さほりさんの自虐史観からの脱却

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2016年 06月 08日

7.フーバー大統領が明かすルーズベルトの罪状(日米戦争を起こしたのは誰か) ★ソ連共産主義を助けた事

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第三代アメリカ合衆国大統領 任期(1929年~1933年)
ハーバード・フーバー(Herbert Hoover:1874~1964年)

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2011年にフーバー研究所から刊行された
フーバー大統領の膨大な回想録
『フリーダム・ビトレイド』(裏切れれた自由)
この著書は全900ページを超える大著。日本では、訳本はまだ出ていない。
フーバーはこの大著で、東京裁判史観を真っ向から全否定している。

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フーバー大統領の著書を部分的にエッセンスをまとめた本がこちらである。
こちらの本の中の一部、フーバー大統領が指摘した19の過ちを紹介したいと思います。

■第7の過ち ソ連共産主義を助けた事
  「アメリカの歴史の全史を通じてもっとも政治の大道が失われたのが、ヒトラーがロシアを1941年に攻撃したときに、
  共産ロシアを支援して、アメリカとロシアが非公然の同盟関係になったことである。英国を救うにはアメリカの軍事力が
  必要であるとする考え方は、例え誤った理論であったにしても、どこかに消えてしまった。ロシアを米国が支援すると
  言うことは、共産主義が世界に広がることであった。ドイツとロシアの戦争に米国は巻き込まれるべきではなかった。
  平和が持続するという最大のチャンスがあったのだが、ルーズベルト大統領は、その機会を捉えることができなかった。
  (p098~p098より)
   
  
 Alliance with Stalin
 Seventh. Indeed the greatest loss of statesmanship in all American alliance and support of Communist Russia when
Hitler made his attack in June,1941..........(以下省略、原典P878)

 
 説明の対談は藤井厳喜氏×稲村公望氏×茂木弘道氏
 対談の内容の解説を分かりやすくまとめました。↓

 7番目の問題は、本質的な問題だといえる。一番の問題点である。
 共産主義ロシアを応援して、アメリカとロシアが同盟国になってしまった。
 フーバー大統領は「今や我々はスターリンとその軍事的な謀略に支援を約束しているのだ、
 世界の民主国家に反して」と警告を発していた。

 アメリカがソ連に力をつけさせ、第二次大戦の勝者がソ連とスターリンであったことを考えると納得がいく。
 アメリカとして莫大な犠牲を払って、共産主義の勝利を収めさせた。ロシア民族の勝利でもなく、共産党の勝利である。
 共産党主義者により、ロシア人自身は酷い目に遭っているにも関わらず・・・・。と解説しています。

 第二次世界大戦の結果、アメリカは膨大な負債を抱えだけであった。多くの国民が亡くなった。
 イギリスもほとんどの植民地を失い経済的に打撃を受けた。そして、イギリスは衰退した。
 勝者は、ソ連なのである。そして、共産国が次々に増えたのである。
 何故、民主主義の国アメリカが、共産主義ソ連を応援するのか?
 私がいつも思う疑問である。
 ヴェノナ文章により、ルーズベルト大統領の周辺にはソ連のスパイがたくさんいたの情報も公開されているが、単にスパイに
 いいなりになっていただけでもなさそうな気がするのです。ルーズベルト大統領の政権では、ソ連にはじめから、最後まで優しいと
 いうか、配慮をする政策があるので不思議なのです。

 謎が多い人物です。
 





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by sahorikita | 2016-06-08 17:26 | Comments(0)
2016年 06月 07日

5.フーバー大統領が明かすルーズベルトの罪状(日米戦争を起こしたのは誰か) ★アメリカの宣戦布告なき戦争

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第三代アメリカ合衆国大統領 任期(1929年~1933年)
ハーバード・フーバー(Herbert Hoover:1874~1964年)

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2011年にフーバー研究所から刊行された
フーバー大統領の膨大な回想録
『フリーダム・ビトレイド』(裏切れれた自由)
この著書は全900ページを超える大著。日本では、訳本はまだ出ていない。
フーバーはこの大著で、東京裁判史観を真っ向から全否定している。

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フーバー大統領の著書を部分的にエッセンスをまとめた本がこちらである。
こちらの本の中の一部、フーバー大統領が指摘した19の過ちを紹介したいと思います。

■第5の過ち アメリカの宣戦布告なき戦争
  「第5の誤りは、41年の冬にルーズベルト大統領が、米国がドイツと日本に対して、宣戦布告を始めた事である。
  これは、数週間前の大統領選挙選の公約に全面的に違反するものであった」
 〔抄訳〕*「1941年の冬」は、1940年の冬」の間違いであろう。というのも「数週間前の大統領選挙の公約」をしたのは、
      1940年の秋11月の大統領選挙の時だったからである。「大統領選挙から数週間後」といえば1940年の冬である。
      1941年の冬(12月)には日米戦が開始され、アメリカは宣戦布告をしている。(p092~p093)
   
  
 United States Undeclared War Fifth.
 The Fifth major blunder in statesmanship was when Roosevelt, in the winter of 1941, threw the United States into
undeclared war with Germany and Japan in total violation of promises upon which he had been elected a few weeks
before. (以下省略、原典P877)

 
 説明の対談は藤井厳喜氏×稲村公望氏×茂木弘道氏
 対談の内容の解説を分かりやすくまとめました。↓

 この5番目の罪は、日本に直接かかわってきます。
 宣戦布告なき戦争の具体的な内容は、ドイツと日本に対して積極的に介入してくる。
 ルーズベルトは、ヨーロッパの戦争に介入しないという選挙公約を裏切った。
 まず日本には、経済封鎖をしたこと。
 1941年の7月には日本の在米資産の前面凍結をしたこと。
 (中国人に対しては全く行なわれなかった。人種差別といってもいいだろう)

 さらに石油と屑鉄の禁輸。
 このことをブーバー大統領は、「undeclared war」だと言っている。
 また、1940年の通商条約破棄のことも上げている。
 アメリカと通商でなにも問題が起きていないのに、通商条約を破棄する。
 これは、準宣戦布告ではないか?と語ってる。

 また、アメリカ国内では、ルーズベルト大統領が戦争に介入しないという公約がだんだん守れなくなってきたということで、
 国内からも抗議を受けるようになってきた。その裏で共産主義のプロパガンダがあり、知識人に影響を与え、「ミュンヘン
 合意が悪の権化のように言われるようになる。その為、本当の原因である「ポーランド保証問題」が一番の原因であるのに、
 問題にされなかった。

 
 アメリカは、日本に敵国としてターゲットに絞っているのがよくわかる事実です。
 日本人以外のアジア人には、資産を凍結したり、日本人強制収容所のようなことはしていません。
 このような動きを見て思うのは、アメリカは日本に密かな恐れを抱いていたことや、中国で布教活動をしていた宣教師達が
 蒋 介石のポロぱガンダに騙され、日本人が残虐だという報告をしていたり、日本で布教活動をしていた宣教師が日本では可哀想
 な人が少ない上に、議論されたりと、うまくいかない腹いせに、日本は野蛮な国だからキリスト教に改宗しないという報告をして
 いたり、とにかく、宣教師達から日本人は好かれていなかった。イコール アメリカのプロテスタント達は日本を敵視である。
 原爆を強固に落とすよう主張したのは、ヘンリー・スティムソンだ。彼は、熱心なプロテスタントの信者であり布教を広める
 のに夢を描いていた。日本は邪悪な国という彼の強い思いこみが強行的に原爆を落とす主張となっていた。

 いまもそうなのですが、日本人は外国のプロパガンダにやられぱなしだ。
 外国では、反論しないということは、事実なんだと認識されます。
 民間の方々が今頑張っているのが現状です。
 事実の歴史を学んで、自分自身で身に付けていきましょう。
 
 
 

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by sahorikita | 2016-06-07 22:01 | Comments(0)
2016年 05月 16日

4.フーバー大統領が明かすルーズベルトの罪状(日米戦争を起こしたのは誰か) ★英仏の「ポーランドとルーマニア」への独立保障

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第三代アメリカ合衆国大統領 任期(1929年~1933年)
ハーバード・フーバー(Herbert Hoover:1874~1964年)

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2011年にフーバー研究所から刊行された
フーバー大統領の膨大な回想録
『フリーダム・ビトレイド』(裏切れれた自由)
この著書は全900ページを超える大著。日本では、訳本はまだ出ていない。
フーバーはこの大著で、東京裁判史観を真っ向から全否定している。

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フーバー大統領の著書を部分的にエッセンスをまとめた本がこちらである。
こちらの本の中の一部、フーバー大統領が指摘した19の過ちを紹介したいと思います。

■第4の過ち ミュンヘン融和の成功と失敗
  「第4の計り知れぬ程に愚かな失敗は、イギリスとフランスとが、ポーランドとルーマニアの独立を1939年の3月末に保障した
  ことである。その時点で、これまで、ヒトラーとスターリンとが戦うことが避けられない状況で在って、その際ヨーロッパの
  民主国家は介入しない方針をとっていたのであるが、その方針が変わったのである。
   これは、ヨーロッパ外交史のなかでも、力関係の外交を見た場合に、歴史上最大の失策であった可能性が高い。イギリスも
  フランスも、ポーランドを侵略行為から救い出す力がなかったのにもかかわらず、この保障によって、ヒトラーとスターリン
  の間に、民主国家の存在を投げ出すことになった。
   これはスターリンをヒトラーから守ることになったばかりか、スターリンは自らの影響力を、一番高く買った者に売ることが
  できるようになったのである。スターリンは、バルト海諸国と東ポーランドを併合した。スターリンは、ヒトラーから獲物をう
  ばったのである。ヒトラーは、南東ヨーロッパに拡張して、モスクワの共産党の本山を破壊することを放棄したわけではなかった
  ので、まず、前進するためには、西側の民主国家の中立化をなしとげる必要があった。第二次世界大戦という長い恐怖の列車が
  このポーランドの(独立)保証という過ちから、発車することになった。ルーズベルトが係わったことは確かであるが、どの程度
  の関与であったかを確定するには、資料が不完全である。
チャーチルは、政権をとっていなかったが、ミュンヘンでヒトラーと
  妥協した後のチェンバレンがめちゃくちゃな行動に出るように駆り立てていった。(p088~p090より)
   
  
 The British-French Guarantee of Poland and Rumania in 1939
 Fourth. The fourth abysmal loss of statesmanship was when the British and French guaranteed the independence
of Poland and Rumania at the end of March, 1939..........(以下省略、原典P877)

 
 説明の対談は藤井厳喜氏×稲村公望氏×茂木弘道氏
 対談の内容の解説を分かりやすくまとめました。↓

   三つ目の失敗「ミュンヘン融和」が、第4の失敗につながってしまった。その第4の失政として「イギリスとフランスが
  ポーランドとルーマニアの独立」を保証したこと。
   イギリスもフランスも、ドイツの侵略を防ぐ力はなかったのに、なぜ保証するのだとフーバーは書いている。
  そのため、イギリスもフランスもドイツの戦争に巻き込まれ、ポーランドはドイツにやられ、さらにソ連にやられた。
  第二次世界大戦後は1991年ソ連連邦が滅びるまでの半世紀、東ヨーロッパは完全にソ連という独裁体制の統制化に置かれてしまう。
  イギリスとフランスがポーランドと独立を保証することで、ドイツとソ連の争いで終わるはずのものが拡大し、その保証のために
  イギリスはドイツに宣戦布告をし、長く悲惨な第二次世界大戦のスタートとなる。
  また、保証する力もないイギリスとフランスは、ヒトラーとスターリンに餌食のように民主国家ポーランドとルーマニアを
  投げ出したようなもので、伝統的、正統的なバランスオブパワーでものを考えていれば、こんなことにはならなかったと
  英仏の外交のまずさを指摘しています。

  ルーズベルトが係わったことは確かであるが、どの程度の関与であったかを確定するには、資料が不完全である。
  注:「十分な証拠がない」とフーバーは嘆いていましたが、
    確かな証拠が『ルーズベルトの開戦責任』(ハミルトン・フィッシュ著)より出てきます。
    イエジ・ユゼフ・ポトツキ駐米ポーランド大使が「ルーズベルト大統領は、ポーランドの独立の為に、英仏側に立って
    参戦する事を約束していた」と証言していることが分かりました。(P090~092)



  ルーズベルトは、戦争前からてソ連に甘い。
  ヴェノナ文書にて、ソ連のコミンテルミンのスパイに囲まれていたことが分かりますが、
  それでもルーズベルトは謎の深い人物であることが浮かびます。
  『ルーズベルトの開戦責任』(ハミルトン・フィッシュ著)を先に読みましたが、見た目にもルーズベルトは重病であったにも
  かかわらず、医者はなんともないと証言させていたり、隠し事がたくさんある。ハル・ノートの存在も数名が知っていただけで
  政府の人間もそんなものの存在も知らず、戦争をしていた。
  『ルーズベルトの開戦責任』(ハミルトン・フィッシュ著)と合わせて読むと非常に興味深い。
  日本だけでなく、アメリカ人をもあざむいていたと考えられます。

  ハミルトン・フィッシュ著 『ルーズベルトの開戦責任』の本のブログも書いています。
  こちらからどうぞ→ http://sahorimatu.exblog.jp/22240480/

  
  

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by sahorikita | 2016-05-16 16:22 | Comments(0)
2016年 05月 09日

3.フーバー大統領が明かすルーズベルトの罪状(日米戦争を起こしたのは誰か) ★ミュンヘン融和の成功と失敗

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第三代アメリカ合衆国大統領 任期(1929年~1933年)
ハーバード・フーバー(Herbert Hoover:1874~1964年)

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2011年にフーバー研究所から刊行された
フーバー大統領の膨大な回想録
『フリーダム・ビトレイド』(裏切れれた自由)
この著書は全900ページを超える大著。日本では、訳本はまだ出ていない。
フーバーはこの大著で、東京裁判史観を真っ向から全否定している。

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フーバー大統領の著書を部分的にエッセンスをまとめた本がこちらである。
こちらの本の中の一部、フーバー大統領が指摘した19の過ちを紹介したいと思います。

■第3の過ち ミュンヘン融和の成功と失敗
  「ヒトラーとスターリンという2つのモンスターが戦いあってつぶし合いになることが不可避の情況にあったのに、
  政治家道を失った者は、そのつぶし合いを止めることに努力したのである。

  *ミュンヘン融和とは
   チェコスロバキアのズデーン地方を割譲を要求するナチスドイツに対し、1938年9月、イギリス、フランス、イタリア、
   ドイツ各首脳がミュンヘンで会談、ドイツの要求を受け入れた。この融和政策のことを指す。それ以降、ナチスドイツに
   対してイギリスなどは融和的な外交政策を取った。
   融和政策がナチスドイツの領土拡大・第二次世界大戦の引き金となったという歴史観がある一方で、それを批判する見方
   もある。


 Munich
 Third. I an not disposed to condemn the agreement at Munichiin September 1938 for Sudeten Germans to the Reich
because it was a heritage from Versailles which made such action inevitable........(以下省略、原典P876)

 
 説明の対談は藤井厳喜氏×稲村公望氏×茂木弘道氏
 対談の内容の解説を分かりやすくまとめました。↓

 この三番目は大問題である。フーバー元大統領はミュンヘン融和を否定してはいない。ミュンヘン融和でヒトラーが付け上がった
  という説は採っていない。大雑把に言えばヒトラーとスターリンをつぶし合わせればよかったと言っている。
 ヒトラーとスターリンはもともと衝突コースなのであるから、やらせておけばよい。両方が疲弊したところで、アメリカが介入し
 てバランスを取っていくのが良いと。
  合意は当初、評判が良くイギリスでもフランスでも歓迎されていた。アメリカのルーズベルトもカナダのマッケンジー首相宛て
 の手紙で「戦争の勃発がさけられたのを喜びたい」と書いていることをフーバー元大統領は124ページで述べていた。

 ところが、急に批判意見が次々と出てくる。一番徹底的にチェンバレンを批判したのがチャーチルであった。
 もともとチェコのドイツ人がそのままいた場所であったので、それを併合するのはそれなりの理由があったにもかかわらず、 
 批判が続き、ポーランドは強固にミュンヘン融和を受け入れず、問題が拡大していく。
 ヒトラーの構想は、ナチス国家社会主義が、共産党、ソ連をやっつけることしかなかった。それなのに問題が批判により反れて
 いくのです。


 批判により、融合政策に亀裂が起こったことをフーバー元大統領は、述べている。
 私は、第二次世界大戦は、このようにして戦争が拡大していったと受け止めています。
 

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by sahorikita | 2016-05-09 18:27 | Comments(0)
2016年 05月 03日

1.フーバー大統領が明かすルーズベルトの罪状(日米戦争を起こしたのは誰か) ★1933年の国際経済会議の失敗

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第三代アメリカ合衆国大統領 任期(1929年~1933年)
ハーバード・フーバー(Herbert Hoover:1874~1964年)

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2011年にフーバー研究所から刊行された
フーバー大統領の膨大な回想録
『フリーダム・ビトレイド』(裏切れれた自由)
この著書は全900ページを超える大著。日本では、訳本はまだ出ていない。
フーバーはこの大著で、東京裁判史観を真っ向から全否定している。

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フーバー大統領の著書を部分的にエッセンスをまとめた本がこちらである。
こちらの本の中の一部、フーバー大統領が指摘した19の過ちを紹介したいと思います。

■第一の過ち 1933年の国際経済会議の失敗
  「ルーズベルト大統領が国際的な政治家としての資格を失墜した最所の重要な事例である世界経済会議は、英国のマクドナルド
 総理大臣と当時の大統領の私が準備した会議で、1933年1月に開催を予定していたが、ルーズベルトが破壊した。
 ルーズベルトが選挙に勝って、6月に開催を延期した。
 その時丁度世界は、不況からの経済の回復基調にあったが、一方で通貨戦争があり、貿易障壁を増加させる戦争があった。
 準備作業が専門家の手によって進められ、ワシントンに10人の総理大臣が集まって、国際決済に金準備を用いることに合意した。
 それにもかかわらず、会議の最中にルーズベルトは翻意して、金本位制の導入にひびを入れたために、会議は不調となり、達成する
 結論がなく死んでしまった。
 ルーズベルトの国務長官であったハルは、この会議の失敗が第二次世界大戦の根っこにあるとして、ルーズベルトのとった行動を
 ハッキリと非難している。


 The World Economic Conference of 1933 First. The first time (of importance) that Roosevelt became lost in international
statesmanship was his destruction of the 1933 World Economic Conference......(以下略、原典 P875)

 フーバー大統領は合理的に、先進国経済サミットのようなものをした。つまり上文にある「ワシントンに10人の総理大臣が集まって、
 国際決済に金準備を用いることに合意した。」のは、金本位制度にしてバランスを取ろうとしていたのです。
 それを、ルーズベルトをぶち壊し、そのため、アメリカは通貨切り下げやブロック経済に入っていく。
 アメリカがそうなることにより、イギリスもポンド・ブロックをつくり、世界のブロック化が進む。
 そのことにより、いっそうアメリカは大恐慌に・・・・。
 その後、ルーズベルトはニューディール政策を打ち出すが・・・・。

 まずは、第一の過ちを紹介しました。
 世界は、この頃大恐慌であったことを改めて認識する必要を感じます。
 




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by sahorikita | 2016-05-03 17:17 | Comments(0)