さほりさんの自虐史観からの脱却

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2015年 10月 02日

③朝鮮慰安婦問題■文玉珠さんは慰安所の稼ぎ頭だった。総理大臣東條英機より稼ぎが多かったこと。

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森川万智子氏が文玉珠さんの証言をまとめた『文玉珠 ビルマ戦線 楯師団の「慰安婦」だった私』
(1996年2月1日、梨の木舎)出版


森川万智子氏の著書を参考に水間政憲氏がまとめられた上記の本の内容を
紹介したいと思います。
 の続き

■文玉珠さんのマンダレーでの慰安所生活
   ビルマでの文玉珠さんたちの慰安所は、大邱館と名付けられていて、朝七時頃に起床し、九時から客をとることになって
  いました。「午後四時ごろになると兵隊は部隊に帰っていき、下仕官たちがやってくる。夜九時か十時になると兵隊は泊ま
  ることはできなかった」(前書:森川万智子氏の本)と、時間帯が階級で分かれていたようです。
   そして、慰安の料金は「兵隊が一円五〇銭、大佐・中佐・小佐が三円だった。わたしが受け取った切符は普通の日で三〇
  円から四〇円分、日曜日には七〇円から八十円になった。軍人たちはどうせ死ぬかもしれないのだから、とチップをはずん
  でくれたのでそれだけの金額になったが、実際に相手にしたのはそれほど多かったわけではない、・・・・・・わたしは、
  兵士たちの家族やふるさとの話を聞き、一緒に日本の歌をうたった。(前書)と、誇張することなく淡々と語っています。
  文玉珠(文原玉珠)さんの貯金原簿で確認すると、月平均約一〇〇〇円を貯蓄していたことがわかります。そのときの軍人
  の月給は、二等兵七円五〇銭、軍曹三〇円、陸軍大将で五五〇円で、このときの総理大臣は東條英機でしたが、月給は八〇〇
  円だったので、文玉珠さんの日曜日の収入の約十日分と同じだったのです。
   マンダレー駐屯地司令部が作成した「駐屯地慰安所規定」(*資料)によると、慰安料金は、時間単位にすると同じ料金
  になるよう工夫され、文玉珠さんが語ったのは「兵隊は三十分、下仕官四十分、将校五十分」の料金だったのです。
  下の写真は、文玉珠さんたちがビルマに入国した頃に、ラングーンで行なわれていた仏教の光の祭典です。
   (資料:季刊『戦争責任研究』第6号一九九四年冬季号より
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■文玉珠さんは慰安婦の稼ぎ頭だった。
   郵便局金二万六一四五円の返還請求裁判で有名になった文玉珠さんが「お金を五〇〇円預けた。・・・・生まれてはじめての
  貯金だった。大邱で小さいときから子守や物売りをして、どんなに働いても貧しい暮らしからは抜け出すことができなかったわ
  たしに、こんな大金が貯金できるなんて信じられないことだ。一〇〇〇円あれば大邱に小さな家が一軒買える。母に少しは楽さ
  せてあげられる。・・・・・貯金通帳はわたしの宝物になった」(前書)と、一九四三年三月六日付けで、新規に野戦郵便貯金
  をしたときの気持ちを語っていました。当時、『アサヒグラフ』には、東京世田谷区内の土地一〇〇坪くらいの戸建てが、
  五〇〇〇円くらいで買える広告がでていました。当時、文玉珠さんの貯金があれば、世田谷で立派な屋敷を五軒買えました。
  現在、同じ世田谷区内の戸建ては一億円でも無理でしょう。
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  この頃から一年間くらいのビルマは、平和が蘇ってのどかないい時代だった。
  マンダレー落城から一年後の一九四三年初夏には、街も賑やかになっていたことが文玉珠さんの証言からも伝わってきます。
 「月に一度休日があった。町にでかけていって買い物をした。バナナ、マンゴー、パパイヤなど朝鮮では食べられない果物を
 買って食べるのが楽しみだった。・・・・ビルマの居酒屋に行ったことがある。どういうわけだか知らないが、日本の軍人た
 ちはけっしてビルマ人の居酒屋には行かなかった。」(前所)と、休日の過ごし方を語っていました。
  日本兵が出入りしていないビルマの居酒屋に入っていたなど、兵士より自由奔放にビルマを楽しんでいたようです。
  二〇一〇年十月二十三日、米国ニュージャージ州パラセイズ・パーク市に最初に設置された「日本軍従軍慰安婦の碑」には、
 「一九三〇年代から日本帝国主義の軍隊に踏みにじられた二十万人の女性と少女を称える」とか、「慰安婦とされた人々は、
 想像することもできない残酷な人権侵害にあった」と解説され、最後に「私たちは人類に対するこの残虐な犯罪を決して忘れ
 てはいけない」という言葉が、慰安婦の姿とともに刻まれています。

また続く・・・・。

この時代は売春は合法でした。
朝鮮半島も日本も売春は合法で違反ではありません。
私は慰安婦の方達は、りっぱな職業であったと思っています。
現在の価値観ではなく、当時の価値観で考えなければなりません。

慰安婦問題は、1990年突如、朝日新聞からはじまりました。
たくさんの人間が捏造に加わり、じわりじわりと広めていきました。
たくさんの被害者として日本を訴える元慰安婦が登場し、慰安婦の職業としての尊厳は地に落ち、
ただのゆすりたかりの存在になってしまい、存在そのももが卑しくなってしまいました。
いまや、外交問題にも発展しています。朝日新聞は強制連行が証明できなくなったら、「性奴隷」と言い始めています。
最悪の新聞ですね。
  


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by sahorikita | 2015-10-02 15:48 | Comments(2)