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2015年 07月 26日

日本兵と結婚する慰安婦もいた―ビルマ・ミッチーナにおける米国戦時情報局心理作戦班「朝鮮人慰安婦」尋問報告書②

  水間政憲著 PHPより

1944年10月1日、ビルマ・ミッチーナにおける
 米国戦時情報局心理作戦班「朝鮮人慰安婦」尋問報告書

アメリカ戦時情報局心理作戦班/アメリカ陸軍インド・ビルマ戦域所属/アメリカ陸軍郵便局689番

日本人戦争捕虜尋問報告書 49号
尋問場所:レド収容所
尋問期間:1944年8月20日~9月10日
報告年月日:1944年10月1日
報告者:T/3アレックス・ヨリチ
捕虜:朝鮮人慰安婦20名
拘束年月日:1944年8月10日








■料金制度
 慰安婦の労働条件は陸軍によって定められており、人口密度の高い地域ではとくに厳格な規定が適用された。陸軍は混雑地域では
料金や優先順位、そして当該地域での作戦に従事する部隊ごとの利用割り当てを明確化した制度を設ける必要があると考えた。
尋問によって判明した利用制度は次の通りである。

一、兵    十~十七時    一・五円  二〇~三〇分
二、下仕官  十七~二十一時  三・〇円  三〇~四十分
三、将校   二十一~二十四時 五・〇円  三〇~四十分 

 これは、中部ビルマにおける平均的な利用料金である。将校は二〇円で宿泊することも認められた。ミッチーナでは丸山大佐が
料金を値切り、平均価格の半値ほどにまで引き下げていた。

■利用割り当て
 兵士は慰安所が混雑しているとして不満を漏らすことがあった。軍は時間延長に厳しかったため、サービスを受けずに引き返さざるを
得ないことがたびたびあったのである。この問題を解決するために、軍は部隊ごとに利用日を割り当てることにした。通常、該当する
部隊から二名の人員が遣わされ、慰安所の入り口で隊員を識別する役割を果たした。また巡回中の憲兵も秩序の維持に努めた。
第18師団がメイミョーに駐屯した折に「キョウエイ」慰安所で適用された部隊割り当てを次の記す。
 
日曜日 第18師団司令部
月曜日 騎兵隊
火曜日 工兵隊
水曜日 休業日、定期健診
木曜日 衛生態
金曜日 山砲兵隊
土曜日 輜重隊

 将校は週七日の利用が認められていた。慰安婦からは、この割り当てをしても混雑が解消しきれず、すべての客を相手にできないため
多くの兵士間にわだかまりを残してしまうという不満も聞かれた。
 将兵は慰安婦を訪れて料金を支払い、約五センチ四方の厚紙でできた利用権を受け取る。利用権の左側には料金、その反対側には
慰安所の名称が書かれていた。利用者はそこで身分または階級を確認され、その後「列に並んで自分の順番を待った」。
慰安婦には客を拒否する権利が与えられており、客が泥酔している場合などはしばし接客を拒否した。

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■報酬と生活環境
 「楼主」は慰安婦が契約時に負った負債の額に応じて、その稼ぎの総額から五〇%ないし六〇%を徴収した。
計算すると、慰安婦の売り上げは平均的な月で一五〇〇円程度となり、そのうち七五〇円以上が「楼主」に渡されていたことになる。
「楼主」の多くは食事やその他の備品に高い値をつけ、慰安婦の生活を圧迫した。
 一九四三年下期に入ると、軍は借金を返済し終えた一部の慰安婦の帰郷を認めるという命令を出した。慰安婦の一部はこれにより
朝鮮に帰ることを許された。
 女性の健康状態は良好であったことが尋問所により判明した。慰安婦には各種の避妊具が十分提供されており、利用する兵士が
軍から配給された避妊具を持参するケースも少なからずあった。衛生面に関しては、自己管理も利用者への配慮もしっかり教育されて
いた。週に一回、日本軍の正規の軍医が慰安所を訪れ、罹患していると認められた慰安婦は治療を受け、隔離され、のちに入院措置を
受けることになった。陸軍の部隊内でも同様の診察が行なわれたが、興味深いことに兵士は入院してもその間の給与が支払われた。

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■日本兵に対する反応
 慰安婦と日本の将兵との関係において、重要人物として名前が挙がったのは二名のみであった。具体的にはミッチーナ駐屯部隊
指揮官の丸山大佐と増援部隊を率いてきた水上少尉である。両名は正反対の人物で、丸山大佐が厳しく利己的で、部下への思いやりに
欠けた険悪すべき人物であるのに対し、水上将は心の優しい好人物であり、軍人としても立派で、何よりも部下を思いやる人物で
あった。大佐が慰安所に入り浸っていたのに対して、小将は一度も慰安所を訪れなかったようだ。丸山大佐はミッチーナ陥落後に
逃亡したようだが、水上小将は部下を撤退させられなかったことを悔やんで自決した。

■兵士の反応
 平均的な日本兵は「慰安所」で見かけられることを恥ずかしく感じるようで、慰安婦に一人は「混んでいるときに順番待ちをして
いるのを見られると、たいてい恥ずかしがる」と語っていた。そんななか、慰安婦に結婚を申し込むものも数多くあり、実際に
結婚に至ったケースもある。
 接客をする際に一番性質が悪いのは、酒に酔い、しかも翌日に前線行きを控えた将兵であると、どの慰安婦も口をそろえて言って
いる。だが、同じく全員意見が一致しているのは、酒に酔っていても日本兵は決して軍事的な事柄や秘密を語らないということで
あった。軍に関わる事柄を慰安婦の方から話題に出しても、将校や下仕官は決して語らず、むしろ「そのような話題は女性にふさわ
しくない」とたしなめられた。丸山大佐でさえ酔っていてもそのような話題を口にすることは決してなかった。
 兵士はよく、故郷から送られてくる雑誌や手紙や新聞をどれほど楽しみにしているかを語った。また缶詰や雑誌、石鹸、ハンカチ、
歯ブラシ、人形、口紅、下駄などが詰まった「慰問袋」のことも話題にあがった。口紅や下駄は女性ものであり、慰安婦からすれば
なぜそのような品々を故郷の人が送ってくるのか理解できなかった。送り主が自分のこと、あるいは「本土の女性」を思いおこさせ
ようとしたのではないか、というのが慰安婦たちの推測である。

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ラングーンからビルマの各地へと派遣された慰安婦の行き先は、
アメリカ軍に攻略される前は平和であった。
そして、ビルマは独立し、日本軍は好意的に迎えられていた。
ビルマの独立後の自由な空気の中、慰安婦たちも買い物や、外出を楽しんでいました。


そういう事実が韓国にかかると、強制連行や性奴隷となるのです。
たしか性奴隷という言葉を最初に表明したのは、アメリカのクリントン大統領だったと記憶している。
「性奴隷といったらいいんじゃね」みたいなノリで。

慰安婦の方にもたくさんの自由があったことをお伝えしたく思い

1944年10月1日、ビルマ・ミッチーナにおける
 米国戦時情報局心理作戦班「朝鮮人慰安婦」尋問報告書
を引用しました。


 

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by sahorikita | 2015-07-26 17:53 | Comments(0)
2015年 07月 03日

慰安婦問題の真実―ビルマ・ミッチーナにおける米国戦時情報局心理作戦班「朝鮮人慰安婦」尋問報告書①

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  水間政憲著 PHPより

1944年10月1日、ビルマ・ミッチーナにおける
 米国戦時情報局心理作戦班「朝鮮人慰安婦」尋問報告書

f0350840_13504198.pngアメリカ戦時情報局心理作戦班/アメリカ陸軍インド・ビルマ戦域所属/アメリカ陸軍郵便局689番

日本人戦争捕虜尋問報告書 49号
尋問場所:レド収容所
尋問期間:1944年8月20日~9月10日
報告年月日:1944年10月1日
報告者:T/3アレックス・ヨリチ
捕虜:朝鮮人慰安婦20名
拘束年月日:1944年8月10日







■序
 この報告書は1944年8月10日ごろ、ビルマのミッチーナ陥落後に行なわれた掃討作戦において捕らえられた朝鮮人「慰安婦」
20名および日本人民間人2名の尋問に基づくものである。
 この報告書では、これら朝鮮人「慰安婦」が日本人によってどのように微集されたか、どのような環境で生活および労働を
したか、日本兵との関係や日本兵の対応がどのようなものであったか、さらには軍の動向をどの程度把握していたかを示す。
「慰安婦」とは福利厚生の一環として日本軍に所属する売春婦にほかならない。「慰安婦」という単語は日本軍独特の言い回し
であり、他の報告書では、日本軍が戦闘を行なう地域には必ず「慰安婦」が存在したと言及されている。この報告書は、
日本人により微集され、駐ビルマ日本軍に所属していた朝鮮人の「慰安婦」のみを対象としたものである。

f0350840_13255769.jpg ■微集
 
  1942年5月上旬、新たに日本の領土となった東南アジア
 地域にて「慰安」業務に携わる朝鮮人女性を微集するため、
 日本の斡旋業者が朝鮮を訪れた。この「業者」の内容は
 具体的に示されなかったが病院の負傷兵を見舞い、介助を
 したり包帯をまいたり、将兵を喜ばせる仕事であると考え
 られていた。
 斡旋業者は多額の金銭や家族の負債を返済する機会、楽な
 仕事、シンガポールという新天地での生活といった誘い文句
 を用いていた。こうした偽りのある説明を信じて多くの女性
 が海外での労働に志願し、200円~300円の前渡し金を受け
 取った。

  女性の多くは無学、無教養なだけであったが、なかには
  すでに「この世で最も古い職業」に携わっていた者もいた。
  彼女達は契約により、家族の借金返済のために受け取った
  前渡し金の額に応じて6ヶ月ないし1年の間、陸軍の規則に
  縛られ、戦時下の「慰安所の楼主」のための業務に就くこと
  となった。

  

約800名の女性がこのようにして微集され、日本人「楼主」とともに1942年8月20日ごろラングーンに到着した。女性は8名ないし
 22名の集団に分けられ、ラングーンからビルマの各地へと派遣された。派遣先は通常、日本軍の駐屯地近くの比較的大きな都市で
 あった。
ミッチーナへは最終的に四つのグループが派遣された。慰安所はそれぞれキョウエイ、キンスイ、バクシンロ、モモヤといい、
キョウエイ慰安所は「マルヤマクラブ」と呼ばれていたが、ミッチーナ駐屯部隊隊長の丸山大佐は名前がまぎらわしいと不快感を示
したため女性の到着にともない改称された。
f0350840_14390944.jpg ■人格
  尋問の結果得られた平均的な朝鮮人「慰安婦」像は次のとおりで
  ある。年齢は25歳前後で、教育を受けておらず、幼稚でわがまま
  である。日本の基準からいって白人の基準からいっても美しくは
  ない。利己的で自分の話ばかりをする傾向にあり、見知らぬ人の
  前では物静かで慎み深いように振舞うが「女の武器を心得ている」
  自分の「仕事」は嫌いだと言い、仕事や家族の話をしたがらない。
  ミッチーナやレドで捕虜になった際にアメリカ兵から親切にして
  もらったことから、アメリカ兵のほうが日本兵よりも優しいと感じ  ている。中国軍とインド軍を恐れている。

 ■生活と労働環境
  ミッチーナでは女性は個室のある二階建ての大型建造物(通常は
  学校の校舎)に宿泊していた。そこが女性の寝起きし生活する場で
  あり、また労働を営む場であった。ミッチーナでは「楼主」が食事
  を用意し、女性がそれを購入するかたちをとっており、日本軍から
の定期的な配給はなかった。ビルマでの慰安婦の生活は、他の地域と比べると贅沢とすら呼べるものであった。ビルマ駐在2年目はとくにそうで、食料や物資の配給は豊かでなかったものの、欲しいものを買うための金銭は潤沢に持ち合わせていた。彼女たちは服、靴、タバコ、化粧品などを購入できただけでなく、故郷からの「慰問袋」を受け取った兵士から多くの贈り物をされていた。
ビルマ駐屯中の慰安婦は将兵とともに運動行事に参加したり、ピクニックや演芸会、食事会などに参加して楽しく過ごした。
また蓄音機も所有しており、町では買い物に行くのが許されていた。



日本人戦争捕虜尋問報告書 49号を
そのまま書き写しています。
ビルマでの慰安婦の生活は、他の地域と比べると贅沢とすら呼べるものであった。ビルマ駐在2年目はとくにそうで、食料や物資の配給は豊かでなかったものの、欲しいものを買うための金銭は潤沢に持ち合わせていた。彼女たちは服、靴、タバコ、化粧品などを購入できただけでなく、故郷からの「慰問袋」を受け取った兵士から多くの贈り物をされていた。
ビルマ駐屯中の慰安婦は将兵とともに運動行事に参加したり、ピクニックや演芸会、食事会などに参加して楽しく過ごした。
また蓄音機も所有しており、町では買い物に行くのが許されていた。


性奴隷だとか、強制的に連れ去られたとか、もうやめて欲しいですね。
それと、この頃は売春は合法であり、彼女たちは仕事としてしていたのです。
韓国が「慰安婦問題」ばかり、嘘くその証言や時代考証がおかしい理論は、
その当時の人達をも辱める行為だと思うのですが、恥の感覚が日本人とは違うようです。







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by sahorikita | 2015-07-03 13:10 | Comments(0)
2015年 05月 06日

④米国のジャーナリスト、マイケル・ヨン氏が語る「慰安婦問題はフィクションだ!」■日本軍は戦うことだけで手一杯だった。

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マイケル・ヨン氏とは?
イラクとアフガニスタンの戦争報道で全米に知られたジャーナリストである。
同氏はフリーの軍事記者として2004年からイラクで米軍部隊への「埋め込み(エンベッデッド)」従軍記者活動を始め、
主にブログを通じた迫真の報道が高い評価を得るようになった。

2005年5月には、イラクの激戦地モスルで自動車爆弾によって重傷を負ったイラク人の少女を
米軍将校が抱きかかえる写真とその事件の詳報を発信した。
この写真と記事はイラク戦争の悲劇を衝撃的に伝えた報道として、全米で話題となった。

米陸軍特殊部隊(グリーンベレー)出身のヨン氏は2008年には『イラクの真実の時』と題する本を出版し、ベストセラーとなった。
こうした最前線からの報道はニューヨーク・タイムズ、
USAトゥデイなど大手紙のほかNBC、CNN、FOXなどのテレビでも頻繁に取り上げられている。

マイケル・ヨン氏のブログのアドレスこちら⇒http://michaelyonjp.blogspot.jp/
日本語でも読めます。

■慰安婦問題はフィクションだ!!
 米国のジャーナリストが語る中国、韓国のウソ
 
■マイケル・ヨン氏と小森義久氏との対談
 日本軍は戦うことだけで手一杯だった
古森 あなたの慰安婦問題に関する見解は、彼女たちは軍人を対象とした「慰安婦」であり、軍が慰安婦を管理するという意味での
   関与はあったが、主要部分は本質的に売春という商行為だったということですね。

ヨン 日本軍の将校は戦うことだけで手一杯だった。そんなときに、兵士という貴重な人員を女性の誘惑に割くはずがありません。
   女性を本当に強制連行するならば、拘束したうえで輸送し、保護のために食事を提供しなければなりません。
   背後から襲い掛かる敵にも直面しなければなりません。戦闘中の軍隊がそんな愚かなことをしますか。
    また、そのような大規模な拉致という犯罪があれば、女性の家族も含め、膨大な証人を残すことになります。
   たんに女性だけを拉致するという話ではない。済州島がよい例で、吉田清治が書いたようなことを本当に軍隊がしたら、
   島全体に話が広がりますよ。島民に知られないまま、200人の女性を駆り出すなどできるはずがありません。
   住民200人の目の前で3人の女性を連れ去ったら、計203人の目撃者がいることになる。万単位の女性が被害にあったならば、
   数百万人単位の証人が残るということです。だが、そんな目撃の記録はない。
    それほどの規模で強制連行があったとすれば、なぜ大規模な反乱が起きなかったのか。まったく説明がつきません。
   私が戦地の真っ只中で何年も過ごしてわかったのは、「前線の将軍はつねにさらなる兵士と武器求める」ということです。
   補給はいくらでも欲しい。無駄な人員を充てる余裕などありません。

古森 あなたはイラクとアフガニスタンなどでアメリカ軍の活動を間近に見て来ました。軍のあるところでは必ず、売春をする施設と
   女性が現れるという現実を目撃してきたわけですね。

ヨン 韓国がよい例でしょう。私は5年間、陸軍に所属していました。私自身、韓国に駐在したことはありませんが、アメリカの
   兵士たちが韓国について語るのは、決まって「韓国は寒い」「売春がさかんである」の2つです。表向きはマッサージパーラーの
   場所があり、内部で何が起きているかは誰もが知っていたという。戦場で戦うのは若い男たちです。
   小遣いがあれば次はセックス、となるのが当然でしょう。そこにお金を求める女性が集まり、取引が成立する。
   第二次世界大戦中のホノルルもそうでした。ホテルストリートは軍が経営する売春婦が並んでいることで広く知られていました。

古森 慰安所そのものですね。

ヨン ほぼ同じです。実務を取り仕切る出入り業者がいて、女性を用意する。軍は値段設定に関与していました。
   1980年代の在韓米軍基地に売春婦が出入りしていたのは、厳然たる事実です。現在のイラクとアフガニスタンでも、
   フィリピン女性がメイドや美容師のかたちで入国し、売春をしていた実態はよく知られています。

古森 つまり、大日本帝国陸軍は性の問題を抱えた唯一の軍隊ではない、と。

ヨン タイでは毎年、「コブラ・ゴールド」と呼ばれる合同軍事訓練が行われています。アメリカのほかにタイ、マレーシア、
   シンガポールなどアジア諸国の軍隊が集い、日本も参加しています。コブラ・ゴールドに参加する若い海兵隊が、
   厳しい訓練が終わったらどこへ行くのか。聞くまでもないことです。

古森 あなたから見ると、日本の慰安婦は性奴隷とは程遠い存在だということですね。

ヨン OWI(アメリカ戦時情報局)の報告を読めば明らかですが、日本の慰安婦の平均年収が9000円でした。
   日本軍の将軍の平均年収が6600円だった時代の話ですよ。さらに言うと、この額はすべての必要経費を支払ったあとの
   手取り額で、実際には1万8000円以上を稼いだことになります。売春宿が半額取ったとしても、なお9000円残るのです。

古森 最近、日本の『朝日新聞』が長年の慰安婦報道について訂正記事を出しましたが、残念ながら海外にはあまり届いていません。
   「私どもの新聞は日本軍が女性たちを強制連行して性奴隷として慰安婦にしていたと報じたが、実際には強制連行は
   なかった」という訂正です。しかしアメリカ人の学者や評論家は、いまだに「軍に強制連行された従軍慰安婦」の
   鵜呑みにしている。そして近年の日本を右翼化の一語で括り、安倍首相がリベラル紙の『朝日新聞』を叩いている、という
   誤った見方が広がっています。

ヨン 『朝日新聞』は全世界を騙して、日本に深刻な問題をもたらしたままです。あなたがつねづね指摘しているとおり、
   アメリカの評論家にとって日本に関する情報源がいまだに『朝日新聞』である、という点が大きい。いまや「慰安婦」は
   かつてのグレッグ・モーテーソンのように、カルト的人気を誇る存在になってしまっている。モーテーソンの権威は
   失墜しましたが、いまだに彼の本を信じている人がいます。慰安婦問題に関心がある人は全員、先述のIWG報告を
   読むべきでしょう。

古森 そうした誤解に対して、アメリカ人のあなたが正しい歴史認識を伝えるメッセージを発信しているのはありがたいことです。
   日本政府はまず、クマラスワミ女史が提言した国連人権委員の報告(クマラスワミ報告)への公式な抗議からはじめる
   べきでしょう。アメリカ議会下院が採択した慰安婦問題での日本糾弾の決議に対しても、その内容は事実ではないと
   言明していくべきでしょう。日本政府自ら、国際的に歴史の真実を発信しなければならない。日本の民間でも同様に発信を
   続けるべきです。

ヨン そのとおりです。私が育ったアメリカ南部、いまいるタイ、そして日本の文化にあてはまるのは「自分はなにも悪いことは
   していないが、とりあえず謝れば許してもらえて、事態は円満になるだろう」と考えることです。
   しかし韓国人や中国人は、相手が謝るとピラニアのように食いついてくる文化があります。日本人なら「一度、非を認めた
   のだからもういいだろう?謝ったからといって罪を認めたわけではない」と思うでしょうが、中国人や韓国人は
   「有罪を認めた」といって畳み掛けてくる。日本文化の「本心が善であれば向こうは理解してくれる」という発想は
   変えたほうがいいでしょうね。

古森 その意味で、河野談話の見直しは重要です。外交的に正面からの見直しにはあまりに反発が多いということであれば、
   そのまま手を付けず、凍結させて、別の談話や声明で河野談話の「強制性」という部分などを骨抜きにすればよいわけです。
   とにかく現状のままだと、次世代の日本国民にとっての冤罪が続いていくことになります。

ヨン 河野談話を見直したうえで、クマラスワミ報告は根拠が薄弱であることを訴え、下院決議121の撤廃に向けて動くべき
   でしょう。この決議に何の拘束力もないことは、ワシントン在住が長いあなたなら十分ご存知のはずです。
   冒頭に吉田清治の証言が採用されているだけで、ウソだとわかる代物です。日本はしつこく対日非難決議の欠陥と
   国連報告の欺瞞を訴えつづけなければなりません。中国の拷問で「ひたすら水に打たれつづける」というのがあるでしょう。
   あれと同じようにして徹底してやる(笑)。そもそも、90年代のうちに『朝日新聞』が誤報を訂正していれば、
   現在のような大問題にはならなかったはずです。

古森 そのとおりです。現にアメリカの最高裁も、『朝日新聞』や中国、韓国の誤りを認めています。
   2006年2月21日、アメリカ最高裁は第二次世界大戦中に日本軍の「従軍慰安婦」にさせられたと主張した中国と韓国の女性
   15人に対し、「日本側の謝罪も賠償も、もう必要はない」という最終判決を下しました。これ以上、確固たる決定がある
   でしょうか。当時、アメリカ国内ではこうした訴訟が可能だったわけです。

ヨン 日本は韓国に対しては1965年の日韓基本条約で総額8億ドルの支払いを行ない、すべての補償は済んでいることが
   明らかにされていると、記憶しています。

古森 たしかに日韓基本条約では、謝罪や補償という言葉は使われていません。あくまで「経済支援」という名目ですが、
   補償の意味が込められていたことは、いうまでもなく当時、日韓両政府の暗黙の了解でした。
    最後に、ヨン氏からこの慰安婦問題に関して日本人一般に対して、なにかメッセージがありますか?

ヨン 大切なのは、慰安婦問題を大声でわめく韓国に対して日本が引き下がらないこと、そして中国の脅威に屈しないことです。
   アメリカは全体としてこの問題では中立です。アメリカの軍人およびアメリカ人女性は誰一人、慰安婦に関係がない、
   ということです。だから私自身もいちアメリカ人として慰安婦問題への個人的な関わりはまったくない。
   あくまで中立の第三者として、またジャーナリストとして、この問題を調査し、分析するに至り、虚構部分が大きい
   ことに気が付きました。その点で私が最も恐れるのは、この慰安婦問題で吉田清治のような輩によってつくり上げられた
   フィクションによって日本との関係にヒビが入ることです。

古森 あなたのような完全に中立かつ何の利害関係もない立場から力強い言葉をもらい、日本人として勇気づけられる思いが
   しますね。アメリカ議会では共和党が上下院ともに握るなど、日米関係にとって晴れ間も見えてきました。
   私も歴史戦の挽回に向けて、微力ながらペンの力で戦いたいと考えています。



以上月間誌 Voice2より抜粋

   印象に残ったところを抜粋しました。
   ●大切なのは、慰安婦問題を大声でわめく韓国に対して日本が引き下がらないこと、そして中国の脅威に屈しないことです。
   ●クマラスワミ報告は根拠が薄弱であることを訴え、下院決議121の撤廃に向けて動くべきでしょう。  
    この決議に何の拘束力もないことは、ワシントン在住が長いあなたなら十分ご存知のはずです。
    冒頭に吉田清治の証言が採用されているだけで、ウソだとわかる代物です。
   ●日本はしつこく対日非難決議の欠陥と国連報告の欺瞞を訴えつづけなければなりません。
    中国の拷問で「ひたすら水に打たれつづける」というのがあるでしょう。あれと同じようにして徹底してやる(笑)。

    「ひつこくやらねばならない」これがきっと日本人には難しいのかもしれません。
     韓国はたしかにひつこい。はずかしくないのか?と思う。

    日本人の弱点を指摘して、頑張れと言ってくださっていることだと思い心にとめておきます!!
    ひつこく行きましょう!!



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by sahorikita | 2015-05-06 19:58 | Comments(0)
2015年 04月 28日

③米国のジャーナリスト、マイケル・ヨン氏が語る「慰安婦問題はフィクションだ!」本の力はバカにならない

f0350840_17314283.jpg
マイケル・ヨン氏とは?
イラクとアフガニスタンの戦争報道で全米に知られたジャーナリストである。
同氏はフリーの軍事記者として2004年からイラクで米軍部隊への「埋め込み(エンベッデッド)」従軍記者活動を始め、
主にブログを通じた迫真の報道が高い評価を得るようになった。

2005年5月には、イラクの激戦地モスルで自動車爆弾によって重傷を負ったイラク人の少女を
米軍将校が抱きかかえる写真とその事件の詳報を発信した。
この写真と記事はイラク戦争の悲劇を衝撃的に伝えた報道として、全米で話題となった。

米陸軍特殊部隊(グリーンベレー)出身のヨン氏は2008年には『イラクの真実の時』と題する本を出版し、ベストセラーとなった。
こうした最前線からの報道はニューヨーク・タイムズ、
USAトゥデイなど大手紙のほかNBC、CNN、FOXなどのテレビでも頻繁に取り上げられている。

マイケル・ヨン氏のブログのアドレスこちら⇒http://michaelyonjp.blogspot.jp/
日本語でも読めます。

■慰安婦問題はフィクションだ!!
 米国のジャーナリストが語る中国、韓国のウソ
 
■マイケル・ヨン氏と小森義久氏との対談
 本の力はバカにならない
古森 なるほど。繰り返し聞きますが、あなたが日本の慰安婦問題に関心をもつようになったのは、軍隊との接触の体験の
   理由の一部だったのですか?
   あなたはイラクやアフガニスタンの従軍報道で声価を高めました。
   しかし日本とはとくに関わりがなかったはずです。ただし日本の慰安婦という課題であれば、現代でも「軍隊と性」という
   共通要素はあると思うのですが。

ヨン はい、そうした要因もあるといえます。しかし、私は直近の10年をアジアで過ごしていますが、理由はこの地域に
   注目しているからです。
   アフガニスタンとイラクの戦場報道である程度、世間に知られるようにはなってきましたが、最近はタイの紛争も
   取り扱っており、ウェブサイトでも好評をいただいております。
    そして、20年間で7カ国を渡り歩くうち、先述のように慰安婦問題や「南京大虐殺」「靖国神社」が日本への不当な攻撃の
   武器として利用されている構造が見えてきました。攻撃を実行しているのは中国です。
   そして、中国の狙いは実際に効力を発揮しています。

古森 中国や韓国がこれらの問題を持ち出す動機は、ある意味理解できます。
   中国共産党では「反日」を半永久的な統治の口実、つまり統治の正当性として利用しています。
   国民の不満のはけ口としても「反日」を使っています。韓国も政権が国民の人気取りのために日本を叩き、ののしる。
   これまた政治カードとしての反日です。
    しかしけしからんと思うのは、アメリカのジャーナリストや学者、政治家まで中国の「反日」工作に乗ってしまい、
   「かつての日本はおぞましい蛮行を組織的に行っていた」という宣伝を信じ込んでしまっていることです。

ヨン たしかに中国や韓国はまだしも、オバマ大統領やヒラリー・クリントン前国務長官が慰安婦や靖国のことで批判すると、
   日本人は「なぜ、われわれの国内問題に友邦が口を挟むのか」と憤りを感じることでしょう。
   しかしアメリカ人は、中国人を信用していません。
   古森さんはアメリカに長く暮らしているので、大多数のアメリカ人が日本に好印象をもっていることを実感しているでしょう。

古森 はい、平均的なアメリカ国民のあいだにはまだまだ日本への善意や好意はありますね。でもなぜ、指導層を含む一部に
   日本に対する誤解が生まれるのでしょうか。

ヨン 本の力はバカにはなりません。『ザ・レイプ・オブ・南京』を書いたアイリス・チャンは明らかに精神的に病んでいた
   わけですが、それは別として、あの本には明らかな欠点がありました。
   にもかかわらず、世界的に大きなインパクトをもたらした。日本で言えば吉田清治の本も同じです。
    もう1つ、例を挙げましょう。“Three Cups of Tea” という本を書いたグレッグ・モーテソンのことです。
   この本そのもののストーリーは素晴らしい。内容は、彼がK2(新疆ウイグル自治区とパキスタンの国境のあいだにある
   世界災難関の高峰)に登ろうとして――登山そのものは事実です。――遭難し、パキスタンの村人に助けられる、
   という物語です。命を救われた恩返しとして、モーテソンは長年にわたり、パキスタンの村々に学校を建て続ける。
   “Three Cups of Tea” は、300万部以上の売り上げを記録し、モーテソンは2010年の時点で2300万部ドル以上の
   資金集めに成功しました。彼は全米のみならず全世界を講演で回り、1回当たり3万ドル以上の講演料を得ました。
   さらに、オバマ大統領が受賞したノーベル平和賞の賞金から個人的に10万ドルを拠出してもらい、クリントン元大統領の
   推薦も取り付けました。最後にはグレッグ・モーテソンはアフガニスタンにおける総司令官・マクリスタルの
   アドバイザーとなり、彼の著作はアフガニスタンに駐在する米軍人すべての必読書となりました。こうしてモーテソンは
   何千万ドルものお金を掻き集め、アフガニスタン戦争のアドバイザーにまで上り摘めました。
    ところが――登山以外、すべての話はウソだったのです。

古森 とんでもない話ですね。

ヨン 私も、グレッグ・モーテソンの物語は嫌いではありません。一部に真実は含まれているかもしれません。
   だが、全体は完全なフィクションといってよい。
   アイリス・チャンの『ザ・レイプ・オブ・南京』も同じことです。ごく一部だけ含まれた真実に世界が感銘を受け、
   地球規模に1冊の本が広がっていく。
   「南京大虐殺」の数も、アメリカでは約二万人が殺された、と見積もられていました。
   ところがその後、4万人に数が膨らみ、いまや30万人といっています。
   しかしあなたが指摘しているように、人口が30万人いない土地で30万人を殺すことは不可能です。(笑い)


Voice2より転載しています。
グレッグ・モーテソンなる人物の話を読んでいると、吉田清治や千田夏光を思い浮かべます。
アグネス・チャンとか福島瑞穂も そして、朝日新聞。

千田夏光については、麻生徹男に近づき、資料を借り、軍師として記録していたのたくさんの文献を持ち出し、
事実と違うフィクションを作りあげた。
千田は1996年4月、軍医だった天児の父、麻生徹男が自身の論文で娼楼でない軍用娯楽所(音楽、活動写真、図書等)
の設立を希望したのに、娼婦が不可欠のものと主張していると誤解し、
父親を慰安婦制度を考案した責任者のようにほのめかしたことを娘の天児に謝罪したと言うが、
その後も出版元の三一書房と講談社はその部分を改訂しなかった。
その娘の医師の天児都2001年に出版した自著で、夏光の『従軍慰安婦』に裏付けのない記述や矛盾が多いと指摘した。
現在の天児都氏は、事実を知ってもらいたいと活動していらしゃいます。






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by sahorikita | 2015-04-28 17:48 | Comments(0)
2015年 04月 14日

米国のジャーナリスト、マイケル・ヨン氏が語る「慰安婦問題はフィクションだ!」②終戦七十周年の対日攻撃はすでに始まっている

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マイケル・ヨン氏とは?
イラクとアフガニスタンの戦争報道で全米に知られたジャーナリストである。
同氏はフリーの軍事記者として2004年からイラクで米軍部隊への「埋め込み(エンベッデッド)」従軍記者活動を始め、
主にブログを通じた迫真の報道が高い評価を得るようになった。

2005年5月には、イラクの激戦地モスルで自動車爆弾によって重傷を負ったイラク人の少女を
米軍将校が抱きかかえる写真とその事件の詳報を発信した。
この写真と記事はイラク戦争の悲劇を衝撃的に伝えた報道として、全米で話題となった。

米陸軍特殊部隊(グリーンベレー)出身のヨン氏は2008年には『イラクの真実の時』と題する本を出版し、ベストセラーとなった。
こうした最前線からの報道はニューヨーク・タイムズ、
USAトゥデイなど大手紙のほかNBC、CNN、FOXなどのテレビでも頻繁に取り上げられている。

マイケル・ヨン氏のブログのアドレスこちら⇒http://michaelyonjp.blogspot.jp/
日本語でも読めます。

■慰安婦問題はフィクションだ!!
 米国のジャーナリストが語る中国、韓国のウソ
 
■マイケル・ヨン氏と小森義久氏との対談
 戦後七十周年の対日攻撃はすでに始まっている
ヨン 近年、カリフォルニア州のグレンデールに慰安婦の銅像が立ち、私も二度、現地を訪れました。
   そこでは日本の共産党関係者の一行が、KAFC(在カリフォルニア韓国系米国人フォーラム)の一団と談笑していました。
   彼らは共産党支持者で、『しんぶん赤旗』に載った記事か広告を契機にグレンデールへの訪問を実現させたいというのです。
   グレンデール慰安婦像の碑文には数多くの国が列挙されており(「大日本帝国の軍隊によって韓国、中国、台湾、日本、
   フィリピン、タイ、ベトナム、マレーシア、東ティモール、インドネシアの故郷から移住させられ、強制的に性奴隷にされた
   20万人以上のアジアとオランダの女性たち」)と、まるであらゆる国がいまも日本に敵対しているかのようでした。
   私は現在、碑文で挙げた国の1つであるタイにいますが、「反日」など欠片も感じません。
   にもかかわらず、碑文には日本へのタイの敵意も刻まれている。
   なぜでしょうか。
   グレンデールで起きた裁判の訴状を見ると、グローバル・アライアンス(世界抗日戦争史実維護連合会=抗日連合会と略)が
   姿をみせています。この組織は在米中国人を中心とし、中国政府との協力も密接です。
   慰安婦問題ではこの中国の動きこそが核心なのです。
   
   2007年に公表されたIWG(ナチス戦争犯罪と日本帝国政府の記録の各省庁作業班)のアメリカ議会宛て最終報告に明記されて
   いるように、七年近くかけて約3000万ドルをつぎ込んだ調査の結果、「慰安婦問題の犯罪性や性的奴隷化の証拠はどこにもない」
   旨がアメリカ議会にも提出されています。
   「日本軍が20万人のアジア女性を強制連行して性奴隷にした」という主張はまったく根も葉もない幻だったのです。

古森 周知のように、慰安婦問題の核心は旧日本軍と政府が朝鮮や中国、その他アジア各国の女性を強制的に連行し、同様に強制的に
   性的サービスを供させたか否か、という点にあります。
   私の見解――現在の日本政府も同じですが――は「そのような強制性はなかった」というものです。

ヨン KAFCのような組織を通じて、韓国人が慰安婦問題に深く関与していることは事実です。が、背景を注視すると、
   明らかに中国の手が伸びている。いまや沖縄(宮古島)にも慰安婦像ができているのですよ。
   もはや、中国は天才としか言いようがありません。
   現地の人はそのような像の存在など知らないわけですが、韓国人はグレンデールなどに行って、「日本人も沖縄にこんな像を
   つくりましたよ!」と言い募る。実際は中国が背後にいて、慰安婦像を建てさせているわけです。

古森 2015年は第二二次世界大戦終結七十周年にあたります。おそらく中国は「中国とアメリカ、ソ連と欧州各国は共にナチス・ドイツと
   日本に対抗した同盟国だった」という事実を強調し、日本に対するネガティブ・キャンペーンを仕掛けてくると思われます。
   日本国内でも中国の動きに対抗する準備をすべきではないか、という声が広がっています。

ヨン 中国はすでに動いていますよ。すでに、あらゆる場所に戦争記念館を建てているではありませんか。
   南京もそうだし、台湾の一件(「抗日戦争記念館」と「慰安婦歴史展示館」を2015年に開設すると台湾・馬英九総統が表明)も
   ニュースで明るみになりました。
   慰安婦問題で日本を攻撃するのは「計画」の段階ではなく、すでに実行されていることです。


   続く・・・。

   次は「本の力はバカにならない」を紹介します。


   この内容は、雑誌ボイス(Voice)2から引用しました。


    中国はあらゆる作戦で日本を揺さぶってきています。
   スパイ活動しかり、マスコミの掌握、日本は粛々と真実を言い続けていきましょう。
   日本人がこの事に目覚めますように!




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by sahorikita | 2015-04-14 17:15 | Comments(0)
2015年 04月 12日

米国のジャーナリスト、マイケル・ヨン氏が語る「慰安婦問題はフィクションだ!」①人権問題ではなく政治問題

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マイケル・ヨン氏とは?
イラクとアフガニスタンの戦争報道で全米に知られたジャーナリストである。
同氏はフリーの軍事記者として2004年からイラクで米軍部隊への「埋め込み(エンベッデッド)」従軍記者活動を始め、
主にブログを通じた迫真の報道が高い評価を得るようになった。

2005年5月には、イラクの激戦地モスルで自動車爆弾によって重傷を負ったイラク人の少女を
米軍将校が抱きかかえる写真とその事件の詳報を発信した。
この写真と記事はイラク戦争の悲劇を衝撃的に伝えた報道として、全米で話題となった。

米陸軍特殊部隊(グリーンベレー)出身のヨン氏は2008年には『イラクの真実の時』と題する本を出版し、ベストセラーとなった。
こうした最前線からの報道はニューヨーク・タイムズ、
USAトゥデイなど大手紙のほかNBC、CNN、FOXなどのテレビでも頻繁に取り上げられている。

マイケル・ヨン氏のブログのアドレスこちら⇒http://michaelyonjp.blogspot.jp/
日本語でも読めます。

■慰安婦問題はフィクションだ!!
 米国のジャーナリストが語る中国、韓国のウソ
 
■マイケル・ヨン氏と小森義久氏との対談
 人権問題ではなく政治問題
小森 今回、慰安婦問題についてアメリカの軍事ジャーナリストであるマイケル・ヨン氏と話したいと思います。
   私が最初にワシントンでのこの問題に携わったのは、1990年代半ばでした。
   そして慰安婦問題がアメリカで注目を浴びるようになった最大のきっかけは2007年、カリフォルニア州選出の下院議員の
   マイク・ホンダが提出した慰安婦問題に関する対日非難決議(「慰安婦の人権擁護」、下院議決121)の可決です。
   一介の下院議員が起こした問題がなぜ、ここまで大きな問題に広がってしまったのか。
   そのプロセスの水面下にはさまざまな激しい動きがありました。
   さてマイケル・ヨン氏は、アルカイダやイスラム原理主義過激派のタリバンと戦うアメリカ軍の活動を至近距離から報道し、
   全米で注目を集めたジャーナリストです。
   アフガニスタンやイラクの戦地の最前線で長い年月を過ごし、「軍隊とは何か」を知り尽くした人物が、2014年9月に日本を訪れ、
   慰安婦問題の実態を調べていると聞いたときは本当に驚きました。
   いったい、何がきっかけだったのでしょう。

ヨン 長年、戦争の現場を見続けるうちに、私は地政学に強い関心をもつようになりました。
   そのなかで明らかになったのは、中国がさまざまな手段を用いて日本、韓国、そしてアメリカのあいだを裂こうとしている、と
   いうことです。
   3カ国のあいだに亀裂が入れば、中国の南シナ海での勢力拡張や尖閣諸島の獲得が有利になるからです。
   慰安婦問題が拡大して最も利益を得るのが中国であることはいまや明らかです。
   そして次にメリットを得るのは、日本から賠償金や慰謝料を求めようとするごく一部の女性活動家群、さらに政治力の拡大を
   目論む一部の共産主義勢力です。


小森 加えて一部のアメリカ人の評論家、学者やジャーナリストも、「安倍叩き」のために慰安婦問題を利用しています。
   オバマ政権もその前のブッシュ政権も安倍晋三氏の対米協力路線、日米同盟や日本防衛の重視路線を歓迎してきました。
   しかし、民主党リベラルのオバマ政権やその周辺には安倍首相の日本の独自性重視に奇妙な警戒を見せる向きがあります。
   国家のために戦死した人たちへの弔意表明という概念にも違和感を見せる向きです。
   こうした人たちが安倍氏をナショナリストとか右翼、反動的と呼び、批判するのです。
   理屈に合った反発とはいえません。
   本能的、生理的な反発とでもいいましょうか。
   そういうところからアメリカでの慰安婦問題を使っての安倍攻撃という現象が起きるのだと思います。

ヨン アメリカの新聞記事を読むと、お決まりのように「日本で右翼勢力が拡大している」という話ではじまり、人権侵害としての
   慰安婦問題に話が移ります。
   しかし、考えてもみてください。アメリカの国内には人権問題がいくらでもあります。
   私がいまいるタイにも、メキシコにももっと大きな問題があります。
   何がいいたいかというと、慰安婦問題は人権問題ではなく、政治問題なのです。
   たとえばアメリカ下院でマイク・ホンダと連動している女性活動家、ミンディ・カトラーの関心は女性の人権、
   フェミニズムにあると主張しています。
   では、なぜいま現在の中国の女性の人権問題を問題にしないのか?
   さらには、もし本当に人権が問題であれば韓国だけではなく、インドネシアやタイ、フィリピンから、日本に対する訴訟が
   もっと起きないとおかしい。
   韓国の朴槿惠大統領も、日本について発言するときは、必ず慰安婦問題を絡めてきます。
   しかし、本当の主役は韓国ではありません。
   慰安婦問題を地政学的、政治的問題の道具として利用しているのは中国です。
   いわば韓国は、中国の操り人形として利用されているだけなのです。

   続く・・・。

   次は「戦後70周年の対日攻撃はすでに始まっている」を紹介します。


   この内容は、雑誌ボイス(Voice)2から引用しました。


    中国はあらゆる作戦で日本を揺さぶってきています。
   スパイ活動しかり、マスコミの掌握、日本は粛々と真実を言い続けていきましょう。
   日本人がこの事に目覚めますように!




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by sahorikita | 2015-04-12 18:43 | Comments(0)
2014年 06月 25日

「慰安婦は売春婦以外の何者でもなかった」1994年8月 アメリカ軍による20人の韓国人慰安婦聴取報告書

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上の資料は、
アメリカ国立公文書記録管理局に保管されている米軍
情報部心理作戦班米軍インド・ビルマ方面作戦部隊付
けによる『日本軍の捕虜尋問レポートNo.49』
(1994年10月1日発行)


全体を要約すると、
アメリカ軍による『捕虜尋問レポートNo.49』(1944年10月1日発行)には、同年8月10日に捕虜となった
20名の韓国人慰安婦、あるいは“プロの非戦闘従軍者”以上の物ではない。」との結論が記されている。
その他の内容は、
・募集は日本人の仲介者が行った(編注:当時は朝鮮人も日本人だった)。
・応募者の多くは無学で、幾人かは以前“売春”を生業としていた。
・“慰安サービス”の内容は明確にされず、病院の負傷者を訪問し包帯を巻き、一般的に軍人を楽しませる仕 事と思われた。
・多額のお金を誘因に、「家族の負債を返済する機会、楽な仕事、新天地シンガポールで新たな人生」という
 業者の虚偽表示により、多くの女性が応募し数百円の前払いを受け取った。
・慰安婦の収入は総売り上げ50~60%、平均的月収は750円。
・食事は十分で、軍医による定期健康診断もあり、慰安婦の健康状態は良好
・避妊具が支給され、接客拒否の権利もあった。
・週休1日制で、休日には客の将兵とデートや食事を楽しむ事もあった。
・町にショッピングに行くことが許され、そのお金も持っていた。
・借金を返済し、契約条件を満たしたものは、帰国できた。
・慰安婦は無教養で子供っぽく、自己中心的。日本人・白人の基準で見て綺麗とはいえない。
・客から求婚する例が多くあり、実際に結婚した例もある。






日本が終戦を向かえる前は、朝鮮人も日本人だった。
その当時は日本人として同じ待遇を受けていました。
そういう事実がなかったかのように、「日本軍に酷いことをされた!!」と、言うのは、
当時の状況判断で言うと、すごく違和感を感じます。

「当時は、朝鮮の人々も、日本人だったのです」
もう、植民地支配とかいって、搾取されたかのような認識になってしまう、
朝鮮の人々の脳みそって、理解に苦しみます。
韓国で「日本が統治していた時代の方が良かった」とお年よりが若者に発言したら、
タコ殴りされ死亡という記事を読んで、こわ~くなりました。
愛国無罪で、その若者が英雄扱いされていると知って、再度こわ~いと思いました。
国自体が健全から遠い、偏執狂の集まりに思えて・・・。


しばらく関わらない方がいいと思います。



それより、従軍慰安婦の火付け役は、朝日新聞です。
この新聞社が、世間に広く、裸の王様としてばかにされる日を願っています。







――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
こちらの英文は、全文です。


                         UNITED STATES
                  OFFICE OF WAR INFORMATION
                   Psychological Warfare Team
                        Attached to
                       U.S. Army Forces
                     India-Burma Theater
                          APO 689

                       Japanese Prisoner
                      of War Interrogation
                         Report No. 49.


Place interrogated: Ledo Stockade
Date Interrogated: Aug. 20 - Sept. 10, 1944
Date of Report: October 1, 1944
By: T/3 Alex Yorichi




Prisoners: 20 Korean Comfort Girls
Date of Capture: August 10, 1944
Date of Arrival: August 15, 1944
at Stockade
PREFACE

This report is based on the information obtained from the interrogation of twenty Korean "comfort girls" and two Japanese civilians captured around the tenth of August, 1944 in the mopping up operations after the fall of Myitkyin a in Burma.

The report shows how the Japanese recruited these Korean "comfort girls", the conditions under which they lived and worked, their relations with and reaction to the Japanese soldier, and their understanding of the military situation.

A "comfort girl" is nothing more than a prostitute or "professional camp follower" attached to the Japanese Army for the benefit of the soldiers. The word "comfort girl" is peculiar to the Japanese. Other reports show the "comfort girls" have been found wherever it was necessary for the Japanese Army to fight. This report however deals only with the Korean "comfort girls" recruited by the Japanese and attached to their Army in Burma. The Japanese are reported to have shipped some 703 of these girls to Burma in 1942.

RECRUITING;

Early in May of 1942 Japanese agents arrived in Korea for the purpose of enlisting Korean girls for "comfort service" in newly conquered Japanese territories in Southeast Asia. The nature of this "service" was not specified but it was assumed to be work connected with visiting the wounded in hospitals, rolling bandages, and generally making the soldiers happy. The inducement used by these agents was plenty of money, an opportunity to pay off the family debts, easy work, and the prospect of a new life in a new land, Singapore. On the basis of these false representations many girls enlisted for overseas duty and were rewarded with an advance of a few hundred yen.

The majority of the girls were ignorant and uneducated, although a few had been connected with "oldest profession on earth" before. The contract they signed bound them to Army regulations and to war for the "house master " for a period of from six months to a year depending on the family debt for which they were advanced ...

Approximately 800 of these girls were recruited in this manner and they landed with their Japanese "house master " at Rangoon around August 20th, 1942. They came in groups of from eight to twenty-two. From here they were distributed to various parts of Burma, usually to fair sized towns near Japanese Army camps.
Eventually four of these units reached the Myitkyina. They were, Kyoei, Kinsui, Bakushinro, and Momoya. The Kyoei house was called the "Maruyama Club", but was changed when the girls reached Myitkyina as Col.Maruyama, commander of the garrison at Myitkyina, objected to the similarity to his name.

PERSONALITY;

The interrogations show the average Korean "comfort girl" to be about twenty-five years old, uneducated, childish, and selfish. She is not pretty either by Japanese of Caucasian standards. She is inclined to be egotistical and likes to talk about herself. Her attitude in front of strangers is quiet and demure, but she "knows the wiles of a woman." She claims to dislike her "profession" and would rather not talk either about it or her family. Because of the kind treatment she received as a prisoner from American soldiers at Myitkyina and Ledo, she feels that they are more emotional than Japanese soldiers. She is afraid of Chinese and Indian troops.

LIVING AND WORKING CONDITIONS;

In Myitkyina the girls were usually quartered in a large two story house (usually a school building) with a separate room for each girl. There each girl lived, slept, and transacted business. In Myitkina their food was prepared by and purchased from the "house master" as they received no regular ration from the Japanese Army. They lived in near-luxury in Burma in comparison to other places. This was especially true of their second year in Burma. They lived well because their food and material was not heavily rationed and they had plenty of money with which to purchase desired articles. They were able to buy cloth, shoes, cigarettes, and cosmetics to supplement the many gifts given to them by soldiers who had received "comfort bags" from home.

While in Burma they amused themselves by participating in sports events with both officers and men, and attended picnics, entertainments, and social dinners. They had a phonograph and in the towns they were allowed to go shopping.

PRIOR SYSTEM;

The conditions under which they transacted business were regulated by the Army, and in congested areas regulations were strictly enforced. The Army found it necessary in congested areas to install a system of prices, priorities, and schedules for the various units operating in a particular areas. According to interrogations the average system was as follows:

1. Soldiers


10 AM to 5 PM


1.50 yen


20 to 30 minutes

2. NCOs


5 PM to 9 PM


3.00 yen


30 to 40 minutes

3. Officers


9 PM to 12 PM


5.00 yen


30 to 40 minutes

These were average prices in Central Burma. Officers were allowed to stay overnight for twenty yen. In Myitkyina Col. Maruyama slashed the prices to almost one-half of the average price.

SCHEDULES;

The soldiers often complained about congestion in the houses. In many situations they were not served and had to leave as the army was very strict about overstaying. In order to overcome this problem the Army set aside certain days for certain units. Usually two men from the unit for the day were stationed at the house to identify soldiers. A roving MP was also on hand to keep order. Following is the schedule used by the "Kyoei" house for the various units of the 18th Division while at Naymyo.

Sunday


18th Div. Hdqs. Staff

Monday


Cavalry

Tuesday


Engineers

Wednesday


Day off and weekly physical exam.

Thursday


Medics

Friday


Mountain artillery

Saturday


Transport

Officers were allowed to come seven nights a week. The girls complained that even with the schedule congestion was so great that they could not care for all guests, thus causing ill feeling among many of the soldiers.

Soldiers would come to the house, pay the price and get tickets of cardboard about two inches square with the prior on the left side and the name of the house on the other side. Each soldier's identity or rank was then established after which he "took his turn in line". The girls were allowed the prerogative of refusing a customer. This was often done if the person were too drunk.

PAY AND LIVING CONDITIONS;

The "house master" received fifty to sixty per cent of the girls' gross earnings depending on how much of a debt each girl had incurred when she signed her contract. This meant that in an average month a girl would gross about fifteen hundred yen. She turned over seven hundred and fifty to the "master". Many "masters" made life very difficult for the girls by charging them high prices for food and other articles.

In the latter part of 1943 the Army issued orders that certain girls who had paid their debt could return home. Some of the girls were thus allowed to return to Korea.

The interrogations further show that the health of these girls was good. They were well supplied with all types of contraceptives, and often soldiers would bring their own which had been supplied by the army. They were well trained in looking after both themselves and customers in the matter of hygiene. A regular Japanese Army doctor visited the houses once a week and any girl found diseased was given treatment, secluded, and eventually sent to a hospital. This same procedure was carried on within the ranks of the Army itself, but it is interesting to note that a soldier did not lose pay during the period he was confined.

REACTIONS TO JAPANESE SOLDIERS;

In their relations with the Japanese officers and men only two names of any consequence came out of interrogations. They were those of Col. Maruyama, commander of the garrison at Myitkyina and Maj. Gen.Mizukami, who brought in reinforcements. The two were exact opposites. The former was hard, selfish and repulsive with no consideration for his men; the latter a good, kind man and a fine soldier, with the utmost consideration for those who worked under him. The Colonel was a constant habitué of the houses while the General was never known to have visited them. With the fall of Myitkyina, Col. Maruyama supposedly deserted while Gen. Mizukami committed suicide because he could not evacuate the men.

SOLDIERS REACTIONS;

The average Japanese soldier is embarrassed about being seen in a "comfort house" according to one of the girls who said, "when the place is packed he is apt to be ashamed if he has to wait in line for his turn". However there were numerous instances of proposals of marriage and in certain cases marriages actually took place.

All the girls agreed that the worst officers and men who came to see them were those who were drunk and leaving for the front the following day. But all likewise agreed that even though very drunk the Japanese soldier never discussed military matters or secrets with them. Though the girls might start the conversation about some military matter the officer or enlisted man would not talk, but would in fact "scold us for discussing such un-lady like subjects. Even Col. Maruyama when drunk would never discuss such matters."

The soldiers would often express how much they enjoyed receiving magazines, letters and newspapers from home. They also mentioned the receipt of "comfort bags" filled with canned goods, magazines, soap, handkerchiefs, toothbrush, miniature doll, lipstick, and wooden clothes. The lipstick and cloths were feminine and the girls couldn't understand why the people at home were sending such articles. They speculated that the sender could only have had themselves or the "native girls".

MILITARY SITUATION;

"In the initial attack on Myitleyna and the airstrip about two hundred Japanese died in battle, leaving about two hundred to defend the town. Ammunition was very low.

"Col. Maruyama dispersed his men. During the following days the enemy were shooting haphazardly everywhere. It was a waste since they didn't seem to aim at any particular thing. The Japanese soldiers on the other hand had orders to fire one shot at a time and only when they were sure of a hit."

Before the enemy attacked on the west airstrip, soldiers stationed around Myitkyina were dispatched elsewhere, to storm the Allied attack in the North and West. About four hundred men were left behind, largely from the 114th Regiment. Evidently Col. Maruyama did not expect the town to be attacked. Later Maj. Gen. Mizukami of the 56th Division brought in reinforcements of more than two regiments but these were unable to hold the town.

It was the consensus among the girls that Allied bombings were intense and frightening and because of them they spent most of their last days in foxholes. One or two even carried on work there. The comfort houses were bombed and several of the girls were wounded and killed.

RETREAT AND CAPTURE;

The story of the retreat and final capture of the "comfort girls" is somewhat vague and confused in their own minds. From various reports it appears that the following occurred: on the night of July 31st a party of sixty three people including the "comfort girls" of three houses (Bakushinro was merged with Kinsui), families, and helpers, started across the Irrawaddy River in small boats. They eventually landed somewhere near Waingmaw, They stayed there until August 4th, but never entered Waingmaw. From there they followed in the path of a group of soldiers until August 7th when there was a skirmish with the enemy and the party split up. The girls were ordered to follow the soldiers after three-hour interval. They did this only to find themselves on the bank of a river with no sign of the soldiers or any mea ns of crossing. They remained in a nearby house until August 10th when they were captured by Kaahin soldiers led by an English officer. They were taken to Myitleyina and then to the Ledo stockade where the interrogation which form the basis of this report took place.

REQUESTS

None of the girls appeared to have heard the loudspeaker used at Myitkyina but very did overhear the soldiers mention a "radio broadcast."

They asked that leaflets telling of the capture of the "comfort girls" should not be used for it would endanger the lives of other girls if the Army knew of their capture. They did think it would be a good idea to utilize the fact of their capture in any droppings planned for Korea.
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by sahorikita | 2014-06-25 15:30 | Comments(0)