さほりさんの自虐史観からの脱却

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2016年 06月 28日

18.フーバー大統領が明かすルーズベルトの罪状(日米戦争を起こしたのは誰か) ★毛沢東に中国を与えたこと

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第三代アメリカ合衆国大統領 任期(1929年~1933年)
ハーバード・フーバー(Herbert Hoover:1874~1964年)

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2011年にフーバー研究所から刊行された
フーバー大統領の膨大な回想録
『フリーダム・ビトレイド』(裏切れれた自由)
この著書は全900ページを超える大著。日本では、訳本はまだ出ていない。
フーバーはこの大著で、東京裁判史観を真っ向から全否定している。

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フーバー大統領の著書を部分的にエッセンスをまとめた本がこちらである。
こちらの本の中の一部、フーバー大統領が指摘した19の過ちを紹介したいと思います。

■第18の過ち 毛沢東に中国を与えたこと
  「トルーマン、マーシャルとアチソンが中国に関して、政治の大道を見失ったのが第18番目の過ちである。ルーズベルトは、
  蔣介石が共産党と協力することにこだわって、中国に関する裏切りの秘密協定がヤルタでできた。その結果モンゴルと、
  事実上満州をロシアに手渡すことになった。トルーマンは全中国を共産主義者の手に委ねてしまった。それはトルーマンの
  左翼の側近の根強い影響の為である。彼らはマーシャル将軍を特使に任命させ、マーシャルを通じて彼らの意思を代行させ
  たのだった。そしてとどのつまりは、4億5000万ものアジア人を、モスクワ傘下の共産主義の傀儡政権の手に委ねることに
  なってしまった。トルーマンは、政治の大道を踏み外し、巨大な過ちを犯したのだった〔抄訳〕(p128~p129より)
   
  
 Giving China to Mao Tse-Tung
 Eighteenth. The eighteenth series of steps in loss of statesmanship was by Tru-man, Marshall and Acheson in
 respect to China. (以下省略、原典P882)

 
 説明の対談は藤井厳喜氏×稲村公望氏×茂木弘道氏
 対談の内容の解説を分かりやすくまとめました。↓

  18番目。ようするに中国共産党に中国を手渡す路線をしいてしまったということ。
 トルーマン、マーシャル、アチソンのチャイナに関する一連の決断が間違っていたことをフーバーは指摘している。
 はっきり言えば蔣介石をもっと支援して、共産党と徹底して戦わせればよかった。中国共産党の背後にスターリンがいる
 のだから。しかし、アメリカは共産党と仲良くして連立政権を作れと蔣介石に無理なことをいい、どんどん蔣介石の力が
 衰えて、その間に共産党が広まっていった。ウェデマイヤーがマーシャルにについて「判断を完全に誤っている」と言っ
 ている。また、そしてアメリカが蔣介石をしっかり支援していれば、揚子江の南には中華民国は残っていただろうに、と
 残念がっていた。
  そのような動きの中、肝心な人物がいた。ロークリン・カーリー、大統領特別顧問補佐官で中国担当の人物である。
 この人物カーリーは、戦後、コミンテルンのスパイとして南米に逃げた人物である。カーリーは、アメリカの中国政策の
 中心的な役割を果たしていた。日本からの和平提案甲案、乙案を否定したのは中国(蔣介石)が強く反対したからだと
 言われている。それで最後通牒であるハル・ノートになったという説明が普通に行なわれてが、実際には、乙案までも
 否定するよう圧力をかけたのは、カーリーであったのではと?
  スパイということがばれたということから、このような推測が出来ると述べています。

  また、日本が終戦を迎えて占領のころになると、中国では国共内戦が起こる。この時期は完全にトルーマンの時代のことだ。
 トルーマン政権内の共産主義シンパは、蔣介石に軍事援助を与えることを妨害した。国務省は当時、真っ赤であり、中国は
 モスクワの共産主義傀儡政権の支配する所となった。これこそがまさに政治の大道からの逸脱だと指摘している。

  これが中国の運命を大きく歪めてしまった。コミュニストが、毛沢東はジェファーソンのような素晴らしい人だという宣伝を
 エドガー・スノーらがしたのである。当時は、この宣伝を本気にする人が、知識人を中心に多かったため、アメリカの世論に
 悪影響を与えたと締めくくっています。
 
 *注 エドガー・スノー(Edgar Snow' 1905-1972)
    アメリカのジャーナリスト。中国共産党を取材し、その宣伝に協力した。
    特に毛沢東に接近し、彼の中国革命を賛美した『中国の赤い星』は著名。


 
    
  ★コミンテルンのスパイ活動やアメリカの政権が赤く染まっていたことなどが明確に述べられていて、
   とても興味深いと思います。それと、宣伝戦の威力というものも感じます。
   現在、中国と韓国、北朝鮮の宣伝戦に巻き込まれ、日本のマスコミが手を貸している状態に危機を感じています。




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by sahorikita | 2016-06-28 20:51 | Comments(0)
2016年 06月 26日

16.フーバー大統領が明かすルーズベルトの罪状(日米戦争を起こしたのは誰だ) ★トルーマンのポツダムでの決断

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第三代アメリカ合衆国大統領 任期(1929年~1933年)
ハーバード・フーバー(Herbert Hoover:1874~1964年)

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2011年にフーバー研究所から刊行された
フーバー大統領の膨大な回想録
『フリーダム・ビトレイド』(裏切れれた自由)
この著書は全900ページを超える大著。日本では、訳本はまだ出ていない。
フーバーはこの大著で、東京裁判史観を真っ向から全否定している。

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フーバー大統領の著書を部分的にエッセンスをまとめた本がこちらである。
こちらの本の中の一部、フーバー大統領が指摘した19の過ちを紹介したいと思います。

■第16の過ち トルーマンのポツダムでの決断
  「ポツダムにおけるトルーマンの過ちが、第16番目の過ちである。民主国家では、経験の無い人物に政権が渡され、共産主義者が、
  重要な場所に進出して来た。ポツダムでの合意の全てが、スターリンに対して降参したことを追認したり、拡大することであった。
  共産主義者による併合と傀儡政権が、スターリンとの繋がりを強化されたばかりではなく、ドイツとオーストリアの一部が
  スターリンとの繋がりを強化されたばかりでなく、ドイツとオーストラリアの一部がスターリンの懐に入ってしまうような政府に
  関する条項が決定された。賠償の政策の結果は、米国の納税者の数億ドルもの金が、職を失ったドイツ人の救援の為に使われ、
  かえってドイツだけでなく、ヨーロッパの再興を遅らせた。戦争捕虜が奴隷のようになり、自らの土地から民族追放が行なわれる
  ことが承認され、ヤルタでのそうした愚策が拡大された。これに加えて、指導者の人々の忠告に反して、日本に無条件降伏の
  最後通牒がだされたことである。
アメリカの経験ある多くの専門家が勧告した、天皇(みかど)を維持することを許す救済条項を
  入れないで、無条件降伏を要求したのである。日本側は、回答として、この条件のみを求めたが、原子爆弾が投下された。そして、
  最後になって、この条件が受け入れられた。〔抄訳〕(p124~p125より)
   
  
 Potsdam
 Sixteenth. The sixteenth time ofblind statesmanship was Truman at Potsgam..........(以下省略、原典P881)

 
 説明の対談は藤井厳喜氏×稲村公望氏×茂木弘道氏
 対談の内容の解説を分かりやすくまとめました。↓

 16番目がポツダムでのトルーマンの誤った判断をフーバーは指摘している。
 ポツダム宣言は7月26日です。そしてポツダム宣言を受け入れたのは8月10日。御聖断が下ったのは8月10日の午前2時であった。
  政権はトルーマンに移っているのですが、民主国家では経験のない人物に政権が渡されたと言うのは、共産主義者がいろいろ
 な場所に出現した当時のアメリカのことを指している。
ポツダムでの合意すべてが、スターリンに対して降参したことを追認し
 たり、拡大することであった、とフーバーは批判をしている。
  スターリンはポツダムに来たが、ポツダム宣言には参加していない。それは、日ソ中立条約で、7月26日にはまだ日本と戦って
 いないことが理由である。あとポツダム宣言は日本を武装解除し、兵隊を平和な家庭に戻す、と言ったものである。ところが、
 スターリンは60万人の日本兵をシベリアに連れていった。シベリア拘留のことである。これはソ連による国際法違反の拉致事件
 であり、ポツダム宣言の違反であった。「戦争捕虜が奴隷のように」強制移送したのである。そして、シベリアの拘留者の訳10%
 が殺されている。


 *注 シベリア拘留とは
     第二次代戦後に投降した日本兵捕虜約60万人を、ソ連がシベリアへ強制移送し、強制労働を伴う抑留生活を
    強いたことを総称する。捕虜を日本に復帰させるというポツダム宣言に背く処置であった。拘留中の日本人
    死者は約5万3000人に上るとみられている。


  ★共産主義者というのは、目的を達する為には手段を選ばないこと。このことが強く心に残ります。
   また、非常に残虐な手段や、約束は守らないということも認識します。
   日本を戦争に追いやったのは、共産主義者であったと痛感します。



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by sahorikita | 2016-06-26 19:57 | Comments(0)
2016年 06月 21日

15.フーバー大統領が明かすルーズベルトの罪状(日米戦争を起こしたのは誰か) ★1945年5月~7月日本の和平提案を拒否した事

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第三代アメリカ合衆国大統領 任期(1929年~1933年)
ハーバード・フーバー(Herbert Hoover:1874~1964年)

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2011年にフーバー研究所から刊行された
フーバー大統領の膨大な回想録
『フリーダム・ビトレイド』(裏切れれた自由)
この著書は全900ページを超える大著。日本では、訳本はまだ出ていない。
フーバーはこの大著で、東京裁判史観を真っ向から全否定している。

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フーバー大統領の著書を部分的にエッセンスをまとめた本がこちらである。
こちらの本の中の一部、フーバー大統領が指摘した19の過ちを紹介したいと思います。

■第15の過ち 1945年5月~7月日本の和平提案を拒否した事
  「1945年の5月、6月、7月と、日本は白旗を揚げて和平を求めていたが、トールマンはこれを拒否した。トールマンは、
  ルーズベルトの無条件降伏という愚かな条件に従う義務は無かったのだが。ヨーロッパにおける米国の軍事指導者達は、
  無条件降伏にこだわる事に反対していたのだ。日本との和平はただひとつの譲歩で達成できた。それは天皇の地位の保全
  である。日本の天皇は世俗国家の元首であるばかりでなく、国民の精神的権威でもある。天皇の地位は信仰と伝統に基づく
  ものなのだ。米国側が、最終的にこの条件を受け入れたのは、数十万の人命が犠牲になった後であった。〔抄訳〕
  (p120~p121より)
   
  
 The British-French Guarantee of Poland and Rumania in 1939
 Fourth. The fourth abysmal loss of statesmanship was when the British and French guaranteed the independence
 of Poland and Rumania at the end of March, 1939..........(以下省略、原典P877)

 
 説明の対談は藤井厳喜氏×稲村公望氏×茂木弘道氏
 対談の内容の解説を分かりやすくまとめました。↓

 ナチスは5月に降伏し、5月、6月、7月と日本は白旗を揚げていた。それに対しトルーマンは、それを認めることを拒否した。
 原爆を落とした後に、ようやく認めたのである。戦争の犠牲者を増やす必要はあったであろうか?
 日本は天皇の地位の保全を約束すれば、日本は容易に降伏できたのである。満州だって昔にもどしてもいいと、日本は和平提案
 を求めていたが、全部拒否し、無条件降伏にこだわった。戦争を早く終わらせようという意思がなく、無条件降伏という
 ルーズベルトの考えにトルーマンは縛られていた。

 最終的に和平提案を受け入れたのは、「日本でなくアメリカが受け入れたということ」とフーバーは言う。
 ところが日本の歴史教育では、日本がポツダム宣言を無視したから犠牲者が増えたと教えている。

 ★私自身もフーバー大統領の回顧録を知るまでは、ぉ恥ずかしながらハッキリした認識ができずうやむやな部分でしたが、
  順序がよく分かりなるほどと納得しました。
  ところが日本の歴史教育では、日本がポツダム宣言を無視したから犠牲者が増えたと教えている。の部分は
  アメリカに都合がいいようになっている。通説が正しいとは限らないことを身にしみて感じます。








  

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by sahorikita | 2016-06-21 22:35 | Comments(0)
2016年 06月 21日

14.フーバー大統領が明かすルーズベルトの罪状(日米戦争を起こしたのは誰か) ★ヤルタの秘密協定

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第三代アメリカ合衆国大統領 任期(1929年~1933年)
ハーバード・フーバー(Herbert Hoover:1874~1964年)

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2011年にフーバー研究所から刊行された
フーバー大統領の膨大な回想録
『フリーダム・ビトレイド』(裏切れれた自由)
この著書は全900ページを超える大著。日本では、訳本はまだ出ていない。
フーバーはこの大著で、東京裁判史観を真っ向から全否定している。

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フーバー大統領の著書を部分的にエッセンスをまとめた本がこちらである。
こちらの本の中の一部、フーバー大統領が指摘した19の過ちを紹介したいと思います。

■第14の過ち ヤルタの秘密協定
  「ルーズベルトとチャーチルは、致命的な間違いを1945年2月のヤルタで犯した。スターリンが12の国々の独立に対して
  干渉を加えることを追認しただけでなく、数世代に亘って国際関係に危険をもたらす、悪しき勢力の動きを助長するような
  秘密の協定が結ばれた。スターリンが傀儡の国家を7つ作ったことを知りながら、「自由で妨害されない」とか、言葉を
  繕って、スターリンの暴虐に水を差さないで隠蔽した。テヘランに於いて、軍事上の妥協を最も協力に主張した向きも、
  ヤルタでは、そうした主張をもうしなかった」(p119~p120より)
   
  
 Yalta-the Secret Agreements on the Downfall Nations
 Fourteenth. The fourteenth fatal loss of statesmanship was by Roosevelt and Churchill at Yaltain
February, 1945..........(以下省略、原典P880)

 
 説明の対談は藤井厳喜氏×稲村公望氏×茂木弘道氏
 対談の内容の解説を分かりやすくまとめました。↓

 14番目がヤルタ。
 ソ連の要求が増えていって、12になる。ここで12の国々の独立に対して干渉を加えることを追認しただけでなく、数世代に
 渡って国際関係に危険をもたらすような秘密の協定が多数結ばれる。フーバーは「言葉を繕って、スターリンの暴挙に水を
 差さないで隠喩した」と批判しています。人類の自由と品格のためにも反論すべきであったとフーバーは回顧している。

 ★言葉を繕って、スターリンの暴挙に水をささないでということは、どういうことか?
  少し、解説をします。スターリンは、ここを自分の勢力にするという言葉を使わず、自由とか民主政治とかという言葉を
  使い、実際は虐殺などを行い、傀儡国家を作っていったのである。
  例として「カチンの森の虐殺」を上げます。「カチンの森の虐殺」とは、第二次世界大戦中に、ポーランドの将校や
  警察官ら約2万2000人が、ソ連のグニェズドヴォ近効の森で殺害された事件がある。1939年のソ連・ドイツによる
  ポーランド割譲によって捕虜になったポーランド軍人などを、ソ連赤軍がスターリンの命で殺害した事件である。
  当初はナチスドイツによる殺害と言われていた事件である。
   自由とか民主政治という言葉を使いながら残虐な虐殺をソ連は行なっていたのである。これを、ルーズベルトとチャーチルは、
  見てみぬふりすることに決めたということを、フーバーは批判しているのである。


  しかし、日本軍が残虐なことをした!(プロパガンダ)と中国や韓国が言うが、
  世界を見渡して、残虐さを競ったら、欧米もロシア(ソ連)も酷いものである。
  中国人だって簡単に罪の無い人を殺し、朝鮮戦争も罪のない人を多く殺している。
  日本にそんな例があるだろうか?
  捏造のされたことばかりがはびこるのは、日本人は残虐でない証拠だと思っている。
  
 

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by sahorikita | 2016-06-21 22:34 | Comments(0)
2016年 06月 19日

13.フーバー大統領が明かすルーズベルトの罪状 ★1943年12月、7つの国家にソ連の傀儡政権の押し付けを認めてしまった事

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第三代アメリカ合衆国大統領 任期(1929年~1933年)
ハーバード・フーバー(Herbert Hoover:1874~1964年)

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2011年にフーバー研究所から刊行された
フーバー大統領の膨大な回想録
『フリーダム・ビトレイド』(裏切れれた自由)
この著書は全900ページを超える大著。日本では、訳本はまだ出ていない。
フーバーはこの大著で、東京裁判史観を真っ向から全否定している。

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フーバー大統領の著書を部分的にエッセンスをまとめた本がこちらである。
こちらの本の中の一部、フーバー大統領が指摘した19の過ちを紹介したいと思います。

■第13の過ち 1943年12月、7つの国家にソ連の傀儡政権の押し付けを認めてしまった事 
  「第13番目の間違いであり、ルーズベルトとチャーチルがふらついて一番混乱した例のひとつであるが、1943年12月の
  テヘランでの会議である。ここで、第12番目の、ロシアによるバルト諸国などの併合が確認され、スターリンが、友好的な
  国境の諸国を名付けた、傀儡政権の7カ国を承認したことである。国際的な動議と彼ら自身(ルーズベルトとチャーチル)の
  諸国への独立と約束と、自由な人間への忠誠に則り、ルーズベルトとチャーチルはスターリンに対して反対すべきであった。
  それまで、こうした併合に対する合意や、黙認と妥協をスターリンと行なうことが必要であるほどの、軍事的な危険は存在
  しなかったのである」〔抄訳〕(p117)
   
  
 Teheran and lts Sacrifice of Seven More Nations
 Thirteenth. The thirteenth and possibly one of the greatest of all confused wanderings in Roosevelt's and
Churchill's statesmanship was at Teheran in December, 1843..........(以下省略、原典P880)

 
 説明の対談は藤井厳喜氏×稲村公望氏×茂木弘道氏
 対談の内容の解説を分かりやすくまとめました。↓

 13番目の間違いは、ルーズベルトとチャチールの確信がふらついて、一番混乱した例の一つが1943年12月のテヘラン会談で
 あったとフーバーは言います。ここでソ連によるバルト諸国その他の併合が確認され、スターリンがそれらの国を「友好的な
 国境の諸国」と名付けた。自分の支配下、もしくは傀儡国家を「友好的な国境の諸国」と言ったということである。
 傀儡政権7カ国を認めたのである。ロシアによる軍事的危険はなかったのであるから、チャーチルとルーズベルトは、国際的
 道義を忘れずにスターリンに反対するべきであったと述べています。

 ★なぜかソ連に対しては、道義を無視してでもチャーチルもルーズベルトも、ソ連に甘いのである。
  ソ連は、やりたい放題が許されているのである。
  私は、いつも不思議でしかたありません。
 

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by sahorikita | 2016-06-19 22:26 | Comments(0)
2016年 06月 19日

12.フーバー大統領が明かすルーズベルトの罪状(日米戦争を起こしたのは誰か) ★1943年10月のバルト三国とポーランド東部のソ連への譲渡

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第三代アメリカ合衆国大統領 任期(1929年~1933年)
ハーバード・フーバー(Herbert Hoover:1874~1964年)

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2011年にフーバー研究所から刊行された
フーバー大統領の膨大な回想録
『フリーダム・ビトレイド』(裏切れれた自由)
この著書は全900ページを超える大著。日本では、訳本はまだ出ていない。
フーバーはこの大著で、東京裁判史観を真っ向から全否定している。

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フーバー大統領の著書を部分的にエッセンスをまとめた本がこちらである。
こちらの本の中の一部、フーバー大統領が指摘した19の過ちを紹介したいと思います。

■第12の過ち 1943年10月のバルト三国とポーランド東部のソ連への割譲
  「第12番目の過ちは、1943年10月のモスクワでの外務大臣会合で、自由とか民主政治といった用語が飛び交うなかで、
  ロシアが、バルト海諸国、東ポーランド、東フィンランド、ベッサラビア、とブコビナを併合(これはヒトラーが合意
  していた)する事に抗議の声があがらなかったことである。この沈黙は、大西洋憲章とルーズベルトが約束した
  「四つの自由」を最終的に放棄するものであった。」〔抄訳〕(p115)
   
  
 The Sacrifice of the Baltic States and East Poland at Moscow, October,1943
 Twelfth. The twelfth error of lost statesmanship was the sacrificed for free nations at the Foreign Ministers
meeting at Moscow,in October 1943..........(以下省略、原典P880)

 
 説明の対談は藤井厳喜氏×稲村公望氏×茂木弘道氏
 対談の内容の解説を分かりやすくまとめました。↓

12番目の過ちは、要するに共産ソ連がこういった国を自分の勢力圏に入れてしまうということに抗議できなかった。
 明らかに大西洋憲章や「四つの自由」の約束を放棄するものであり、ソ連に有利なことをしてしまったということ。
 「四つの自由」とか格好の良いことをいっていたが、実際はそんなことはどうでもよく、いつもソ連はやりたい放題
 させ、それをアメリカは黙認してしまうという事実を指摘。
 ルーズベルトが起こした戦争は、第二次世界大戦の大儀がなくインチキだとも指摘しています。

 ★いつも思うのは、ルーズベルトは、スターリン共産主義者に甘く、民主主義の国アメリカ政府が何故そこまで甘いのかが、
  不思議である。ルーズベルトの周りには共産主義者のスパイがとりかこんでいたというが、私は共産主義者と内通する
  スパイそのものにも思えてくるのです。
  そんな突飛な想像をしてしまいます。




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by sahorikita | 2016-06-19 22:18 | Comments(0)
2016年 06月 17日

11.フーバー大統領が明かすルーズベルトの罪状(日米戦争を起こしたのは誰か) ★無条件降伏の要求

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第三代アメリカ合衆国大統領 任期(1929年~1933年)
ハーバード・フーバー(Herbert Hoover:1874~1964年)

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2011年にフーバー研究所から刊行された
フーバー大統領の膨大な回想録
『フリーダム・ビトレイド』(裏切れれた自由)
この著書は全900ページを超える大著。日本では、訳本はまだ出ていない。
フーバーはこの大著で、東京裁判史観を真っ向から全否定している。

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フーバー大統領の著書を部分的にエッセンスをまとめた本がこちらである。
こちらの本の中の一部、フーバー大統領が指摘した19の過ちを紹介したいと思います。

■第11の過ち 無条件降伏の要求
  「第11番目のルーズベルトの壮大な過ちは、1943年1月のカサブランカにおいて、枢軸国の無条件降伏を要求したことである。
  ルーズベルトは、米軍の助言も、チャーチルの助言も聞き入れずに、新聞の一面の見出しを狙った。無条件降伏の要求は、敵国
  の軍国主義者や扇動者に利用され、ドイツ、日本、イタリアとの戦争を長引かせた。ところが、実際の戦争の終わりには、
  日本とイタリアには、譲歩したのである。ドイツに関しては、ナチスをなくさない限り、平和は有り得ないから、無条件の要求
  はドイツの和平への希望を失わせただけであった。戦争の終結の仕方が余りにも酷かった為、ドイツを再建する基礎となるもの
  が失われてしまった。〔抄訳〕(p111~p112より)
   
  
 The Demand for Unconditional Surrender
 Eleventh. The eleventh gigantic error in Roosevelt's statesmanship was demand for "Unconditional Surrender" at
Casablanca in January, 1943, where without our military, or even Churchill's advice, He was seeking a headline.
..........(以下省略、原典P879)

 
 説明の対談は藤井厳喜氏×稲村公望氏×茂木弘道氏
 対談の内容の解説を分かりやすくまとめました。↓

 これが11番目のステーツマンシップからの逸脱であるとフーバーは述べている。
 1943年1月のカサブランカ会議においてルーズベルトは「無条件降伏」ということを言い始めます。無条件降伏という
 アメリカの南北戦争のときに出てくる言葉でもあった。これにこだわったので南北戦争はより残酷になり、長引いたと
 いうことを軍事の専門家は大体指摘している。『ウェデマイヤー回想録』にもそのことが詳細に書いている。
 この時にルーズベルトにスターリンがすごいことを言った。始めは条件付降伏で屈服させたあとに、無条件降伏にした
 らいいんだと。まさに、日本はそれをやらされた。
 それはどういうことかと言うと、ポツダム宣言の13項目をミズリー号上でサインして、日本軍隊が無条件降伏し軍が武装
 解除したら、13項目は無視された。軍隊だけに適用される無条件降伏が、軍以外にも及んだのである。
 政治的には条件を残したはずだったのに・・・・・。

 解説では、実はもっと調べていくと、カサブランカの会議で無条件降伏なんて議論もされていない。チャーチルにもスターリン
 にも言わず、ルーズベルトは記者会見のときに、いきなり言った。アメリカの参謀、幹部にも何も相談していない。
 いきなり無条件降伏というマスコミ受けする記者会見をしたのである。国民はそういう強硬なことを喜ぶであろうという計算の
 もとマスコミを利用し、国務省も従わざるを得ない空気を作っていたのです。


 ★ルーズベルトは、非常に謎の多い人物である。
  アメリカ国民をうまくだまし、戦争に導き、日本に戦争をふっかけさせ、何故かスターリンという共産主義者に甘く
  何をしたかったのか?いつも疑問を感じるところであります。
  「狂人ルーズベルト」ということを著書で書いている方もいる。それほど戦争を何故したかったのか?
  この点も疑問です。



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by sahorikita | 2016-06-17 22:15 | Comments(0)
2016年 06月 17日

10.フーバー大統領が明かすルーズベルトの罪状(日米戦争を起こしたのは誰か) ★日本との3ヵ月の冷却期間を拒絶した事

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第三代アメリカ合衆国大統領 任期(1929年~1933年)
ハーバード・フーバー(Herbert Hoover:1874~1964年)

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2011年にフーバー研究所から刊行された
フーバー大統領の膨大な回想録
『フリーダム・ビトレイド』(裏切れれた自由)
この著書は全900ページを超える大著。日本では、訳本はまだ出ていない。
フーバーはこの大著で、東京裁判史観を真っ向から全否定している。

f0350840_16033879.jpg
フーバー大統領の著書を部分的にエッセンスをまとめた本がこちらである。
こちらの本の中の一部、フーバー大統領が指摘した19の過ちを紹介したいと思います。

■第10の過ち 日本との3ヵ月の冷却期間を拒絶したこと
   「昭和16年の11月に、天皇陛下が3ヵ月間のスタンドスティル、すなわち冷却期間をおこうとの提案を、駐日の米国大使を
  通じてされたが、ルーズベルトは是を拒否した。米国の軍高官も、冷却期間の提案を受け入れるべきであると大統領に促し
  た。当時、日本はロシアが、同盟関係にあったヒトラーを打倒する可能性を警戒していたのである。90日の冷却期間があって、
  (戦端開始の)遅れがあれば、日本から全ての戦意を喪失させて、太平洋で戦争する必要を無くしたに違いない。
   スティムソンの日記が明らかにしたように、ルーズベルトとその幕僚は、日本側から目立った行動が取られるように挑発す
  る方法を探していたのだ。だから、ハルは、馬鹿げた最後通牒を発出して、そして我々は真珠湾攻撃で負けたのだ。損害が
  どんどん発生して、(東)南アジアで日本が勝利し占領することは、予想できなかったのだ。更には、アメリカは制海権を
  ヒトラーと東條は、米国の海岸が見えるところで、アメリカの船舶を破壊することができるようになったのである。
  〔抄訳〕(p106~p107より)
   
  
 Refusal to Accept a 3 Month's Stand-Still Agreement with Japan
 Tenth. The tenth loss of statesmanship was the refusal to accept the proposals which his Ambassador informed him
came from the Emperor of Japan for a three month's stand still agreement in November, 1941........(以下省略、原典P879)

 
 説明の対談は藤井厳喜氏×稲村公望氏×茂木弘道氏
 対談の内容の解説を分かりやすくまとめました。↓

 これは最後の日本の提案のことを言っています。この提案は甲案と乙案があったアメリカとの交渉のことです。
 日本としては、甲案が理想的であったが、アメリカの強行な態度もあり、妥協的な案が乙案であった。乙案の内容が、3ヵ月間の
 現状維持をして、その間にさらなる妥協の機会を見つけようとした暫定案である。
 しかし、ルーズベルトはそれを拒否したのである。
 フーバー大統領は、ハルノートが最後通牒だったと言っている。
 日本軍の強硬派でも、対英米開戦というのはちょっと待てよ・・・という所があった。3ヶ月間というのは日本にとっても冷却期間
 になるはずであったが、逆にルーズベルトから言えば、とにかく日本を叩いて早く開戦させなきゃ駄目だ、3ヵ月待ったら日本は
 もう乗ってこないと踏んでいたのである。
 解説の中で、日本の先制攻撃でアメリカは計り知れないぐらいの損失を被ったと書いてあるが、これはドイツのことであり、
 日本のことではない。ドイツはメキシコ湾岸の海上でアメリカの商戦破壊を始めたことを言っている。
 あと、日本海軍は通商破壊と自国のシーレーン守るよりも、相手の軍艦を沈めることに重きを置いていたことのまずさにもふれて
 いる。軍艦を沈めると50点の評価が、商戦にて相手国のシーレーンを断つ仕事は10分の1の評価であった。評価を気にするあまり
 海軍は非常識な考え方を持っていたことを指摘しています。


 ★日本はまんまとルーズベルトに嵌められていった。
  私が歴史を通して思うのは、日本は海外に向けて、宣伝戦(事実を声を大きくしていう)をすることに考えが及ばない。
  ハル・ノートの内容を世界に発信したらよかったのではないか?と思う。
  ハル・ノートはルーズベルトの腹心数人しか知らなかったということを知ってから、思うのですが・・・。
  アメリカ人はハル・ノート存在すら知らなかったのですから・・・・。
  

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by sahorikita | 2016-06-17 22:14 | Comments(0)
2016年 06月 14日

9.フーバー大統領が明かすルーズベルトの罪状(日米戦争を起こしたのは誰か) ★1941年9月近衛和平提案を拒絶した事

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第三代アメリカ合衆国大統領 任期(1929年~1933年)
ハーバード・フーバー(Herbert Hoover:1874~1964年)

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2011年にフーバー研究所から刊行された
フーバー大統領の膨大な回想録
『フリーダム・ビトレイド』(裏切れれた自由)
この著書は全900ページを超える大著。日本では、訳本はまだ出ていない。
フーバーはこの大著で、東京裁判史観を真っ向から全否定している。

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フーバー大統領の著書を部分的にエッセンスをまとめた本がこちらである。
こちらの本の中の一部、フーバー大統領が指摘した19の過ちを紹介したいと思います。

■第9の過ち 1941年近衛和平提案を拒絶した事
  「ルーズベルトが近衛総理大臣の和平の提案を受け入れ拒否したこと。この和平の提案が受け入られることを、日本に駐在する
  アメリカの大使もイギリスの大使も積極的に働きかけたし、又祈るような気持ちで見守っていた。近衛が提案した条件は、満州
  の返還を除く全てのアメリカの目的を達成するものであった。しかも、満州の返還ですら、議論する余地を残していた。皮肉に
  考える人は、ルーズベルトは、この重要ではない問題をきっかけにして自分の側でもっと大きな戦争を引き起こしたいと思い、
  しかも満州を共産ロシアに与えようとしたのではないかと考えることになるだろう。〔抄訳〕(p102)
   
  
 Refusal to Accept Konoye's Peace Proposals
 Ninth. The ninth time statesmanship was wholly lost was Roosevelt's contemptuous refusal of Prime Minister Konoye's
proposals for peace in the pacific of September, 1941.........(以下省略、原典P879)

 
 説明の対談は藤井厳喜氏×稲村公望氏×茂木弘道氏
 対談の内容の解説を分かりやすくまとめました。↓

  9番目の失敗が、近衛の顔に泥を塗るような形で和平交渉を拒否したこと。近衛和平提案は、日本駐在の米国大使も、英国大使も、
 祈るがごとく促していた。これが受け入れられれば、戦争は回避できたのである。
 
「近衛が提案した条件は、満州の返還を除くすべてのアメリカの目的を達成するものであった。しかも満州の返還ですら、交渉して
 議論する余地を残していた」
ということである。フーバー大統領の回顧録によれば、「見方によっては、ルーズベルトはこの重要で
 ない満州問題を切っ掛けに、大きな戦争を引き起こしたいと思った、しかも満州を共産国ロシアに与えようとしたのではないかと
 考えられる」とまで書いている。
  
近衛和平提案のことを、ルーズベルトはチャーチルの大西洋憲章の会談で、あざ笑いながら「3ヵ月あやしておく」といっている。
 もう100%戦争をするということを決めているが、始めから戦争を狙っていると思われたら困るため聞くふりをしていたのである。
 
  対談者は、外交として
近衛が、自分が誠意を尽くして交渉すればどうにかなると考える姿は間抜けであり、アメリカの国民への
 働きかけ、つまり宣伝を「ルーズベルトは戦争に追い込もうとしている。日本は和平を望んでいる」等、アメリカの世論に訴える
 などを全くしていない。外交では誠実さなんて役に立たない。そこが日本側の弱さということを、認識しなければならないと
 結んでいます。

 ★慰安婦問題や南京大虐殺など、韓国、中国にやられっぱなしの現在を見ても、同じ間違いを外務省もしている。
  民間の人達が道を切り開いて、抗議していっている現状をみても、進歩がない。
  私も民間人として、水間政憲氏のポストカード(事実の写真)を海外に郵送する運動に参加している。
  この写真をいろんな海外の方に撒くことで、中国や韓国のプロパガンダを信じてしまい、日本が孤立しないようにという
  思いから水間氏のプロジェクトに参加しています。

  歴史家、水間政憲氏のプロジェクトを紹介しておきます。
  HP→http://mizumajyoukou.blog57.fc2.com/


  いろんな角度から、第二次世界大戦の様相を見ていくことで、第二次世界大戦とはなんであったのか?
  自分なりの答えをみつけたく思っています。


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by sahorikita | 2016-06-14 17:02 | Comments(0)
2016年 06月 12日

8.フーバー大統領が明かすルーズベルトの罪状(日米戦争を起こしたのは誰か) ★1941年7月の日本への経済制裁

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第三代アメリカ合衆国大統領 任期(1929年~1933年)
ハーバード・フーバー(Herbert Hoover:1874~1964年)

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2011年にフーバー研究所から刊行された
フーバー大統領の膨大な回想録
『フリーダム・ビトレイド』(裏切れれた自由)
この著書は全900ページを超える大著。日本では、訳本はまだ出ていない。
フーバーはこの大著で、東京裁判史観を真っ向から全否定している。

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フーバー大統領の著書を部分的にエッセンスをまとめた本がこちらである。
こちらの本の中の一部、フーバー大統領が指摘した19の過ちを紹介したいと思います。

■第8の過ち 1941年7月の日本への経済制裁
  「第8番目の、ルーズベルトが犯した巨大な誤りは、1941年7月、つまり、スターリンとの隠然たる同盟関係となったその
  一ヶ月後に、日本に対して全面的な経済制裁を行なったことである。その経済制裁は、弾こそ射てなかったが本質的には
  戦争であった。ルーズベルトは、自分の腹心の部下からも再三に亘って、そんな挑発をすれば遅かれ早かれ報復のための
  戦争を引き起こすことになると警告を受けていた。〔抄訳〕(p099)
   
  
 The Economic Sanctions on Japan of July, 1941
 Eight. The eight gigantic error in Roosevelt's statesmanship was the total economic sanctions on Japan one month
later, at the end of July, 1941..........(以下省略、原典P878)

 
 説明の対談は藤井厳喜氏×稲村公望氏×茂木弘道氏
 対談の内容の解説を分かりやすくまとめました。↓

戦争開始する直前に、アメリカでは世論調査があり、アメリカ人の85パーセントが戦争に反対だった。ルーズベルトは、
 戦争をしないという公約で大統領になっていた為、一貫して平和主義者として振舞っている。インディアナ州出身の
アメリカ合衆国の歴史学者、チャールズ・ビーアドは、それをアピアランス(見せかけ)と見抜いていた。
 自分からは戦争をするわけにはいかないから、日本がアメリカを攻撃させるようにと、日本に対する経済制裁を行なった。
 経済制裁というのは、弾を撃たない戦争であり、意図的な戦争挑発である。
 ルーズベルトの反対派だけでなく、部下達も経済制裁を批判していた。にもかかわらず、経済制裁を強行したのである。

 アメリカに早く参戦してほしい三つの勢力があった。1人はソ連のスターリン。もう1人はイギリスのチャーチル。最後は
 中華民国の蔣介石である。3人がそれぞれ強烈にルーズベルト政権をつかんで、早く日本を追い込んで、日本に撃たせろと
 働きかけた。

 日本はルーズベルトと一生懸命交渉すれば、和解の道ができるのではと思っていた。
 さらに、ドイツのことを付け加えると、日独伊三国同盟がありながら、ドイツ軍は中華民国に最新鋭の武器を提供していた。
 そのため、蔣介石が負け続けるとドイツの兵器の評判が悪くなっていく。ドイツは、軍事顧問の大量に国民党に派遣していた。
 その軍事顧問が、宣伝戦つまりプロパガンダを勧めるのである。また、手伝おうと。アメリカではそれが宣教師によってもた
 らされ、「日本人は残虐だ」という嘘が定着する。南京大虐殺の嘘の証言に意外とドイツ人が多いのです。(ドイツもなかなか醜い)
 

 ★日本はそうやって孤立していくのです。
  その上、他国は国際法を簡単にいざとなったら破る現実にも苦々しく思います。
  ドイツと蔣介石の関係は、私自身が詳しく書き足しました。

 

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by sahorikita | 2016-06-12 19:34 | Comments(0)