アメリカもこの時期、戦争前にかなり大統領の権限が拡大され、ルーズベルト大統領の独裁体制のようなものが出来上がって
 いたように思えます。
 またルーズベルト大統領は、公約にてヨーロッパの戦争には加担しない事と、政府の借金を減らす公約をしていたにも関わらず、
 戦争が終わったあとのアメリカは、膨大な借金だけが膨れ上がった。
 ルーズベルト大統領は、アメリカ国民のことを考えていたのであろうか?私は非常に疑問を持っています。

 
   

 
 

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by sahorikita | 2016-06-07 22:02 | Comments(0)
2016年 06月 07日

5.フーバー大統領が明かすルーズベルトの罪状(日米戦争を起こしたのは誰か) ★アメリカの宣戦布告なき戦争

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第三代アメリカ合衆国大統領 任期(1929年~1933年)
ハーバード・フーバー(Herbert Hoover:1874~1964年)

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2011年にフーバー研究所から刊行された
フーバー大統領の膨大な回想録
『フリーダム・ビトレイド』(裏切れれた自由)
この著書は全900ページを超える大著。日本では、訳本はまだ出ていない。
フーバーはこの大著で、東京裁判史観を真っ向から全否定している。

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フーバー大統領の著書を部分的にエッセンスをまとめた本がこちらである。
こちらの本の中の一部、フーバー大統領が指摘した19の過ちを紹介したいと思います。

■第5の過ち アメリカの宣戦布告なき戦争
  「第5の誤りは、41年の冬にルーズベルト大統領が、米国がドイツと日本に対して、宣戦布告を始めた事である。
  これは、数週間前の大統領選挙選の公約に全面的に違反するものであった」
 〔抄訳〕*「1941年の冬」は、1940年の冬」の間違いであろう。というのも「数週間前の大統領選挙の公約」をしたのは、
      1940年の秋11月の大統領選挙の時だったからである。「大統領選挙から数週間後」といえば1940年の冬である。
      1941年の冬(12月)には日米戦が開始され、アメリカは宣戦布告をしている。(p092~p093)
   
  
 United States Undeclared War Fifth.
 The Fifth major blunder in statesmanship was when Roosevelt, in the winter of 1941, threw the United States into
undeclared war with Germany and Japan in total violation of promises upon which he had been elected a few weeks
before. (以下省略、原典P877)

 
 説明の対談は藤井厳喜氏×稲村公望氏×茂木弘道氏
 対談の内容の解説を分かりやすくまとめました。↓

 この5番目の罪は、日本に直接かかわってきます。
 宣戦布告なき戦争の具体的な内容は、ドイツと日本に対して積極的に介入してくる。
 ルーズベルトは、ヨーロッパの戦争に介入しないという選挙公約を裏切った。
 まず日本には、経済封鎖をしたこと。
 1941年の7月には日本の在米資産の前面凍結をしたこと。
 (中国人に対しては全く行なわれなかった。人種差別といってもいいだろう)

 さらに石油と屑鉄の禁輸。
 このことをブーバー大統領は、「undeclared war」だと言っている。
 また、1940年の通商条約破棄のことも上げている。
 アメリカと通商でなにも問題が起きていないのに、通商条約を破棄する。
 これは、準宣戦布告ではないか?と語ってる。

 また、アメリカ国内では、ルーズベルト大統領が戦争に介入しないという公約がだんだん守れなくなってきたということで、
 国内からも抗議を受けるようになってきた。その裏で共産主義のプロパガンダがあり、知識人に影響を与え、「ミュンヘン
 合意が悪の権化のように言われるようになる。その為、本当の原因である「ポーランド保証問題」が一番の原因であるのに、
 問題にされなかった。

 
 アメリカは、日本に敵国としてターゲットに絞っているのがよくわかる事実です。
 日本人以外のアジア人には、資産を凍結したり、日本人強制収容所のようなことはしていません。
 このような動きを見て思うのは、アメリカは日本に密かな恐れを抱いていたことや、中国で布教活動をしていた宣教師達が
 蒋 介石のポロぱガンダに騙され、日本人が残虐だという報告をしていたり、日本で布教活動をしていた宣教師が日本では可哀想
 な人が少ない上に、議論されたりと、うまくいかない腹いせに、日本は野蛮な国だからキリスト教に改宗しないという報告をして
 いたり、とにかく、宣教師達から日本人は好かれていなかった。イコール アメリカのプロテスタント達は日本を敵視である。
 原爆を強固に落とすよう主張したのは、ヘンリー・スティムソンだ。彼は、熱心なプロテスタントの信者であり布教を広める
 のに夢を描いていた。日本は邪悪な国という彼の強い思いこみが強行的に原爆を落とす主張となっていた。

 いまもそうなのですが、日本人は外国のプロパガンダにやられぱなしだ。
 外国では、反論しないということは、事実なんだと認識されます。
 民間の方々が今頑張っているのが現状です。
 事実の歴史を学んで、自分自身で身に付けていきましょう。
 
 
 

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by sahorikita | 2016-06-07 22:01 | Comments(0)
2016年 05月 09日

3.フーバー大統領が明かすルーズベルトの罪状(日米戦争を起こしたのは誰か) ★ミュンヘン融和の成功と失敗

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第三代アメリカ合衆国大統領 任期(1929年~1933年)
ハーバード・フーバー(Herbert Hoover:1874~1964年)

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2011年にフーバー研究所から刊行された
フーバー大統領の膨大な回想録
『フリーダム・ビトレイド』(裏切れれた自由)
この著書は全900ページを超える大著。日本では、訳本はまだ出ていない。
フーバーはこの大著で、東京裁判史観を真っ向から全否定している。

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フーバー大統領の著書を部分的にエッセンスをまとめた本がこちらである。
こちらの本の中の一部、フーバー大統領が指摘した19の過ちを紹介したいと思います。

■第3の過ち ミュンヘン融和の成功と失敗
  「ヒトラーとスターリンという2つのモンスターが戦いあってつぶし合いになることが不可避の情況にあったのに、
  政治家道を失った者は、そのつぶし合いを止めることに努力したのである。

  *ミュンヘン融和とは
   チェコスロバキアのズデーン地方を割譲を要求するナチスドイツに対し、1938年9月、イギリス、フランス、イタリア、
   ドイツ各首脳がミュンヘンで会談、ドイツの要求を受け入れた。この融和政策のことを指す。それ以降、ナチスドイツに
   対してイギリスなどは融和的な外交政策を取った。
   融和政策がナチスドイツの領土拡大・第二次世界大戦の引き金となったという歴史観がある一方で、それを批判する見方
   もある。


 Munich
 Third. I an not disposed to condemn the agreement at Munichiin September 1938 for Sudeten Germans to the Reich
because it was a heritage from Versailles which made such action inevitable........(以下省略、原典P876)

 
 説明の対談は藤井厳喜氏×稲村公望氏×茂木弘道氏
 対談の内容の解説を分かりやすくまとめました。↓

 この三番目は大問題である。フーバー元大統領はミュンヘン融和を否定してはいない。ミュンヘン融和でヒトラーが付け上がった
  という説は採っていない。大雑把に言えばヒトラーとスターリンをつぶし合わせればよかったと言っている。
 ヒトラーとスターリンはもともと衝突コースなのであるから、やらせておけばよい。両方が疲弊したところで、アメリカが介入し
 てバランスを取っていくのが良いと。
  合意は当初、評判が良くイギリスでもフランスでも歓迎されていた。アメリカのルーズベルトもカナダのマッケンジー首相宛て
 の手紙で「戦争の勃発がさけられたのを喜びたい」と書いていることをフーバー元大統領は124ページで述べていた。

 ところが、急に批判意見が次々と出てくる。一番徹底的にチェンバレンを批判したのがチャーチルであった。
 もともとチェコのドイツ人がそのままいた場所であったので、それを併合するのはそれなりの理由があったにもかかわらず、 
 批判が続き、ポーランドは強固にミュンヘン融和を受け入れず、問題が拡大していく。
 ヒトラーの構想は、ナチス国家社会主義が、共産党、ソ連をやっつけることしかなかった。それなのに問題が批判により反れて
 いくのです。


 批判により、融合政策に亀裂が起こったことをフーバー元大統領は、述べている。
 私は、第二次世界大戦は、このようにして戦争が拡大していったと受け止めています。
 

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by sahorikita | 2016-05-09 18:27 | Comments(0)
2016年 05月 03日

1.フーバー大統領が明かすルーズベルトの罪状(日米戦争を起こしたのは誰か) ★1933年の国際経済会議の失敗

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第三代アメリカ合衆国大統領 任期(1929年~1933年)
ハーバード・フーバー(Herbert Hoover:1874~1964年)

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2011年にフーバー研究所から刊行された
フーバー大統領の膨大な回想録
『フリーダム・ビトレイド』(裏切れれた自由)
この著書は全900ページを超える大著。日本では、訳本はまだ出ていない。
フーバーはこの大著で、東京裁判史観を真っ向から全否定している。

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フーバー大統領の著書を部分的にエッセンスをまとめた本がこちらである。
こちらの本の中の一部、フーバー大統領が指摘した19の過ちを紹介したいと思います。

■第一の過ち 1933年の国際経済会議の失敗
  「ルーズベルト大統領が国際的な政治家としての資格を失墜した最所の重要な事例である世界経済会議は、英国のマクドナルド
 総理大臣と当時の大統領の私が準備した会議で、1933年1月に開催を予定していたが、ルーズベルトが破壊した。
 ルーズベルトが選挙に勝って、6月に開催を延期した。
 その時丁度世界は、不況からの経済の回復基調にあったが、一方で通貨戦争があり、貿易障壁を増加させる戦争があった。
 準備作業が専門家の手によって進められ、ワシントンに10人の総理大臣が集まって、国際決済に金準備を用いることに合意した。
 それにもかかわらず、会議の最中にルーズベルトは翻意して、金本位制の導入にひびを入れたために、会議は不調となり、達成する
 結論がなく死んでしまった。
 ルーズベルトの国務長官であったハルは、この会議の失敗が第二次世界大戦の根っこにあるとして、ルーズベルトのとった行動を
 ハッキリと非難している。


 The World Economic Conference of 1933 First. The first time (of importance) that Roosevelt became lost in international
statesmanship was his destruction of the 1933 World Economic Conference......(以下略、原典 P875)

 フーバー大統領は合理的に、先進国経済サミットのようなものをした。つまり上文にある「ワシントンに10人の総理大臣が集まって、
 国際決済に金準備を用いることに合意した。」のは、金本位制度にしてバランスを取ろうとしていたのです。
 それを、ルーズベルトをぶち壊し、そのため、アメリカは通貨切り下げやブロック経済に入っていく。
 アメリカがそうなることにより、イギリスもポンド・ブロックをつくり、世界のブロック化が進む。
 そのことにより、いっそうアメリカは大恐慌に・・・・。
 その後、ルーズベルトはニューディール政策を打ち出すが・・・・。

 まずは、第一の過ちを紹介しました。
 世界は、この頃大恐慌であったことを改めて認識する必要を感じます。
 




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by sahorikita | 2016-05-03 17:17 | Comments(0)
2015年 03月 08日

ルーズベルトの開戦責任ーハミルトン・フィッシュの証言

太平洋戦争はアメリカが仕掛けた

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ハミルトン・フィッシュの証言

下院議員で、ニューヨーク州選出の共和党議員だったハミルトン・フィッシュは、

ルーズヴェルトの政敵とされたアメリカ共和党の主導的政治家であった人物である。(1991年没)

ハミルトン・フィッシュは日本人にはほとんど知られていませんが、日本と関係の深い人です。

知られていない理由はいたって簡単。

戦後すぐから、アメリカにとって不利な「太平洋戦争の真実」の証言をしていたため、

アメリカでは「修正主義者」のレッテルを張られ、日本ではマスコミや大学ですら、

アメリカに気遣って絶対に紹介しなかったからです。

hamiruton


ハミルトン・フィッシュ(Hamilton Fish 1888-1991)は、アメリカ、ニューヨーク生まれ。

NY州議会員を経て、1920年~45年、米国下院議員(共和党)を務める。


①この本の要点は、第二次世界大戦の始まり、つまりドイツとポーランドの紛争であるヨーロッパの紛争にアメリカ国民は巻き込まれたくないと言う主張が主流で(ヨーロッパ問題の非干渉の世論)、アメリカ国民は絶対戦争したくないという意見がであったこと。

②ルーズベルトは、当時「私はこれまでも述べてきたように、そしてこれから何度でも繰り返すが、あなた方の子供たちは外国の地での戦争に送り込まれることは決してない。」1940年10月30日と国民に宣言しながら、参戦の準備を進めていたこと。

③アメリカは民主主義の国である。大敵であるはずのスターリンにルーズベルトが異様なまでの寛容な精神をみせていたこと。

④ハルノート(日本への最後通牒)は、アメリカ議会、外交院、軍人(マッカーサーですら知らなかった)、アメリカ国民にさえ知らされていなかった事。日本はどんな条件でも呑む覚悟で戦争をさけるつもりであったにも関わらず、どんな国であろうとも呑めない内容を突きつけて、日本と戦争をすることで、ヨーロッパの戦争に介入したかったこと。

⑤ルーズベルトは、真珠湾攻撃の14時間前に日本の攻撃があることを知っていたにもかかわらず、何の行動も起こさずハワイに知らさず、ハワイに駐在していた軍人を見殺しにして、日本が卑怯にもだまし討ちした!と戦争を煽っていったこと。もちろんハルノートのは誰もしらない。

⑥朝鮮戦争の謎。マッカサー将軍がなだれ込んでくる中国共産党の攻撃の防衛のための攻撃、鴨緑工(おうりょくこう)の空爆を許さない命令がアメリカから出ていたこと。国連軍の方針がイギリス政府内に潜り込んでいたスパイを通じて中共側につつぬけだったこと。大勢のアメリカ人兵士が無駄死にしていった。

⑦イギリスは、中国共産党に香港経由で武器を輸出していたこと。

⑧ヤルタ会議に臨んだルーズベルトは、重病であった事。健康を害した人間が条約を結ぶことをアメリカは容認していない。それにもかかわらず、専用の医師によってルーズベルトの病気は、隠され続けていたこと。そして、ヤルタ会議では、スターリンは欲しいものはすべてとった。スターリンの1人勝ちになった。ヤルタで中国をスターリンに差し上げる約束をしたのである。


第二次世界大戦が終わった結果、イギリスは多くの植民地を失い、ルーズベルトはアメリカの財政赤字を膨大に増やし、日本は敗戦し、ヨーロッパも疲弊した。そして、共産主義国が増えたという結果を見ると、ルーズベルトは何をしたかったのか?アメリカは中国を共産国にするつもりで動いていたのでしょうか?


もう少し、きちっとした文章を↓

まとまったものを


フィッシュは何をした人なのか?    

真珠湾攻撃の翌日(1941年12月8日)、フランクリン・デラノ・ルーズベルト大統領は日本に対して宣戦布告を求める議会演説(恥辱の日演説)を行いました。

ルーズベルトの演説に続いて、下院議員としてそれを容認する演説を行ったのがフィッシュでした。

フィッシュの演説を全米2500万人(当時のアメリカ人口は約1億3000万人)がラジオを通じて聴きました。

実はフィッシュは大のルーズベルト嫌いでした。

ヨーロッパの戦いに干渉したがるルーズベルトを警戒し、アメリカが参戦することに強く反対していました。

フィッシュはアメリカ孤立主義運動の先頭に立つ有力議員だったのです。

当時、アメリカ世論の8割以上が第1次世界大戦で多くの若者がアメリカとは関係のない(と考えていた)ヨーロッパで死んだため厭戦(えんせん)気分が蔓延し、ヨーロッパやアジアの争いに巻き込まれることを拒否していました。

 その世論の流れを一気に変えたのが真珠湾攻撃でした。

 アメリカ孤立主義運動の指導者だったフィッシュも、対日宣戦布告を容認せざるを得なくなりました。


開戦時、フィッシュが行った演説

「議長、私は悲しみと日本に対する深い憤りの念をもって、宣戦布告に対する支持を表明するものです。

私は、過去3年の間、欧州およびアジアにおける戦争にアメリカが参加することに一貫して反対してきました。 しかし、ワシントンにおける和平交渉継続中に、かつ、最終段階における天皇に対する大統領の個人的要請を無視して行われた、日本の海、空軍による不当、邪悪かつ厚顔無恥で、卑怯な攻撃の結果、戦争は不可避かつ必要となりました。

米国内で論争、対立をすべき時は過ぎました。 今や行動をとるべき時なのです。

介入主義者および非介入主義者は、相互に告発と再告発、批判と反論を繰り返すことを止め、戦争遂行のために大統領と政府の下で一致団結しなければなりません。 日本による残虐な攻撃に対する答えはただ一つ、いかなる血、財産および悲しみを代償としても、最終的勝利まで戦いぬくということであります。 この日本の我々の領土に対する、挑発されない、かつ無意味な侵略行為は、戦争によって報いられなければなりません。

私は、外国における戦争に介入することに一貫して反対してきましたが、同時に、もしも我々が外国勢力により攻撃を受けるか、または合衆国議会が米国的かつ憲法に合致した方法で宣戦を布告した場合には、大統領とその政府を最後の最後まで支持する、ということも繰り返し表明してきました。

神々は、その滅ぼそうとする者たちをまず狂気にさせます。 日本は、完全に乱心するに至り、挑発されない先制攻撃をしかけることによって、その陸、海軍および国家自体にとっての自殺行為を犯しました。

私は、適当な時期に、前世界大戦と同様に、戦闘部隊の、そして望むらくは有色人種部隊の司令官として従軍することを申し出るつもりです。 米国を防衛し、戦争に狂った日本人の悪魔たちを全滅させるためならば、私はいかなる犠牲をも払うことでしょう。

今や戦いに臨むのでありますから、アメリカの伝統に従い、昴然と頭を上げていこうではありませんか。  そして、この戦争は、侵略に対抗し祖国領土を守るためだけのものではなく、全世界の自由と民主主義を守るための戦いであることを、かつ我々は勝利を得るまでは戦いをやめないことを、世界に知らしめようではありませんか。

私は、全米国市民、特に共和党員と非介入主義者に対し、個人的見解や派閥意識を捨て、合衆国軍隊の勝利を確保するために、我々の総司令官である大統領の下に団結するよう要請します。

我らが祖国よ! 外国と接するにあたり、祖国が常に正しくあるよう。 しかし、正邪にかかわらず、我らが祖国よ!」

このように日本を激しく批判し、アメリカが参戦することを強く後押しをしています。


真実を知ったハミルトン・フィッシュ

ところが、戦後、フィッシュはこの自分の演説を深く恥じることになります。

なぜなら、ルーズベルト政権の対日交渉の詳細が次々と明らかになってきたからです。

特にフィッシュが問題にしたのは、ルーズベルトが「ハル・ノート」の存在を議会に隠していたことでした。

ルーズベルトは、「アメリカが誠意を持って対日交渉を続けているさなかに、日本は卑怯にも真珠湾を攻撃した」と、議会や国民に説明していたのです。

しかし、それは偽りでした。

フィッシュは、自著「FDR: The Other Side of the Coin.」(1976年)でこう振り返っています(渡辺惣樹訳、「正論」2014年1月号)。

『私たちは、日本が、和平交渉の真っ最中にわが国を攻撃したものだと思い込んでいた。

1941年11月26日の午後に日本の野村大使に国務省で最後通牒が手交された。 それはハル国務長官が渡したものである。

ワシントンの議員の誰一人としてそのことを知らなかった。 民主党の議員も共和党の議員もそれを知らされていない。』

フィッシュは共和党員であり、ルーズベルトの前任で共和党のフーバー大統領の抑制的な対日外交を知っていました。

それだけに、ハル・ノートの内容が日本に対する最後通牒であったことをすぐ理解しました。

フィッシュは、ハル・ノートは議会の承認を得ない対日最後通牒であると言い切っています。

それは、議会だけに開戦権限を認める合衆国憲法の精神にも背いた外交文書でした。

フィッシュはルーズベルトを軽蔑するとともに、自分がその嘘に乗せられて対日宣戦布告を容認したことを強く恥じました。

戦後の研究で、日本の天皇も指導者も対米戦争を望んでいなかったことまでが明らかになると、彼の怒りは頂点に達しました。    

別の自著「Tragic Deception: FDR and America’s Involvement in World War II.」(1983年)(邦題「日米開戦の悲劇」岡崎久彦監訳)の中で、フィッシュはこう述べています。

『私はルーズベルトを許すことができない。  彼はアメリカ国民を欺き、全く不必要な日本との戦争にアメリカを導いた。

日本の指導者が開戦の決断をすることになった最後通牒ハル・ノートはルーズベルトが真珠湾攻撃を「恥ずべき行いの日」と呼んだことにちなみ、「恥ずべき最後通牒」と呼ぶのが適切と思われる。

日本は、面積がカリフォルニアにも満たない人口八千万人の比較的小国であった。 天然資源はほとんど保有せず、また冷酷な隣国であるソビエトの脅威に常に直面していた。

天皇は名誉と平和を重んずる人物であり、側近の攻撃的な軍国主義者を制止するために、できるかぎりのことを行っていた。

日本はフィリピンおよびその他のいかなる米国の領土に対しても、野心を有していなかった。 しかしながら、ひとつの国家として、日本はその工業、商業航行および海軍のための石油なしには存立できなかった。

日本は、コメおよび石油の購入を平和的に保証されたならばどのような条約にでも署名し、南方に対するいかなる侵略も停止したであろう。 ただ、自由貿易を認めるだけでよかったのだ。

どうしてイギリスが極東における数多くの領土を保有する絶対的な権利を持つべきであり、その一方で日本が近隣諸国からコメ、石油、ゴム、錫その他の商品を購入することさえもできないくらいの制限を米国によって課せられなければならないのか。 こんな理不尽な話はあり得ない。

米国の最後通牒を受け取った時点の日本は、四年にわたる戦争の結果、中国のほとんどの海岸線、大都市、かつ広範な領土および満州全土を掌握し、極東最大の勢力となっていた。 このような強力な国家に対し、米国はこれ以上何を要求できると言うのか。

天皇および近衛首相は、平和を維持するために信じられないほどの譲歩をするつもりでいたのである。 非常に平和愛好者である首相の近衛公爵は、ルーズベルトとの会談を繰り返し要望していた。

在日米国大使であったジョセフ・グルーは、日本がどれだけ米国と平和的関係を保ちたいと希望していたか承知しており首脳会談を強く要請した。

日本は米国との開戦を避けるためならば何でもする用意があったであろう。 しかし、ルーズベルトはすでに対日戦、対独戦を行うことを決意していたというだけの理由で日本首相との話し合いを拒否した。

日本との間の悲惨な戦争は不必要であった。 これは共産主義の脅威をより恐れていた日米両国にとって、悲劇的であった。

我々は、戦争から何も得るところがなかったばかりか、友好的だった中国を共産主義者の手に奪われることとなった。 イギリスは、それ以上に多くのものを失った。 イギリスは中国に対して特別の利益と特権を失い、マレーシア、シンガポール、ビルマ、インドおよびセイロンをも失った。

日本人は、高度な忠誠心、愛国心に満ちた、非常に感受性の強い、誇り高き、かつ勇敢な民族である。 このような民族に『恥ずべき最後通牒ハル・ノート』を突きつければ、必ず戦争になるとルーズベルトは確信していた。

私はルーズベルトを許すことができない。 この大戦は米国に三十万人の死亡者と七十万人の負傷者、そして五千億ドルの出費を米国にもたらした。

日本には軍人、民間人合わせて三百万人以上の死亡者をもたらした。 日本の物的、人的、精神的被害は計り知れない。

その責任はルーズベルトが負っているのだ。』

このように、フィッシュは戦争で命を落としたアメリカ人の犠牲を悼むだけでなく、日本人に対しても哀悼の念を表しています。

そして、前出の「FDR: The Other Side of the Coin.」(1976年)でこう述べています。

『日本人はあの戦争を最後まで勇敢に戦った。 我が国と日本のあいだに二度と戦いがあってはならない。 両国は、偉大な素晴らしい国家として、自由を守り抜き、互いの独立と主権を尊重し、未来に向かって歩んでいかねばならない。

日本が攻撃されるようなことがあれば、我が国は日本を防衛する。 それが我が国のコミットメントである。 そのことを世界は肝に銘じておかねばならない。』


ケビン・トーク

日米開戦については、知日派で知られるアメリカのケビン・ドーク氏も、「正論」2013年9月号の対談記事でこう述べています。

『国際法上、日米戦争の始まりは日本の真珠湾攻撃ではありません。それは、1941(昭和16)年7月のルーズベルト大統領による日本の在米資産凍結です。これは当時の国際法では「戦争行為」にあたります。アメリカでは批判される見解かもしれませんが事実です。

ですから、法律的には、真珠湾攻撃は日本の防衛行為だと解釈されます。日本はもともとアメリカを攻撃したくはなかったのに、ルーズベルトが仕掛けた。ただ、彼も日本と戦いたかったのではなく、国民の意識をナチス・ドイツとの戦いに向けようとしたのです。』


ヘレン・ミアーズ

1946年に連合国占領軍最高司令部の諮問機関のメンバーとして来日したヘレン・ミアーズも、1948年の著著「アメリカの鏡・日本」の中でこう述べています。

『パールハーバーはアメリカ合衆国の征服をたくらんで仕掛けられた「一方的攻撃」であるというが、この論理では日本を公正に罰することはできない。なぜなら、私たちの公式記録が、パールハーバーはアメリカが日本に仕掛けた経済戦争への反撃だったという事実を明らかにしているからだ。』


チャールズ・A・ビーアド

同じ1948年に、やはりルーズベルトを批判した勇気あるアメリカ人がもう一人います。  チャールズ・A・ビーアドという歴史家で、「ルーズベルトの責任 〔日米戦争はなぜ始まったか〕」の中で、

『戦争責任を問われるべきは日本ではなく、ルーズベルト大統領だ。』

と述べています。




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by sahorikita | 2015-03-08 16:02 | Comments(4)